第82話 377日の隔たりがもたらす関係性

 美園のスマホを借りて彼女のご両親への感謝を伝え終わると、自分のスマホにメッセージが届いていた事に気付いた。僕の両親それぞれから1件ずつ、簡素な誕生日祝いだった。

 去年はこの誕生日祝いに『ありがとう。』とだけしか返さなかった。友人が祝ってくれている最中だった事もあるが、大学生にもなって両親とそんなやりとりをする事に気恥ずかしさもあったのだと思う。

 今年はもう少し長い文面を送った。父さんには先日の感謝を、母さんには近況報告――彼女ができた事は伏せたが――を添えた。美園とご両親の関係を見た事が理由なのは間違いない。正直なところあまり自覚は無いが、きっと僕の両親も僕に愛情を注いでくれているのだろうと思う。


『悪い物でも食べたの?』


 そんな感傷に浸る僕に、母さんからのメッセージはそれを台無しにして余りあるものだった。むしろ凄くいい物食べたんだが。

 先日変な勘違いをした父さんもそうだが、僕は一体両親からどのように思われているのだろうか。実際ほとんど連絡も取らず、夏休みも結局帰省せずと、思い返してみると割と親不孝をしていた事に気付く。


「これからはたまには近況報告くらいしとくか」


 そう独り言を言ってスマホをしまうと、ソファーの隣に座った美園がニコニコとこちらを見ていた。いつかは彼女を紹介するのだから、両親との関係が良好に越したことは無い。その為にも必要な事だと、見つめられた気恥ずかしさからそう思う事にした。

 ふふっと笑った美園が僕の手に触れたので、手首を返してその手を握り返すと、ニコリと笑った彼女は、「ちょっとすみません」と言って立ち上がって彼女のデスクへと向かった。

 何だろうかと目で追うと、美園が引き出しから取り出したのは黒い小さめの紙袋。そこに白い文字で書かれたアルファベットは、僕でも知っている海外ブランド。


「お誕生日おめでとうございます。受け取ってください」

「ありがとう。中見ていいかな?」

「はい。どうぞ」


 少し緊張気味に上下を支えて渡してくれる美園から袋を受け取り、中から黒い箱を取り出す。重さとサイズからして時計ではないかと予想を立てた。

 やはりと言うべきか、中に入っていたのは黒いメタルバンドの腕時計。シンプルな文字盤で、60秒、1時間、12時間の時間が測れるクロノグラフ。はっきり言ってめちゃくちゃカッコいい。


「ありがとう。凄いカッコいいよこれ。すんごい嬉しい」


 言葉だけでなく、今着けている腕時計を外して早速腕に巻いてみた。もちろんバンドの長さが合わないので今はぶかぶかだが、右手で押さえつつ美園に向けて見せる。


「喜んでもらえて良かったです。ホッとしました」


 小さく息を吐いて安心したように微笑む美園に、「大事にする」と伝え、落として傷つけでもしたら後悔してもしきれないので、再度ケースにしまい、「ありがとう」と抱きしめた。



 いつものように後ろから美園を抱きしめて座るのではなく、写真を撮る時のように彼女を膝の上でお姫様抱っこのような態勢で支えている。椅子ではなくソファーなので、美園の体重が他の場所にも分散され、今回は重くない。


「これで2歳差になっちゃいましたね」

「ちょっとの間だけじゃないか」


 膝の上の美園が少し寂しそうにつぶやくので、軽く頭を撫でながらそう返した。2週間も待たずにやって来る彼女の誕生日で、二人はまた1歳差に戻る。


「順番が逆なら少しの間だけでも同い年になれたんですけど。残念です」

「同い年だといい事あるのか?」

「気分的な問題です。本当は同じ学年が良かったので、ちょっとでもと思って」

「同じ学年だったら会えなかっただろ?」

「そういう事じゃないんです」


 ちょっとだけ拗ねた様子の美園だが、僕も以前同じ事を考えたので気持ちはわかる。高校までのように同学年の繋がりがそこまで強くないので、大学の学年違いはそれ程大きな隔たりを感じさせはしない。学年が同じでも学部学科が違えば、ほぼ普段の交流は無い。だがそれでもやはりとは思ってしまう。


「気持ちはわかるよ。学年が一緒だったら、来年も一緒に文実の活動できたしね」

「はい」

「でもやっぱり、今の形が一番いいよ」

「どうしてですか?」

「美園にもっと甘えてほしいから。僕が年上の方が都合がいい」

「大分甘えていると思うんですけど」


 少し頬を赤く染めた美園は、照れ隠しなのか大きく首を傾げている。


「最近は前より甘えてくれて嬉しいけどね。でも、もっともっと甘えて欲しいし、わがままだって聞かせてほしい」

「子ども扱いしていませんか?」

「僕は今日で成人したからね」


 口を尖らせる美園にわざと自慢げに答えて見せると、「それじゃあ」と彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「いっぱいお願い聞いてもらいますからね」

「出来る範囲で頼むよ」

「大人な牧村先輩にしか出来ない事だけをお願いするつもりです」

「僕にしか?」

「はい。大人な牧村先輩にしか、です」


 成人した事をダシにしたからだろうか、美園は「大人な牧村先輩」を繰り返す。


「以前、私のお誕生日にお願いしたい事があると言った事を覚えていますか?」

「もちろん」

「思っていた事を少し膨らませてみようと思います」


 美園の誕生日までは2週間を切っている。そろそろレストランの予約なども考えたいので、以前「まだ内緒」と言われたお願いをそろそろ知っておきたいと思っていたところだ。たとえば僕にもバースデーソングを歌ってほしいという要望だった場合、個室を予約しないと羞恥プレイで死ねる。

 そんな事を考えていると、もぞもぞと動いて僕の膝の上から降り、僕の隣で佇まいを正した美園が真っ直ぐ僕を見つめる。


「いただきたいものがあるんです」

「僕に用意出来る物ならなんでもいいよ」

「私のお誕生日に、牧村先輩のお時間を1日貰いたいです」

「どういう事? 元々一緒にいるつもりだったけど」


 真剣な瞳の美園の意図がわからず聞き返す。9月最後の日、彼女の誕生日の予定は丸1日空けてある。


「言葉通り1日です。もっと分かりやすく言うと24時間です」

「30日の0時から24時までって事?」

「はい。ぴったりその時間だけと言うのも難しいと思いますので、正確に言うのなら前後の時間も含めて24時間以上になっちゃいますけど」


 なるほど。美園の言う意図はわかった。しかし――


「それだと、夜通し一緒にいる事にならないか?」

「はい。私のお部屋に泊まってください」


 言うのが少し気まずかったが、美園の方は事も無げ補足する。以前彼女が勘違いから僕に言った言葉。今は勘違いではない。


「あの時はお付き合いしていませんでしたけど、今なら問題は無いと思います」

「そりゃ理屈はそうなんだけど……」

「それに牧村先輩は大人ですから。平気ですよね?」


 大人だから問題ではないだろうか。恋人の家に泊まる事とそういう行為をする事は別にイコールではない、と思う。ただ僕にはそれを判断できる基準がないので、どうしたって意識する。


「私のお誕生日が終わるとすぐに後期が始まります。ずっと一緒にいられるのはそこが最後の機会なんです」


 真剣な美園の言う通り、10月3日からは後期が始まる。そうなれば土日の多くには文実の活動があるし、平日は授業がある。僕のバイトのシフトは減らす事になっているが、それでも美園と一緒に過ごす時間は夏休みと比べて格段に減る。だからこそ、夏休みの最終盤を使って、二人の時間を過ごしたいと言う彼女の願いは、ある意味僕の願いでもある。しかし――


「美園はいいのか?」


 口に出してからしまったと思った。卑怯な事を聞いた。僕だって一緒にいたいという思いは美園と同じだ。それなのに、最終判断を彼女に委ねようとした。

 美園にお願いされたから、美園がいいと言うから、だから一緒にいるのではない。僕が美園と一緒にいたいからいるべきなんだ。


「ごめん何でも無い。僕の時間を貰ってほしい。その代わり美園の誕生日を僕にくれ」


 先程の情けない質問に開きかけた美園の口を制し、本心からのお願いをした。


「はい! ありがとうございます」


 頬を紅潮させて少し目を潤ませた美園は、その言葉と一緒に僕の胸に飛び込んで来た。


「大人のハグをお願いします」

「どうすればいいかな?」


 困って聞き返すと、僕の胸に顔を埋めた美園が、ちらりと上目遣いの視線を向けて来た。あまりに可愛くて頭を撫でると、彼女は優しく微笑んだ。


「わかりません」


 何故だかおかしくて、顔を見合わせて少し笑い合った後、そのまま唇を重ねた。

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