第80話 Birthday Mission

「牧村君誕生日おめでとう」

「おめでとう牧村君」

「なんでそんなに他人行儀なんだよ」


 僕の誕生日当日、美園と一緒に実務に出て来たところ、友人二人がよそよそしい態度で祝ってくれた。


「友達より女を選んだ奴にもはや友情など無い」

「まあ俺もそうするけどね」

「だよなあ?」

「裏切り者どもめ!」


 彼女持ち×2対独り身×1では分が悪かろう。しかも前者はどちらも彼女大好きときている。因みにドクと上橋さんは付き合ってもうじき5ヶ月になるが、熱は微塵も冷めていないという。見習うべき点が多いと思うので、今度話を聞かせてもらいたい。


「まあ二人とも、美園を助けてくれたみたいだし、一応僕からだけどありがとな」

「知ってたのか?」

「あの子嘘が吐けないんだよ」

「うわ! 出たよ。僕の彼女は天使ですアピールいらないから」

「事実を言ったら天使に聞こえるってのも困ったもんだな」

「わかる」

「クソ!」


 礼を言ったのに何故か最終的にサネは悪態をついてしまった。


「まあ飲みの機会減った訳だし、休み中にあと1回くらいは飲もうぜ。男友達も大事にしろよ?」

「当たり前だろ」


 美園はもちろん何より大事だが、この1年以上を大学で楽しく過ごせたのは、この二人がいてくれたことが大きい。文実の現役で無くなる3年以降も、出来れば社会に出てからも友人付き合いをしたいと思う。


「今度サネの家で飲もう」

「何で会場決定してんの?」

「俺達二人は家に彼女来るし」

「クソォ!」



「いらっしゃいませ。お待ちしていました」


 実務が終わってから、「お風呂にも入りたいので16時以降に来てください」と美園が言うので、こちらも風呂に入ってから彼女の家に向かった。

 時刻は16時10分、オートロックの入り口を美園に開けてもらい、部屋に向かって玄関から招き入れてもらいスリッパを履くと、両腕を広げた美園が僕を待っていた。


 ニヤケを隠すように苦笑しつつ、そのまま彼女の腕の中へと歩を進めて、腕を背中に回して抱きしめると、美園も広げた腕を畳んで僕に抱きついた。風呂に入ると言った宣言通り、普段の彼女から香るかすかな甘い匂いではなく、いつもより強いシャンプーの香りが鼻孔をくすぐった。


「お誕生日おめでとうございます」


 耳元で囁くようにそう言う彼女の声に、「朝も言いましたけど」とくすりと笑う声に、首筋がぞくりとするのを感じる。今のもう一回、と言いたいところだがそろそろまずい。


「ありがとう」


 抱擁を終え、美園の肩に手を置いて正面から礼を言う。


「お料理の仕込みは終わっていますので、少しゆっくりしていてください」


 ニコリと微笑んだ美園は、そう言ってソファーまで僕の手を引いてくれた。


「今日は僕の分の紅茶はいいよ。食事前だし」

「それじゃあ私もやめておきます」


 スカートを抑えながら隣に座る美園を見ると、着ているワンピースは初めて見る物だとわかる。素材がいいから何でも似合うのかもしれないが、薄紫のそれは彼女の魅力を十分に引き立ててくれている。


「それ、新しい服? 良く似合ってる。可愛いよ」

「ありがとうございます」


 言葉こそ穏やかだったが、嬉しそうに頬が弛んでいる。しっぽがあればパタパタとしている事だろう。

 手をついてソファーの上をすいっと滑るように距離を詰めて来た美園の膝が、僅かに僕の脚に触れる。見てみれば、いつもならスカートで隠れるか隠れないかの膝が、今日はきっちりと外に出ている。


 立ち上がってみれば膝上数センチ程度かもしれないが、普段あまり見る事の無い美園の綺麗な膝は、妙な高揚感をもたらした。同時に、外ではあまり見せないで欲しいなあという嫉妬心と独占欲も芽生える。

 僕は意外と心が狭いらしい事に気付き、苦笑する。


「どうかしましたか?」

「何でもないよ。美園は可愛いなあって」


 下から覗き込みながら首を傾げる美園の頭を撫でると、「もう」と呆れたように笑った彼女が、僕の肩に頭を預けた。


「そう言えば、例のお願い。ちゃんと考えて来たよ」

「え。もうですか?」


 このままくっついてしまう前にと思って切り出すと、何故か美園は少し不満げに顔を上げた。


「もう、って?」

「ええと。何でもないです。お願いは何でしょうか?」

「うん? じゃあとりあえず……」


 少し早口になった美園に疑問を覚えつつも、僕は今から言うお願いを聞いてもらう方を優先した。


「これでいいですか?」


 ソファーから降りて、カーペットの上にぺたんと女の子座り――そんな座り方にも関わらず、背筋が綺麗に伸びているのが彼女らしくて魅力的だ――をした美園が、立ったままの僕に上目遣いで尋ねる。首を傾げながらの上目遣いは、体勢もあいまっていつもよりも破壊力が高い。


「うん。それでいいよ」


 そう言って美園の前に腰を下ろし、緊張を抑えてまっすぐ見つめる。


「じゃあお願いだ。しばらく、いいって言うまで目を瞑っていてほしい」

「どういう事ですか?」

「そういう事なんだけど……」


 純粋に、美園は不思議そうな顔をしている。不安にさせてしまうかもしれないとも思ったが、そんな様子は見えず安心する。


「目を瞑ればいいんですか? それだけでいいんですか? 本当に?」


 前のめりになった美園が何度も確認してくるが、それだけでいい。


「うん。目を瞑っている間にちょっと触るけど……あ、変な所は触らないから、絶対!」

「変な所ってどこですか?」

「……今まで触った事がある所しか触りません」

「よくわかりませんけど、する事はわかりました。お話はしてもいいんですか?」


 まだ少し頭に疑問符を浮かべたような美園だが、ひとまずは理解をしてくれたようで、前傾だった姿勢を元に戻した。


「それはもちろん。もし嫌だったらすぐに言って」

「牧村先輩は私が嫌がる事なんてしませんよ」


 堂々と言い切る美園に、一瞬釘を刺されたのかと思ったが、恐らく違う。この子は僕に全幅の信頼を寄せてくれている。もうそれだけでこのお願いをした価値はあったが、残念ながらまだ目的を達していない。


「約束する。それじゃあ」

「はい」


 言葉とともに目を瞑った美園は、僅かにだが顔を上向かせている。恋人に目を瞑ってくれと言われたのだから当然だが、僕がキスをすると思っている。もちろん実際にする訳だが、もうちょっと待ってほしい。

 座ったままずいっと距離を詰め、美園の両手に触れてそのまま指を絡ませる。


「目を瞑っているとくすぐったいですね」

「あ、ごめん」

「なんだか気持ちいいので全然嫌じゃないですよ」

「よかった」


 目を瞑ったままくすりと笑う美園の手をにぎにぎしつつ、彼女に顔を近付けると、それがわかるのか美園は少し顔を突き出した。

 一瞬だけ唇を重ね、また指に少し力を入れてから離し、右手を持ち上げて気障ったらしく口付けをすると、美園はふふっと笑った。


「王子様みたいです」

「彼女がお姫様だからね」


 照れ笑いの美園が「もう」と可愛く言っているが、確かに彼女はお姫様のようだと思う。手の甲にキスをした事といい、そんな比喩を口にした事といい、他の誰かに見られたら軽く死ねるが、二人だけの笑い話になる分にはこれもいい思い出だと思える。

 彼女の右手を持ち上げたまま、再び唇にキスを落とす。今度は一瞬ではなく数秒。唇を離し、美園の右手にそっと指を這わせると、僅かに体が震えた。安心させるように髪を撫で、もう一度唇にキスをした。


「ありがとう。もういいよ」


 キスをしては手に触れる。手に触れながらキスをする。そんな事をしばらく繰り返し、目的を達した僕は美園に合図を送った。


「今ので良かったんですか?」


 ぱちりと、その大きな瞳を開けた美園は、やはりまだどこか不思議そうに首を傾げた。


「うん。ありがとう」

「どういたしまして。と言うよりも、私がしてもらった気がするんですけど」


 笑いながら「いいんだよ」と言うも、美園は「はあ」とやはり納得がいっていない様子。


「じゃあもう一つお願いいいかな?」

「何ですか? 何でもいいですよ」

「今の誰にも言わないで」


 またも前のめりになった美園にそう言うと、彼女はしゅんとしながらため息を吐いた。「牧村先輩はそういう人でした」と残念そうに呟きながら、美園は元の態勢に戻った。


「誰にも言う訳無いじゃないですか」


 顔を赤くしてそっぽを向く彼女も、やはり可愛い。

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