第79話 不許可の前からと望まれる前から

 最近美園が僕に隠れて他の男とコソコソ連絡を取っている。

 お互いに予定がない時にはずっと一緒にいるので正直バレバレなのだが、彼女のスマホが震えた時にわざとらしく「電話?」などと聞くと、「お姉ちゃんです」だとか「乃々香です」と、あたふたしながら答える様子が可愛くて仕方ないので気付かないフリをしている。


 それに、指摘してしまうのは無粋だろう。美園はあと1週間を切った僕の誕生日の為に、プレゼントを選ぼうと懸命にリサーチをしてくれているのだから。

 気付いたのは先週の金曜、美園の部屋で「彼氏へのプレゼント特集!」と表紙に書かれた女性誌を見つけた時だった。9月18日の数字に何重にも丸が付いている卓上カレンダーと合わせて考えれば、いくらなんでもわかる。


 美園からなら正直何を貰っても嬉しいと思う。あり得ないだろうが、セミの抜け殻だろうと大切にする自信はある。

 ただし唯一問題なのは値段だ。美園はお金持ちのお嬢様だが本人に関しては金銭感覚がおかしい訳ではない。アクセサリーなどは着けていないし、着ている服や日用品なども恐らく一般的な女子大生の領域からはみ出ていない。そもそも女性ものは高くて驚く。


 しかし問題は他人に対して金を使う時、特に僕に対してはより顕著だ。僕と一緒に過ごすのだからいい所を、僕に食べさせるのだからいい物を。美園の想いは嬉しいが、そんな事が続けば情けない話だが、きっと僕が潰れてしまう。


 なので別の相談に乗ってもらっていた花波さんに、『美園に僕の誕生日プレゼント相談されたら、あんまり高いの買わないようにそれとなく言っといてください』と伝えておいた。花波さんからはサムズアップのスタンプが送られて来た。


「牧村先輩」

「ん?」


 本を読んでいた僕から少し離れてスマホを弄っていた美園が、気付くと隣にいた。


「18日ですけど、実務が終わったら私の部屋に来てもらえませんか?」

「いいけど、急にかしこまってどうした?」


 真面目な顔で正座をする美園の意図は何となくわかる。僕の誕生日を祝ってくれようとしているのだろうが、こんなに改まるような事だろうか。


「お誕生日のお祝いをしたいんです。……二人だけで」


 上目遣いでおずおずと尋ねて来る美園は、少し不安そうに「ダメ、でしょうか?」と呟く。


「むしろ最初から二人で過ごすつもりだったんだけど。逆に他の人も呼んでパーティーしましょう、って言われた方が困るかな」

「それじゃあ!」

「うん。楽しみにしてるよ」

「はいっ」


 喜色満面の美園だったが、僕の方をチラチラと見ながら足をもじもじとし出した。


「おいで」

「はいっ」


 指を挟んでいた本をベッドの上に置き、クッションを取ってから姿勢を変えていつもの彼女の定位置を用意すると、美園は嬉しそうに僕に背を預けた。

 思えば最近は美園がコソコソとスマホを弄っている事が多かったので、この体勢をとるのは数日ぶり。ほのかな甘い香りとともに預けられた背中は、無駄な肉など付いていないはずなのに何故かとても柔らかい。


 少し間が空いたせいか、僕の左腕を抱きしめる美園の腕に入る力も心なしか強く、背中よりも柔らかな、決して無駄ではない肉に、左腕が埋まるかのような錯覚を覚える。実際にどうなっているのかは、必死で目を逸らした。


「あー。こうするの久しぶりだな」


 正直まずいと思って、自分を誤魔化す為に頭を撫でながら話しかけたが、数日ぶりは久しぶりになるのだろうか。


「そう、ですね。何日かこうしなかっただけですけど、今とっても幸せです」


 穏やかにそう言う美園だが、後ろから見える耳が少し赤い。触れてみたいと思い彼女の頭に置いた手を下にずらすが、いきなり耳を触る度胸も無くそっと頬に触れた。

 ぴくりと反応した美園だが、そのまま何も言わずに僕の右手に自由を許してくれている。ふにふにと指先で押すと、柔らかく沈むクセに押し返す力が強い。それが不思議で少し繰り返していると、美園は「くすぐったいですよ」と優しく僕の右手に触れ、彼女の頬の上で手を重ねた。


「ごめん。嫌だった?」

「嫌じゃないですけど、ちょっと恥ずかしいです」


 笑いながらそう言って、美園は首を僅かに右に倒し、僕の右手の上に置いた時分の手のひらを少し押し出した。必然、僕の右手は美園の右頬をむにむにとする事になる。


「こっちの方が好きです」

「……次からそうするよ」


 彼女の言葉と頬と手のひらにサンドされた右手から伝わる幸福に、ノックアウトされそうな事を隠してそう言うと、ふふっと笑った美園は「お願いしますね」と少しいたずらっぽく応じた。


「牧村先輩」

 

 しばらくの間、無言で美園の頭を撫でたり頬をむにむにとしたりしていると、その間僕の手を撫でたり、抱きしめた左手に指を絡ませたりしていた美園が声をかけて来た。


「お誕生日ですけど、何かご希望はありますか? お料理もそうですけど、それ以外でも」

「料理は任せてもいいかな、というかお任せしたい。多分もう美園が一番僕の好みをわかってるから」

「光栄です」


 美園がくすりと笑うが、実際にそうだ。僕の母さんは過去に僕があまり好きではないと言った物を、「智貴これ好きだったよね」と大真面目に大量に作った事すらある。僕自身も自分の好物や好みの味付けには無自覚だった。


「それ以外だとどうでしょうか? 私に何かしてほしい事、ありませんか?」

「一緒にいてくれるだけでいいかな」


 美園にしてほしい事は普段からいくらでもしてもらっているので、誕生日だから特別にというものは特に無い。しかし美園は「むぅ」と僅かに不機嫌な様子を見せている。


「張り合いが無いです。牧村先輩の20歳のお誕生日なんですよ? 何でもいいんですよ?」

「そう言われてもなあ。逆に美園は何かある? 美園の誕生日にしてほしい事」


 30日の美園の誕生日に向けてプレゼントは考えてあるしプランもいくつかに絞り込んだが、せっかくだから聞いてみた。


「私はありますよ。お誕生日に牧村先輩にしてほしい事」


 自慢げな美園の言葉は少し意外だったが、同時に嬉しさがこみあげて来た。なるほど、恋人のお願いを聞くと言うのは確かに張り合いがあるかもしれない。美園の言う事が少し理解できた。


「当然私のお誕生日は二人きりです」

「それ僕のと変わらなくない?」

「今のはまだ一つ目です。二つ目が大事なんです」

「じゃあ二つ目は?」

「まだ内緒です」


 何故か得意げな美園の頬を両手を使ってむにむにむにとすると、「変な顔になっちゃいます」と可愛い抗議の声が上がった。


「ちょっとこっち向いて」

「嫌です。前からするのは禁止です」

「大丈夫。絶対可愛いよ。あ、誕生日のお願いそれにしようか」


 本人は変な顔と言うが、きっとそんな顔も可愛いと思う。


「何でもいいって言ってくれたし」

「……本当にそんな事がいいんですか?」


 からかってみると、美園はいじけたような声を出した。


「ごめん。冗談だよ。美園が可愛かったからついからかってみたくなって」


 頭を撫でながら謝ると、「もうっ」と2回繰り返しながら、美園は僕の膝をぺちぺちと叩いた。


「ちゃんと考えとくから許してよ」

「ぎゅってしてくれたら許してあげます」


 わざと拗ねた声でそう言って、僕の前で器用に体の向きを変えた美園は、「はい」と笑顔で両腕を広げて見せた。

 体を起こしつつ、そんな彼女に腕を伸ばしながら背中に回し、僕の方へと抱き寄せ、抱きしめた。


「やっぱり、ぎゅってしてもらう時は前からの方が好きです」

「そうだな」


 美園の方も腕に力を込めた事で、ただでさえゼロだった距離がマイナスになり、同じ空間で重なっているかのようにすら感じる。彼女の香り、柔らかさが、耳元から聞こえる声が、よりダイレクトに五感をくすぐる。


「お誕生日、楽しみにしていてくださいね」

「ああ。期待してるよ」


 本当に。ただ、どれだけ期待してもあまり意味はないだろう。

 きっと美園と過ごす現実がその期待を上回ってくれる。それだけは間違いないのだから。

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