第58話 先輩のけじめとくじ運の弱い後輩

 18時からの夕食は地域の名産なども無く、ごく普通の和食だった。海有り県から海無し県に旅行に来たというのに刺身食わなくてもいいじゃないかと思う。宿の側からしたら僕達がどこから来たかは関係無い訳だが。

 明日のグループ次第ではあるが、昼食くらいはこちらの名産を食べたいなと思う。


「じゃあ19時から宴会場借りてるんで、時間までには集まって」


 そろそろ食事を終える者も出てくるという頃、委員長のジンの声が広間に響いた。

 宴会場を借りられる時間は決まっているので、遅れれば遅れた分だけ飲み会の時間が減る為、皆が素直に返事をしている。


 18時50分、サネと一緒に宴会場に入ると先に来ていた志保が「こっちこっち」とサネを手招きしたので、それに連れられて必然僕もそちら、美園の隣に座る事になる。


「おっす」

「お疲れです。宴会の前にレジュメ1個見るんですよね?」

「名目は合宿だからな」


 サネと志保のやりとりを横目に「やあ」と軽く手を挙げると、美園はニコリと微笑んで軽い会釈で返してくれた。サネがそれを見ていたらしく、僕の脇腹に弱めの肘が入った。


「その後は明日の班決めのくじ引きですよね?」

「ああ、そうだよ」


 少し緊張したような美園に尋ねられ、僕も少しだけ緊張しながら答えた。夕食後にドライバー組はもうくじを引いてあり、誰の車に何人が乗るかは決まっている。

 僕の7号車に乗る1年生は二人。行きよりも美園が乗ってくれる確率は下がったので、実は結構憂鬱だったりする。


「やっぱり元気がないみたいです」

「そんな事無いって」

「そうですか?」


 心配そうに言いながらも、美園は自分の太ももをこっそり指差しながら、少し首を傾げた。


「おっ……ここでそれやられても困るだろ」

「そうですね」


 焦って変な声が出そうになったのを抑え、努めて冷静を装ったが、対して美園はふふっといたずらっぽく笑った。

 万が一ここで美園の太ももにダイブしようものなら、僕は頭のおかしなセクハラ加害者、美園は可哀想なセクハラ被害者となり、僕は間違いなく色んな意味で終わる。

 皆の前で膝枕をさせて、恥ずかしそうにする美園を見たいという欲求もあったが、流石に残りの学生生活と引き換えには出来ない。


「なんかイチャついてる人達がいますよ、奥さん」

「あらやだ。若いっていいわねー」

「イチャついてねーよ。あと裏声がキモイ」


 隣の二人から茶々を入れられてしまい、小声で抗議する。

 しかし、恥ずかしそうにする美園を見たいという欲求は、そのおかげで叶った。



「第1のステージバックは私が票を入れた物が選ばれましたよ」

「この紅葉のやつか。僕が入れたのは1個も選ばれなかったな」


 合宿の名目を保つ為に配られたレジュメには、投票で選ばれた文化祭の看板やステージバックがカラー印刷されている。案の時は数が多かったので、各々ホームページ上で確認という事になっていたが、決定版は1枚で済むために全員分が印刷されている。

 因みに文実のホームページで公表されるのは来週から。今日は先行公開のような物だ。


「俺の選んだのは看板の内一つだけ選ばれたな」

「私は2ステと3ステのバックですね」


 サネと志保も投票した物が選ばれていて、僕だけ全て外した。イコールセンス無しという訳では無いが、何となく悔しい。


「じゃあ、何かある人いますかー?」


 声を張り上げたジンに対して誰も何も言わない。もう決まった事に何を言っても無駄だし、ここが長引くとこの後の時間が減る。致命的な問題があれば別だが、わざわざ全員の怨みを買おうとする奴はいない。


「じゃあこれで終了。明日の班決めするからドライバー以外は前でくじ引いてって」


 その声に半分くらいのメンバーが立ち上がる。ドライバーと、後から引けばいいやという者は座ったまま。志保と、意外にも美園も勢いよく立ち上がった側だった。


「じゃあ行ってきますねー」

「頑張ってきます」


 軽い調子の志保と、対照的に何となく緊張の面持ちの美園は、1年生用の箱の列に並んだ。


「一緒になれるといいな」

「……ああ」


 ポンと、僕の肩に手を置いたサネに、本心で応じた。


 ドライバーはくじを引かないので暇だ。しばらく全体をぼーっと眺めていると、美園と志保が戻って来た。二人とも表情の変化は無く、美園は緊張した様子のままだし、志保は軽い雰囲気を纏っている。


「まだ中身見てないんですよ」


 僕とサネにそう説明した志保は、隣の美園を見ながら「せーの」と声を掛けた。

 そして二人は、僕達にもみえるように同時にくじを開いた。

 見えた数字は7。ただし志保の手の中だ。美園は5と書かれたくじをじっと見ている。


「何でそんなハズレ引いたみたいな顔してるんですか。失礼ですよ」


 志保が僕を見て憤慨しているが、ハズレを引いて残念な訳ではない。当たりを引けなくて悲しいだけだ。


「気にするなよ」


 自分でも何を言っているかわからないが、仕方ない事だと思う。


「美園は俺の車か」

「あ、そう、なんですね。よろしく、お願いします」


 そんな僕の横で、サネがどこか気まずそうに、一瞬だけ僕を見ながらそう言った。

 そんなサネに、美園も少しぎこちない様子で頭を下げた。いつものような美しい所作では無かったように思う。



 旅行に来たという解放感からか、最初は静かに始まった宴会も、開始から30分は経った今では、普段の飲み会よりも盛り上がっている。


 くじ引きの後でそのまますぐに宴会がスタートしたのだが、例の約束があったからなのか若葉が即合流してきた。若葉はサネと志保と同じ担当で美園とも交流がある為に、事情を知っている僕から見てもその合流はとても自然なものだった。

 そうして合流した若葉がしばらくしてから長瀬と島田を、「今日の車で一緒に飲む約束をした」と言って――因みに同じ車だった雄一はいない――呼び、二人との約束を果たした。


 島田の方は露骨に美園に話を振って警戒――志保にだが――されていたが、長瀬は若葉との会話を中心にさりげなく周囲に話を振っていた。美園も少し硬い様子ではあったが、時折は控えめな笑顔も見せた。

 しかし、長瀬と島田にとっての約束の時間も長くは続かなかった。周囲がそんな様子を見ていたのか、美園と長瀬狙いと思われる男女がどんどん集まって来て、今や参加人数の半分近い集団が形成されている。


「いいのか? アレ」


 そんな集団から弾き出されるようにして壁際にいた僕に、集団から抜け出して来たサネが心配そうに声を掛けてきた。


「いいも何もどうしようもないだろ、アレ」


 大集団の中で、美園は楽しそうに周囲と話している。隣には志保もいるし、隣接しているのは女子ばかり。たまに男とも話しているのを見ると小さな嫉妬心が湧きはするが、恐怖に近いような焦燥はもう感じない。アルコールだけには気を付けて欲しいが。


「まあな」


 そう苦笑して紙コップの飲み物を呷ったサネは、「だけどさあ」と言葉を続けた。


「お前あっさりと弾かれ過ぎだろ。もうちょっと頑張れよ」

「男女入り混じった集団になったし、志保もいるから美園も困んないだろ」

「いやそういう事じゃなくてだな……お前はいいのか、って事だよ」

「……お前いい奴だよな」


 思った事を口にすると、サネは「そーゆーのはいいから」と照れ隠しの半ギレを見せた。


「いいか悪いで言えば良くないけど、けじめみたいなもんだよ」

「はあ?」


 後輩二人は、美園を狙うときっちりと明言した。僕は彼らにそれを出来なかった。だから、やろうと思えば出来たかもしれないが、ここで美園を連れ出すのはアンフェアだと思った。

 大集団になったせいで彼らが口説ける状況で無くなった、という事も精神的には大きいと思うが、それでも――


「あの子の前では常に胸を張れるようでいたいからな」

「お前さあ――」


 呆れたように頭を振り、サネは言った。


「やっぱりドクと同じだわ。絶対痛い奴になるぞ。というかもう痛い」


 文実の活動が本格化する秋までは、水泳部にウェイトを置いている為、ドクは来ていない。そんな友人の名前を出され、確かにあいつは痛い奴だなと思う。


「最近さ。ドクとか成さん見ると羨ましいんだよ。ヤバいよな?」

「成さんもかよ……。もう全部ヤバいわ」


 そう言って息を吐いたサネは、「付き合ってられん」と、別の集団に突撃していった。

 そんなサネを見送った視線を少し横に向けると、集団の中の美園と目が合った。意識して見ようとした訳ではないと思う。もう無意識に彼女を追ってしまっている自分に気付いて、目を離さないままに苦笑すると、美園は照れたように笑った。

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