第56話 黄昏れ先輩と海のイメージの向こう
「暑いわぁ……」
外気表示は30℃に届くかという程だった上に現在地はアスファルトの駐車場。車を降りた若葉がそうボヤくのも仕方の無い状況だった。
「まあ若葉さん、途中の道は日陰みたいだし滝まで行けば涼しいですよ」
「そうですよ。行きましょう」
「そやなぁ……」
しかし長瀬と若葉が並ぶと身長差が凄い。40cmくらいあるはずだ。若葉を挟んで長瀬と反対を歩く島田も僕と同じくらいの身長があるので、若葉とは30cm程差がある。捕まった宇宙人を彷彿とさせる。
普段なら少しは笑った光景だろうが、今はとてもそんな気分になれない。その三人組が話す内容を聞きたくなくて、出来るだけ離れたいくらいだ。
本音を言えば一人別行動をしたいが、流石にそれはいくらなんでも子どもじみていて情けない。今の自分が情けなくないかと言えば、全くそうは思わないが。
「あれ?」
ふと前の三人組を見て、一人足りない事に気が付いた。振り返ってみると、僕からすら少し離れたところにいる雄一は電話をしているようだった。
「マッキー?」
「暑いだろうし、先に行っててくれ。僕は雄一を待ってから行くよ」
「わかったー」
僕達が来なかった事で若葉が振り返ったが、雄一をダシにして先に行かせた。
同学年の友人と歩く機会を少し奪ってしまったので、雄一には悪い事をしたと思うが、何かで埋め合わせをするので許して欲しい。
「すんません、待たせちゃって」
「むしろ……いや、気にするなよ。あいつら暑そうだったから先に行かせた、悪いな」
「いやいや。電話してた俺が悪いんで」
「急用か?」
電話を終えて追いついて来た雄一は、少し気まずそうな顔で「いやー」と頭を掻きながら言葉を続けた。
「香さんに助けてもらおうと思って……」
「助け? 何の?」
と言うか僕には頼れないのかそれ? 地味に傷付くぞ。
「いやまあそれは……秘密っす」
「はぁ。で、解決したのか?」
「とりあえずは。『いい薬だからほっときな』だそうです」
どことなく気まずそうな雄一の発言は意味が分からない。
しかし他人の相談事に顔を突っ込むのも憚られるので、「そうか」とだけ伝えて、先行した三人の後を追う事にした。別に相談してもらえなくて拗ねてる訳ではない。断じて。
◇
午前中に見に行った滝は、想像していたよりも――ナイアガラのような大瀑布のイメージが強かった――小規模だったが、弧を描いた幅の広い崖から、水がしなやかに流れる様が綺麗だった。
説明書きを見ると、滝壺に落ちる水の多くが元は山からの湧水であるという事で、優しく流れる理由と、付近が思っていたよりも更に涼やかな訳が知れた。
滝壺の水辺に近付いてみると、前方だけでなく左右も滝の流れに囲まれたような気分になり、少し心が落ち着いたように思う。この景色を一緒に見たかったなと思い、何枚か写真を撮った。
今まで写真を撮るという習慣が無かったので、この時撮った写真もあまり出来がいいとは思えなかったが、それでも見てもらいたいと、そう思った。
心を落ち着ける事が出来たおかげもあり、その後の車中ではいつも通りに戻れたと思っている。もっとも、三人の口から美園の話題が出なかった事が、僕の平穏の一番の理由だが。
最初の目的地で少し長居した事もあり、当初の予定では隣県に入ってからの予定だった昼食は、結局県内でとる事になった。宿での夕食が18時からなので、昼食をあまり遅らせたく無いというのは、車内の総意だった。
「次左だって」
「了解」
隣県に入りしばらく車を走らせると、次の目的地が近づいて来た。
カーナビの音声を消してある為、若葉が目的地への案内をしてくれている。実際は彼女が何度も案内を忘れるので、自分でも時々画面を見ている。今回の目的地は行きたがっていたガラス工房なので、ちゃんとナビをしてくれているようだが。
「じゃあとんぼ玉作りからな」
車の中で決めておいた通り若葉がそう言って皆を先導し、湖畔にある工房のドアを叩く。
説明を受けて指導してもらいながらとんぼ玉を作り、更に冷却の過程があるので合計1時間30分程かかるらしい。という事は事前に若葉から説明があった。
「まずはベースの色を選んでください」
説明を受け終え、ガラス工房の指導員が僕達五人組の面倒を見てくれる。
とんぼ玉というのはひどく簡単に言ってしまえば、穴の開いたビー玉だ。正確には違うのだろうがどう違うかはわからないし、失礼な気がして指導員の方には聞けなかった。
今回の体験ではベースと模様で二種類のガラスを使って作成するらしい。それを聞いて、僕はベースも模様も迷わず色を決めた。
ベースとして選んだ色のガラス棒をバーナーで溶かして芯棒に巻き付けて球を形成していく過程は、指導員の方曰く「やり直しが効くから安心して」だそうだ。
「凄い集中してるっすね」
聞こえた声の主には悪いが、返答に割く余裕は無い。
僕はもう失敗の出来ない模様付けの段階に移っている。ベースとして選んだ透明のガラスに、透明度の高い青のガラスを溶かして模様を描く。
想像通りの模様を描く為、細心の注意を払って模様側のガラス棒をベースの球に触れさせていく。イメージを崩す訳にはいかないのだ。
◇
冷却過程の1時間は湖畔をドライブして過ごし、出来上がったとんぼ玉を受け取った。出来上がったそれは、工房に飾られている複雑な模様の物と比べれば稚拙な仕上がりだった。
しかし、透明なガラスに青い波模様を描いた、海をイメージして作ったとんぼ玉はとても満足のいく物だった。
より正確に言うのならば、それに対して美園のイメージを重ねているからで、しばらく眺めた後工房でひもを付けてもらいスマホケースに取り付けた。
「はあ……いいわぁ」
車中、隣の若葉は自分で作ったとんぼ玉を見ながらうっとりしていた。自分の名前をモチーフにしたのか、透明なベースに葉っぱのような緑の模様が入っている。
宿には17時までに着くようにと決まっているが、このままならば16時少し過ぎには着くペースだ。ギリギリに着くグループばかりではないだろうし、向うで暇を持て余すような事は無いと思う。
「若葉さん。さっきの約束忘れてないですよね?」
周囲の様子が目に入っていない若葉に、後部座席から島田が声を掛けた。割と真面目なトーンの「約束」という言葉に嫌な予感がする。
「おー。だいじょぶだいじょぶ。任しとき」
「お願いしますよ……」
軽さしか感じない若葉の返答だが、一応は忘れていなかった為、島田は渋々と言った様子で念を押して引き下がった。
「約束って?」
はっきり言って嫌な予感しかしない。聞きたくない話が飛び出す未来しか見えないが、聞かずにそれが起こるよりはずっとマシだ。
「今日の宴会の時に、美園と話せる場を設けてもらうんです。若葉さんに」
質問の答えは横からではなく、後ろから聞こえた。
「そういう事か」
平静を装ったが、内心は穏やかではない。
落ち着いたと思っていても、結局は目を背けていただけで、こうして目の前につきつけられれば、心中は大荒れだ。
◇
宿に着いたのは16時7分だった。
現在時刻は16時15分、同乗者達に、「少し疲れたから休んでく。時間までには宿に入るから」と嘘とは言えぬ嘘をつき、僕は一人で7号車の中にいた。
地球環境とガソリン代には悪いが、エンジンはかけたまま。8月の空は、冷房が無ければ一人車中で黄昏れる事も許してくれない。
スマホからとんぼ玉を外し陽にかざしてみると、屈折させられた光がキラキラと輝いた。綺麗だ。光その物だけでなく、その向こうのイメージも。
対して今の自分を鑑みると、とても情けない。
形はどうあれ後輩たちは自身の好意を以て行動に移そうとしている。腹立たしいのは、そんな彼らに嫉妬心を抱きながらも何も出来ずにいる自分自身。全く――
かざしたとんぼ玉を強く握った時、助手席側の窓が控えめにコンコンとノックされた。
「美園……」
微笑みながらそこに立っていた美園は、助手席側の窓を指差して口を開いた。「開けてください」だろうか。都合のいい妄想かと思って反応が遅れたが、僕は慌ててドアロックを解除した。
「お隣、いいですか?」
おずおずと、ドアを開けた美園は僕に尋ねた。冷静に考えれば、開けてくださいは窓の事だったのだろう。乗って来て欲しいという思いが強かったのだと気付き、恥ずかしい気持ちになりながらも彼女に頷いて見せた。
「失礼しますね。車に忘れ物をしたみたいで、ジンさんに鍵を借りて取りに来たら牧村先輩が見えたので」
そう言って乗り込んだ美園は「来ちゃいました」と照れくさそうに笑った。
「ありがとう」
自然と出た言葉が、何に対してなのかは僕にもわからなかった。
きっと美園にもわからなかっただろうに、彼女は優しく微笑んだ。
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