第81話 アルバムの最初のページ
「凄いな」
美園が昨日から仕込んでおいたという料理を目の当たりにして、その言葉しか出てこない。オードブルとして出してくれた最初の一品は、野菜を中心としたテリーヌだと言う。見た事だけはある、カラフルな野菜とサーモンをズッキーニ――最初はきゅうりだと思った――で巻いて四角にした物で、野菜やサーモンの間はジュレやパテで埋められている。
「金取れるんじゃないかこれ……」
まだ食べてはいないが、美園が出してくれた以上は味の方も間違い無いのは確定している。少なくとも一人暮らしの女子大生が家で作る物ではないのはわかる。
「流石にそこまでは無理だと思います。この間お母さんからレシピを貰って練習しましたけど、まだまだお母さんにも及びません」
多分普通の家庭の母親は一生テリーヌ作る事は無いんじゃないだろうか。少なくとも僕の母さんは一度も無いはずだ。
白ワインを注いでくれながら美園は、「次に作る時はもっと美味しく作りますからね」と言ってくれている。しかしこの白ワイン高そうだな。
「牧村先輩は今日から堂々とお酒が飲めますね。ワインとグラスはお父さんからです」
絶対高いヤツだ。
「後でお礼言わないとな」
「ご飯食べ終わって少しゆっくりしたら電話しますね」
「頼むよ」
ラベルを僕の方へ向けた白ワインをテーブルの上に置き、「はい」と微笑みながら美園は向かいに着席した。
テーブルの上の二人の席の前には、ランチョンマットが敷かれ、中央にはテリーヌの皿、左側にフォークが3本、右側にはナイフが3本とスプーンが1本、皿の向こう側にはフォークが1本置かれている。
「外側からでいいんだよね?」
「はい。上側のフォークは最後にケーキがありますのでその時に使ってください」
「了解」
「それじゃあ、どうぞ召し上がってください」
「ありがとう。いただきます」
「はい。いただきます」
外側のナイフとフォークを取って、テリーヌの左端を切り取ってみたが、見事に崩れない。ポロポロ崩れる物かと思って不思議に思っていると、美園が優しく微笑んでいるのに気付き、恥ずかしくなってすぐに口へと運んだ。
美味いと口に出すのも忘れてもう一口、今度は先程切った場所とは違う野菜とサーモンが入っている場所を食べるが、やはり美味い。
それぞれの野菜に塩や酢でしっかりと下味が付いていて、パテやジュレによる味付けを引き立てている。
「美味い。褒め言葉がワンパターンで悪いんだけど」
「最高の褒め言葉ですよ」
そう言って美園は本当に嬉しそうに笑ってくれた。
◇
「しかし、本当に凄いな」
二品目の舌平目のムニエルは温蔵庫から出て来た。一人暮らしの部屋どころか、普通の家庭にすら無さそうな物の存在に驚いた。美園が言うには一万円程出せばそこそこいい物が買えるらしいが。
バターの香ばしい風味の中にコショウが効いていて、柔らかな魚の白身との相性は抜群だった。魚料理という事で白ワインと合わせてみたが、少し辛口のワインとの相性もこれまた良かった。
今は三品目のヴィシソワーズをいただいているが、二皿目までの片付けも全て美園がやってくれた。自分の分くらいはと言ったのだが、「今日は牧村先輩のお誕生日なので座っていてください」と、サーブも片付けも手伝わせてくれなかった。
「至れり尽くせりだけど、ダメ彼氏みたいだよな」
「そんな事はありませんよ。それに、私がいないとダメになってくれた方が嬉しいです」
「怖い事言うなよ」
「すみません。冗談です」
次の肉料理の前にと赤ワインを注いでくれた美園がくすくすと笑う。正直な話、精神的にはもうそうなっている。彼女と離れる事など考えただけで泣きたくなる。捨てないでくれと脚に縋りつく未来が見えて、我ながら苦笑する。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」
「そうですか?それじゃあ次のお料理を持って来ますね」
「よろしく」
そして出てきたのはローストビーフ。僕の知っている物よりも厚めにカットされたそれの横には、3種類のソースが入った小皿が添えられていた。
「手前から普通の玉ねぎベースの物、それにわさびの入った物、ワインを使った少し甘めのソースです。お好みに合わせて使ってください」
「とりあえず全部試してみたい」
「是非どうぞ」
正直自分がどれを好きかわからないという面もあるが、せっかく作ってくれたのだから全てを味わいたいと思う。
常温のローストビーフにナイフを入れ、それぞれのソースをかけて味を楽しむが、僕個人の感覚では、肉の旨みのつまったローストビーフには、僅かにピリッという辛みを感じるわさびのソースが合うと思った。
「このわさびのが一番好きだな」
「そんな気がしていました」
「流石」
「牧村先輩の事だけですよ?」
そう言ってニコリと笑う美園に気恥ずかしさを覚え、注いでもらった赤ワインに口を付ける。単体で飲むのなら僕には少し重かったかもしれないが、濃厚なローストビーフとの相性はいいと思う。
「白の時も思ったけど、ワインと料理合わせてる?」
「そこまでは出来ませんでした。私がお酒ダメなので余計にですね。すみません」
「いや、全然謝ってもらう事じゃないよ。料理美味いし、ごめん変な事聞いて」
「牧村先輩も謝っていますよ」
少ししょんぼりとしていた美園が、くすりと笑ってくれてホッとする。
「そう言えば。一緒にお酒をっていう約束を覚えていますか?」
「あー、そんな約束あったなあ」
そんな未来は来ないだろうと正直忘れかけていたが、もう3ヶ月ほど前の事になるだろうか。目の前にワインはあるが、アルコールに弱い美園に飲ませる気には流石にならない。
「今日はまだする事がありますから無理ですけど、忘れないでくださいね。泣いちゃいますよ」
「そうだな。文化祭が終わって、全体の打ち上げとかがあるだろうけど、それとは別に二人で打ち上げでもしようか。その時にでも」
「随分と先ですけど……楽しみにしておきますね」
一瞬口を尖らせかけた美園だが、すぐに笑顔になってくれた。僕としても楽しみではあるが、正直少し先延ばしにしたいところもあった。酔っぱらって無防備になった美園相手に、理性を保つのに苦労しそうだと思う。
「それじゃあ最後のケーキを持って来ますね」
持って来てくれたのは、苺の乗ったオーソドックスな生クリームのケーキ。サイズは二人用の為小さいが、これも美園が焼いてくれたという。
ウキウキでロウソクを2本立てる美園が、「バースデイソング歌いますか?」と期待のこもった目で聞いてくるので、この歳になってという恥ずかしさはあったものの、歌う美園見たさにお願いする事にした。
「はっぴばーすでいとぅーゆー」と嬉しそうに歌い出した美園は、思ったより歌が上手くなかった。音程を外す事は無かったが、想像していた「Happy Birthday to You」と綺麗な発音ではなく、ひらがなに聞こえる歌い方は非常に、非常に、非常に可愛らしかった。いつか絶対カラオケに連れて行くと決めた。
満足げに歌い終わった美園に拍手で感謝を伝えると、少し顔を赤らめながら「次は」と言ってロウソクに火を点けた。
「写真撮影です」
「え」
「一緒にたくさんの思い出を作りたいです。ダメですか?」
「そんな事ある訳無いよ」
微笑みながらスマホを構える美園との間で、2本のロウソクに灯った小さな炎が僕の前でゆらゆらと揺れている。「笑ってください」と言う彼女の声に笑顔を作ると、定番の掛け声とともにシャッター音が聞こえた。
「良く撮れています。かっこいいです」
相変わらず僕を過大評価してくれる美園に少し照れる。
「それじゃあ、順番が前後しちゃいましたけど、少し暗くしますのでロウソクを吹き消してください」
「その前に美園、こっち来て」
「はい?」
首を傾げながらも、美園は素直にこちらに来てくれた。少し椅子を引き、膝の上をちょいちょいと指差すと、意図を理解したのか顔を赤くして、「いいんですか?」と尋ねて来た。「一緒に思い出作るなら二人の写真が無いと」と言って引き寄せると、美園は遠慮がちに僕の膝の上に乗った。
「重くないですか?」
「全然」
実際のところは、いくら平均より少し低い身長で全体的に華奢な美園とは言え、女性一人分の体重がもろにかかっている訳なので、正直ちょっと重い。しかしこれは何と言うべきか、幸せを感じる重みだと思う。
「じゃあケーキ入るように撮ろうか」
「はいっ」
そう言って、膝の上でお姫様抱っこのような恰好で美園を抱きかかえ、顔を近付ける。
「じゃあ、撮りますね」
「うん」
今度は「笑ってください」は必要無い。こうしていれば自然と笑顔になってしまう。むしろ気を抜くと弛み過ぎるので、締める必要すらある。
「上手く撮れません……」
何度かのシャッター音の後、美園が少し沈んだ声を出した。
「じゃあ今度は僕がやってみようか。ちゃんと捕まってて」
「はい」
僕が手を離した分、美園の腕が僕の首筋に回されて、それが心地いい。
しかし、僕が撮った写真もやはり上手くは撮れなかった。
「自撮りなんてした事無かったからなあ」
「私もです」
お互い顔を見合わせてくすりと笑う。失敗してもこうやって笑い合える事は素敵な事だと思う。
「たくさん写真を撮って、上達していこうか」
「はい」
それから10回程のチャレンジを経て、二人の自撮りは何とか達成され、このなんとも初々しい自撮りが、二人のアルバムの最初のページを飾る事になる。
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