思い描く未来

 昨晩美園達が話していたように、僕は母さんに家事全般を習っていない。しかし去年帰省した時に気付いたのだが、僕の家事スキル、特に料理は自然と母さんに倣っていたらしい。

 そして美園は昨日母さんの料理を食べた時点でそれに――習ったと勘違いしてはいたが――気付いている。


「え、凄い美味しい……」


 美園が作った和風卵スープの味見をした母さんが呆けた顔をしている。その隣の美園は緊張の面持ちを解いて、心底ホッとしたようにそっと息を吐いた。

 本人が自慢をしないので代わりに自慢したいのだが、義母と義娘ははとむすめの時間を二人とも楽しみにしていた事を思い出して口を出すのは止めた。代わりにダイニングテーブルから温かな視線を送らせてもらう事にする。


「美園さん! これ、凄い」


 驚きのせいとは言え40代の語彙力よ。


「偶然? 味付けが完全にウチの味……に似てるけど、ずっと美味しい」


 もう一度味見――二口めは結構な量をいった――をした母さんが、やはり驚いた顔をしながら美園へと向き直ると、美園の方は「ありがとうございます」と照れながら、そして何とも嬉しそうに笑った。


「昨日のお夕食を頂いた時に気が付いたんですけど、智貴さんの好みの味はお義母様のお料理だったんです。だからそこから考えて作ってみたんですけど、お口に合ったのでしたら良かったです」

「お口に合ったどころか……一緒に料理するのに教える事が何もない……」


 思ったよりも母さんはガックリしている。ただ、それは自信喪失などではなく、娘に料理を教えるというシチュエーションが無くなってしまった事に対してだろう。どれだけ美園を気に入ったのだろうか。


「いえそんな。見様見真似でしたからまだまだお義母様の味と比べると至らない部分も多いです。完璧にして智貴さんに喜んでもらいたいですから、色々教えてほしいです」


 美園は嘘を吐いてまで相手を褒めたり慰めたりはしない。そもそも僕に対して可愛らしいバレバレな事を言う以外で嘘を吐く事が無いはずだ。母さんがそれを知っている訳は無いが彼女への信頼度が勝つのだろう、「そう?」などと言ってテンションが完全に回復している。

 かと思えばそれを眺めていた僕へと睨むような視線を向けてくる。


「智貴。美園さんに自分の好みばっかり押し付けてないでしょうね?」

「そんな事無いよ」

「本当? 美園さん」

「はい。本当ですよ」


 嬉しそうに微笑みながら言う美園に、母さんは「それならいいんだけど」と納得しているが、同じ事を言った息子を信じてほしいところだ。


「今は二人の味を模索しているところなんです。だから、このお家の味をしっかりと覚えておきたいです」

「その模索に関しては確かに頼り切ってるかな」


 本当は一緒に料理をしながら探していければいいのだが、何せ僕の部屋のキッチンは狭く、二人で料理するのは厳しい。

 料理当番は大体均等になるように割り振られている――腕に差があり過ぎて申し訳ない――が、新しい味付けを試すという器用な真似はほとんど美園に任せてしまっている。


「そんな事しなくても、美園さんの味を智貴の好みにしちゃえばいいから」

「実際それでも本当にいいんだけどね」

「いえ。二人が一緒に喜べる味付けを探す事が本当に楽しいんです」


 母さんは満面の笑みを浮かべる美園を見ながら、「こんないい子が私の娘だなんて」と感極まっていたかと思えば「智貴」と僕を呼んだ。


「何度も言ってるけど、絶対手放しちゃダメだからね。もし捨てられたら二度とこの家の敷居は跨がせないから」

「そんな事言ったら美園がフリにくいだろ」

「もうっ。それは絶対に無いって言ってるじゃないですか」

「知ってるよ。だけどそれは僕が美園を大切にする事で手に入れる信頼だから、母さんの言葉に少しでも縛られたら困る」


 よく言ったとばかりにうんうん頷く母さんの横で、美園は少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「それじゃあ、大切にしてくださいね」

「うん。一生かけて大切にする」

「はい。ありがとうございます」


 ダイニングテーブルに座っているせいで美園との距離があり、母さんの目もあったので抱きしめられなかったが、僕がそうしたかった事、美園がそうしてほしかった事がアイコンタクトでわかる。

 くすぐったそうに笑う美園に、「頑張って」と目線で言えば、力強く頷いた彼女は母さんと一緒に朝食作りに戻っていった。



「ごちそう様。いや本当に、何度も言ったけど美味しかったよ。幸せ者だな、智貴」


 朝食を終え、一口目から美味しい美味しいと連呼していた父さんが、何度目になろうかという褒め言葉を美園に贈った。最初はホッとした様子を見せた美園も今は素直に褒め言葉を受け取り、その度に嬉しそうに笑いながら「ありがとうございます」と返していた。


「ああ。本当に――」

「だから何度も言ったでしょ! 凄く美味しいって」


 自分がいかに幸せかを言葉できちんと示そうかと思ったが、母さんが邪魔をした。父さんが美園を褒めるのが我が事以上に嬉しいようだ。美園を心から気に入ってくれたようでそれは僕としても大変ありがたいのだが、彼氏にも彼女美園を自慢する機会をくれないだろうか。


 そしてその後は僕が申し出て朝食の片付けは済ませたのだが、その間も母さんは美園にべったりだった。


「一緒にお買い物に行こう? 美園さん凄く可愛いいから、色んな服試してほしくなっちゃう」

「ダメだって。午前中にはこっち出るって言ってあるだろ」


 幸い美園もまんざらではない様子ではあるが、疲れもあるだろうし夕方前には向こうに帰れるように予定を組んでいた。ちょっとした観光に昼食をこちらでとって、僕の部屋に着くのが16時前。流石に今から買い物に行く余裕は無い。


「我が息子ながらなんて心の狭い……」

「智貴さん。私でしたら帰りが遅くなっても構いませんよ?」

「美園明日は自動車学校あるだろ? 母さん、そういう訳だからあんまり遅くしたくないんだよ。美園も家に帰れば疲れを実感するだろうし」

「……美園さん。次はいつ来てくれる? 智貴が一緒じゃなくてもいつでもいいからね。本当にいつでもいいからね」


 一応諦めたらしい母さんだが、なんとも残念そうな様子で美園に縋っている。美園もそこまで言ってもらった嬉しさ半分、困惑半分といった調子で眉尻を下げて笑いながら、ちらりと視線で僕に助けを求めた。


「母さん。美園はもうじきバイト始める予定だし、2年の授業やゼミに文化祭実行委員の仕事もある。それが落ち着いてみないといつ来られるなんて確約は出来ないよ」

「それじゃあ、しょうがないか。美園さん、来年は色々大変になるみたいだけど、不肖の息子にちゃんと支えさせるから、頑張ってね」


 母さんはいつの間にかきちんと大人の顔に戻っていた。美園の手を握りながら彼女を励まし、美園の「はい」の言葉を待って満足げに頷いた。


「ありがとうございます。来年度は智貴さんも色々と大変になるので、お互いに支え合っていけるように頑張ります。お義父様とお義母様がご迷惑でないなら、またお邪魔させて頂きたいと思っていますので、その際はよろしくお願いします」


 そう言ってやわらかく微笑み、美園は立ち上がって流れるような美しさで腰を折った。



「少し寝るといいよ。疲れたでしょ」


 昼食後の新幹線。向こうに着いてからのタクシーを合わせて2時間強の旅程になる。

 昼食の席では「楽しかったです」と、様々な言葉でそれを示してくれた美園だが、新幹線のシートに座ると食後の眠気も合わさったのか、口元を抑えてあくびを噛み殺した。


「すみません。でも大丈夫です」

「ダメ。今すぐ寝ろとは言わないけど、やっぱり気疲れは大きいと思うよ。僕だって眠そうな美園を無理矢理起こしながら話をするより、美園の寝顔見てた方が幸せだし」

「もう」


 そう言いながら、窓側の席に座った美園が僕の左手に指を絡め、とろんとした上目遣いの視線を僕へと送った。


「お願いがあります」

「何でも聞くよ」

「手を離さないでください。それから、肩に寄りかかってもいいですか?」

「どちらも喜んで」


 えへへと可愛らしく笑った美園が、「ありがとうございます」の言葉と同時に僕の肩へとそっと頭を預けた。


「寝ちゃうまで、お話をしてもいいですか?」

「当たり前だよ」


 またも美園はえへへと笑う。もう結構眠いのだろうなと微笑ましく思い、空いた右手で彼女の頭をそっと撫でた。


「気持ち良くて幸せです」

「僕もだよ」

「それに、お義父様とお義母様も、思っていた以上に素敵な方達でした。私、ちゃんと出来て、いましたか?」

「うん、完璧だったよ。それに二人とも本当に美園の事を好きになってた。帰り際にはこっそりと『くれぐれも美園さんによろしく』って言ってたくらいだし、また来てくれたら凄く喜ぶよ」

「それなら、良かったです。私も、本当に良くしてもらって、また、連れて行ってもらいたいです。今度は、お義母様と、お買いもの……に」


 隣の座席から本当に静かな、そして可愛らしい寝息が聞こえる。


「お疲れ様、美園。ありがとう」


 優しい微笑みを浮かべたまま眠る美園の髪をそっと撫でた。


「ありがとう」


 将来の約束をして、僕の両親に会ってもらった。両親は美園をいたく気に入ってくれ、僕の実家に美園の居場所はきちんとあった。

 妻になってくれた美園を連れて実家に帰ったのならあんな感じだろうかと、そう思った。その内孫を見せる事になるのかもしれない。


 そんな幸せな将来を明確に想像したのは恐らく初めてだった。

 きっと今回の帰省で一番幸せな思いをしたのは、母さんでも美園でもなく僕だ。だから――


「ありがとう、美園」


 そっと美園の白く柔らかな頬に触れると、彼女はくすぐったそうに少し笑った。


「大切にする」


 聞こえているはずはないが、美園がなんだか幸せそうに見えたのは、僕の願望だけではないような気がした。

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