第83話 隣の彼女に誇れる自分

「この間は大変だったな」

「まあ、ある程度覚悟はしてたよ」


 2日前の夏休み最後の実務が終わった後、後期と2ヶ月後に迫った文化祭への決起集会――と言う名の飲み会――が開かれた。

 彼氏ができた為か美園が男連中に囲まれる事はなかったが、その彼氏の方は男連中に囲まれた。付き合った事を知らせた――雄一のおかげで――時と同じく美園関連の質問攻めにも遭ったが、どちらかと言うと荒っぽい祝福を受けた方がメインだった。

 地味に痛かったが、こっそり加わって僕を叩いていた香が言うには「儀式みたいなもんだから」だそうだ。


 家まで送って行く時に美園は、「酷いです!」と怒りを露わにしていたが、「美園を幸せにしてやれって言う儀式だから」と適当な事を教えたら、一瞬だけ頬を弛ませた。

 結局その後も、「あんな事をしなくても牧村先輩は私を幸せにしてくれます」と惚気ながらぷりぷりとして見せていた美園は、僕の上半身を何度も擦ってくれたので、叩かれた分のリターンは十分すぎる程受け取る結果となった。


「と言うかお前も叩いたろ」

「気にするなよ」


 先程一緒に乾杯をした二人の内、僕を叩いたこの部屋の主に恨みがましい視線を向けるが、サネはどこ吹く風だ。


「美園が滅茶苦茶怒ってたぞ。実松さんがあんなに酷い人だと思いませんでしたって」

「え、マジ?」

「いや嘘だけど」

「やめろよ! 心臓止まるかと思ったわ」


 怒っていたのは事実だが、サネ個人にという訳では無いし、もう怒りは無いはずなので嘘にはならないだろう。サネは少し震えた右手を左手でペシっと叩き、ビールを呷った。


「ところでそれいい時計だね。美園から?」

「ああ」


 左手にはサイズを合わせて着けている黒の腕時計。先日の実務の時には、傷つけては困ると外して行ったので、二人にこれを見せるのは初めてになる。


「カッコイイなそれ」

「だろ?」


 自慢げに見せびらかしてやると、サネは「うぜえ」と小声で呟いた。


「時計よりも彼女自慢だろ? お前がしたいのは」


 呆れたようにしっしと手で払うような仕草をしたサネに、苦笑のドクが「だね」と頷いてから「せっかくだし」と口を開いた。


「俺も彼女自慢していい?」

「聞かせてくれ」

「やめろ!」


 またもビールを呷ったサネは「お前らも飲め」と僕達二人のグラスになみなみとビールを注いだ。「絶対床にはこぼすなよ」と言うが、既にテーブルの上に泡が少し垂れていった後で、グラスを持ち上げる事も厳しい。僕達はアイコンタクトで苦笑しながら、グラスに顔を近付けてこぼさないようにビールを啜った。


「まあでも。僕がこんな風に言えるのはお前らだけだよ」

「マキ……いや、何いい話風に持ってこうとしてんだよ」


 一瞬だけジーンとしたような表情をしたサネだが、何故か半ギレである。紛れもない事実なのだが。


「実際いい話だったんじゃない? サネも照れ隠しでしょ」

「そんな事ねーよ」


 こいつらの次に仲がいいと言うと、隆やジン、康太になるだろうか。しかし、美園との惚気話を聞かせる気にはあまりならない。この二人以外では何となく気恥ずかしいと思う理由は、やはりそういう事なのだろう。


「もうやめだ。話題変えよう」

「何話すの?」

「今から実松君が面白い話しまーす」

「わーぱちぱち」

「どんなボケでもつまらなくする言葉やめろ。あと拍手すんのも面倒なの? それから俺はツッコミだからな」



「じゃあもう適当に後期の話な」

「「了解」」


 結局のところ、飲み会で盛り上がる話と言えば恋バナや愚痴などが定番になるが、後者については特にない三人組が、前者を禁止されてしまえば大した話題は無くなる。普段から大した話をしている訳でも無いと言ってしまえば身も蓋もないが。


「俺は後期結構暇かな。実験無いし、授業も多くないから」

「僕もだな。2年の後期は実験無いし、授業もそれ程多くない。サネは?」

「俺はちょい授業多いかな。3年は必修とゼミだけで済ませたいからここで取れる単位稼いどきたい」

「推奨の時間割通り履修してれば単位なんて余裕で足りないか?」


 学科推奨の時間割に従えば必修はもちろんだが、選択必修や選択単位もほぼ全て組み込まれているので、余った分をまわせる自由単位も十分足りる。大学は自分で授業の予定を組まなければならないという話をよく聞くが、少なくとも学科の連中はほぼこの時間割に従っている。


「甘いな。1年の時に選択必修と選択最低限しかとってないから自由単位が微妙になりそうだ」

「自業自得じゃん」


 やれやれと言った様子のサネに、ドクが呆れ気味に僕の代弁をしてくれている。


「理学部はどうか知らんがな、人文じゃ結構みんな時間割からどれだけ減らすか考えてんだぞ」

「美園はそんな事無いぞ」


 お互いの後期の予定を教え合った時、美園は時間割とシラバス――授業の一覧表――を見ながら、「学科違いですけど、この授業も受けてみたいんです」と楽しそうに笑っていた。丁度僕の授業がある時間帯だった為、それを受けなければ会えるという事も無く、美園はその授業の履修を決めていた。


「ああー。っぽいね」

「だろ?」

「綾乃もさー――」

「はい。話を元に戻します」


 嬉しそうに語り出そうとしたドクを制すように、サネはテーブルの上に腕を広げた。


「何の話だっけ?」

「後期の話だよ!」

「もう終わらなかったっけ?」

「授業の話しただけだろ!? もっと膨らまそうぜ」

「と言ってもなあ……」


 ちらりとドクを見ても、少し困ったような表情をしている。真面目な話、2年の後期に関しては、僕達の話題は文化祭一強にしかならない。


「文化祭の話でもする?」

「それもなあ。これから先も散々話すだろうしな」


 うーんと唸るサネは「そうだ」と膝を叩いた。


「せっかくだし終わった後の話でもするか。中々できないだろうしな」

「終わった後って言うと、打ち上げとか追いコンとかの話?」

「いや、もう全般的に。終わった後どうするか全般」

「ふわっとしてるな」


 苦笑しながらそう言うと、サネは「わかってるよ」と同じく苦笑した。


「じゃあ就活の話でもするか? 来年になったらセミナー行ってみようと思ってるけど。二人はどうだ?」

「俺は本命は地元の公務員試験だけど、とりあえずは行ってみようと思ってるよ。マキは?」

「そうだな、僕も行ってみようかな」

「意外だな。聞いてみたけどマキは院行くと思ってたわ」

「俺も」


 実際に、少し前までは大学院に進むつもりでいた。だが今は、正直迷っている。


「院に行くかはまだ迷ってるけどな。それでも院試は4年の夏だし、そこから就活したんじゃ流石に遅いから。先にやれる事はやっとくよ」


 院試については、真面目にやってさえいれば大学入試に比べて大分チョロい。他所の大学の院に行くとなると、事前に所属先の研究室とパイプを作らなければ合格のしようがないという、ある意味試験よりも高い壁が存在するが、同じ大学の院に行く場合の不合格は稀だ。


「じゃあ三人で一緒に行こうぜ。1、2年向けの就活セミナーとかもあるからさ」

「そんなのあるんだな」

「まあな。最近は就活の開始を遅くしろよって事で選考開始は4年の6月とかだけどさ、実際には1、2年だってインターンに行く奴もいるんだぜ」


 就活は3年の夏から調べ始めようか、くらいにしか思っていなかったので、早い連中に大きな差をつけられている事に、正直とても驚いた。勉強しろよとも思うが。


「早いんだねえ」

「な。俺も流石にインターンは3年から行くつもりだけどな」


 ドクもやはり驚いているようだし、サネも「流石に1年は早いよなあ」と少し呆れ気味だ。

 就職というのは生きていく以上、どうしたってしなければならない。はっきり言ってしまえば、僕はその事について今までほとんど考えて来なかった。そろそろ考えなければならない時期が来たという事なのかもしれない。

 しかしやはりと言うべきか、こんな時でも思い浮かぶのは美園の顔。どんな選択をするにせよ、去年偉そうな事を言ったのを抜きにしても、彼女に誇れる自分でありたいと思う。そして、そんな僕の隣にいてほしい。


「サネ。僕もセミナー連れてってくれ」

「あ、俺も」

「それじゃあ、文化祭終わって年明けたらセミナー探すか」


 決意を込めた僕の言葉にドクも同調し、サネはそんな僕達二人を見て満足げに笑った。


「あ、春休みは美園と旅行行くから、日程決まったら伝えるわ」

「俺も綾乃と旅行行くつもり」

「自重しろよ! 締まらねえな!」

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