恋人としたい事

 美園と恋人になって色んな事をした。

 恋人同士でするような事はかなり多く経験したのだと思う。そしてその一つ一つを知るたびにとても幸せな気持ちになったし、もっと多くの事を美園と知っていきたいと思った。

 これについては美園も同じ思いを持ってくれている。はっきりと言葉を聞いた訳ではないが、彼女の表情や態度が如実に物語ってくれていた。


 今は文実の全体会終わりの美園を家まで送っている最中。これも彼女とした色んな事の一つ。既に100回近く繰り返している行為なのだが、あと何回繰り返そうがきっとこの幸せに飽きる事はないだろう。美園の方も、表情が見えなくても繋いだ手から幸せですという思いを伝えてくれる。


「幸せだなあ」

「はいっ」


 しみじみ呟くと、美園は繋いだ手を少し大きく振り、満面の笑みを僕に向けてくれる。これを幸せ以外に何と言っていいかわからない。


 僕の家から美園の家まではほんの数分で歩いてしまえる。送ってさよならとなる日はわざとゆっくり歩く事もあるが、今日はそうならない。オートロックのエントランスを美園と一緒に通り、部屋に招き入れてもらう。


「こうやって一緒にお部屋まで来られるのは嬉しいですけど、お出迎えもしたいのでちょっと困ります」


 スリッパを出してくれた美園がそんな事を言って眉尻を下げる。靴から履き替えてその髪を撫でると、目を細めてされるがままになる様子が可愛い。


「じゃあ逆に僕がお出迎えしようか。おかえり、美園」


 一瞬きょとんとした美園だが、荷物を置かせてもらった僕が腕を広げたのを見て意図を理解したのか、少し照れくさそうに「もう」と呟くように言った。


「はい。ただいま帰りました」


 僕の腕の中にはにかんだ美園の華奢な体がすっぽり収まる。軽く背中に腕を回すと、美園の方はぎゅっと僕へと抱き着いてくれる。

 これは100回ではきかない程繰り返した行為だ。それでもやはり、やわらかな美園を抱きしめて甘い香りに包まれるこの時間は、心拍の上昇とともに幸福感をこれでもかと与えてくれる。


 しばらく幸せに浸っていると、「いつまでもこうしていたいですけど」という声とともに美園の腕が弛んだ。


「テーブルで待っていてくださいね」

「うん。ありがとう」


 今日の荷物は着替えが入っているため少し大きい。「お荷物を」と言う美園に「ありがとう」とだけ返して制し、「待ってるよ」と伝えると優しい微笑みが返ってきた。


 その後紅茶とお茶請けを出してもらいテーブルで向かい合って楽しみ、それが終わればいつもの態勢で美園を後ろから抱えるように抱いた。

 取り留めのない話を続けながら美園の髪を撫で、彼女は僕の腕を抱きしめる。時にくるりと反転した美園と正面から抱擁を交わし、短く唇を重ね、名前を呼び合い、お互いに笑う。


「ちょっと倒すよ」

「はい」


 恋人同士でする事をこれでもかと行い、宣言通り今度は美園の体を支えながらゆっくりと倒した。

 何をしてくれるのだろうと期待の笑みを浮かべる美園の頭を、そっと自分の腿の上に横たえて膝枕の態勢をとった。

 やわらかく微笑んだ美園は自分の髪に触れてそれを整え、ワンピースの裾を少しだけ気にするそぶりを見せた。身だしなみに気を遣う女性らしい仕草や恥じらう姿には相当唆られるのだが、恥ずかしがって見られなくなると困るので口にはしない。


「後で私にも膝枕させてくださいね」

「今日は僕がずっとするからダメ」

「あ、ずるいです」


 頬を膨らませる美園に構わず頭を撫でて髪を梳いていく。指の間を通るサラサラの髪が心地良く、空いている左手も使おうかと動かしたところでそちらは美園に捕まった。


「左手はこっちです」


 両手で僕の手を握った美園が満足そうに笑う。

 しばらく髪を撫でていると、左手がぐにぐにと押され始めた。一生懸命な顔の美園がマッサージをしてくれている。


「それ、気持ちいい」

「よかったです。もっとしますね」

「頼むよ」


 ふふっと笑った美園はより一層力をこめ、ぎゅっぎゅっと僕の左手を指圧していく。

 料理をはじめとした家事で鍛えられているためか、小柄で可愛らしい見た目に反して美園の握力は意外に強い。だから今してもらっている事がとても気持ちいい。半分くらいは精神的な部分に起因するのかもしれないが。


 そしていつの間にか起き上がっていた美園が今度は右手に同じ事をしてくれる。膝枕で頭を撫で続けようと思っていたのにあっさりと立場が逆転してしまった。


「どうですか?」

「最高」


 上目遣いの美園に対し、はぁと息を吐きながら正直に答えると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「交代しよう。今度は僕がしたい。肩とかでもいいよ」


 凝るだろうしな。


「痛くしませんか?」

「鋭意努力します」


 わざと目を逸らしてみせると、じっと僕を見つめた美園が両手の力を増した。


「痛ッ。……気持ちいいけど」


 わざと大袈裟に痛がってみると、美園がふふっと笑いながら言った「おしまいです」の言葉とともに右手から圧と熱が離れていく。


「ごめんなさい。痛かったですか?」


 じっと右手を見つめる僕を、美園が申し訳なさそうに覗き込んだ。


「いや大丈夫。手が寂しいなって。ごめん、心配させて」


 ほっと息を吐いた美園を抱き寄せ、耳元で「でも」と囁き――


「痛かったからおしおきしようか」

「気持ちいいっていってくれたじゃないですか」


 美園の可愛らしい抗議を無視して痛くしない程度に抱きしめる力を増すと、彼女は体を動かしてそれに抵抗する、フリをした。力が弱いし動きも小さい。

 おしおきと言ったところで自分が嫌がる事はされないと、そんな風に信頼してくれている事がわかり嬉しい。


「さて美園さんに問題です。僕達二人の間でおしおきと言えば?」

「……それはダメですよ。お風呂に入る前ですし」

「入った後ならいいんだ?」


 至近距離で見つめながら尋ねてみると、美園は朱に染まった頬を隠すかのように顔を逸らした。

「ごめんごめん」と頭を撫でたが、逆に美園は「私がおしおきします」と僕の首筋に顔を寄せて甘く噛みついた。触れた唇の柔らかな感触が心地良く、僅かな力で弱く弱く挟み込む硬い歯がくすぐったい。


 僕も風呂に入る前なんだけどなあと内心苦笑しながらも、そっと美園の頭を撫でて背中をさすりながら「美園」と呼びかけると、彼女はゆっくりと顔を起こした。


「何でしょうか? 智貴さん」


 先程よりも顔の赤い美園の頬に手を添え、目を閉じてくれた彼女の唇に触れて何度か啄んだ。そして可愛らしい照れ笑いを浮かべる美園を真剣に見つめ、覚悟を決めて口を開いた。

 恋人と、美園としてみたい事があった。


「一緒に入らないか?」

 

 何に、と言わなくても当然伝わったのだろう。固まったように動かない美園の顔にはさらに熱が集まり、透き通るように白いはずの肌はいまや耳まで燃えている。


 男女の関係こそあるものの、これを言うのは初めてだった。美園が嫌がりはしないかと思って言えなかった。更に言えば、もしも嫌だと思っていても僕にお願いされたから仕方なくと同意させるような事は絶対にさせたくなかった。


「どうかな?」


 でも今は違う。

 美園が嫌がっているかどうか、それがたとえほんの僅かだとしてもわからない僕ではないという自信がある。

 それだけではない。美園の方も、たとえ僕の頼みでも嫌なら断ってくれるという信頼がある。

 そしてそんな事で関係が壊れない自信を、お互いが持てていると確信がある。


「嫌……では、ないです」


 その大きな瞳を揺らした美園が、ぽそりと恥ずかしいのを堪えるように声を絞り出してくれた。


「うん。嬉しいよ」


 正直なところ、それが聞けただけでも満足してしまったのかもしれない。

 本当に嫌がっていない事はわかった。同時に美園がその後に続けたい言葉もわかってしまった。


「ありがとう」


 出来るだけ穏やかな口調で優しくそう伝えて、美園をゆっくりと胸元に抱き寄せてそっと髪を撫でた。


「ありがとうございます。ごめ――」

「謝ったらおしおきね」

「……もう」


 腕の中でくすりと笑った美園が、顔を起こしてそのやわらかな微笑みを僕へと向けた。


「本当は私もいつかは、って思っていたんです」


 そのまま美園は僕の背中へと手を回し、肩にその小さな顔を乗せた。僕はそんな美園が聞かせてくれた言葉が嬉しくて、少し強く抱きしめた。


「本当に恥ずかしいですけど、智貴さんと一緒に、お風呂に入ってみたいです」

「うん。それが聞けただけで今日はもう十分だよ。ありがとう」

「私の方こそありがとうございます」


 そうして二人同時に体を少し離し、長めに唇を合わせた。


「約束ですね」

「うん。いつかね」


 はにかんだ美園が差し出した小指に小指を絡め、そのままもう一度キスを交わした。

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