第55話 思い上がり
古典物理学の範疇において、例えばサイコロを振る時に常に全く同じ条件で試行を繰り返すとするならば、結果である出目も常に同じになるはずである。つまり極論を言えば、サイコロは練習すれば出目をコントロールできる訳だ。
だが中身の見えないくじ引きにおいて、結果に対する人間の努力とはどんな物が可能だろうか。
「マッキーさん、よろしくっす」
「ああ……よろしく」
文実の合宿当日、大学前の道には9台の車が止まっていた。時刻は7時40分、平日のこの時間なら車通りもほぼ無く、ご近所の迷惑にはならない。
全体の集合時間よりも1時間早く借りて来た車は便宜上1~9号車と名付けられており、僕が運転するのは7号車。
旅行担当が持っている1年生用と2年生用の箱からドライバー以外がくじを引いて、書かれた番号の車へと向かう。
「なんかテンション低くないっすか?」
「早起きしたから眠いんだよ」
7号車の横で待っていると7と書かれたくじをヒラヒラさせながら雄一がやって来て、低めのテンションでやり取りをした後で車のトランクを開けてやった。
「他の人はまだっすか?」
「ここはお前が最初だよ」
「そっすか。誰が来るんすかね」
着順でくじを引いてそのまま車へと向かうというある意味お楽しみタイムだが、僕にとって一番のお楽しみはもう終わった。雄一より少し早く到着した美園が、1と書かれたクジを持って7号車の横を歩いて行ったからだ。
美園は残念そうな顔で、「頑張りが足りませんでした。帰りのくじ引きはもっと頑張ります」と言って、気合を入れるかのように小さなファイティングポーズを取っていた。非常に残念ではあったが、その姿はとても可愛かった。
「お前が来てくれて良かったよ」
「お。なんすか?照れるっすね」
頭を掻きながら「褒めても何も出ないっすよ」と言う雄一だが、とりあえず僕が話せる相手が一人はいるというのは助かる。しかも雄一なら車内の雰囲気も盛り上げてくれる事だろう。
美園がいない事は残念ではあるが、違う場所を通って行く訳なので土産話を聞かせることが出来るとポジティブに考える事も出来る。そう考えると少しだけ心が軽くなった。
◇
「とりあえず私はガラス工房行ければ他はどうでもええよ」
助手席に座る若葉は宿のある隣県のガイドブックを後部座席に渡しながらそう言った。
「マッキーは?」
「僕は特に希望無いから、目的地決まったら教えてくれ。とりあえず最初のサービスエリアまでは走らせるから」
8時少し過ぎに大学前の道から出発し、今は高速道路の乗り口に向けて車を走らせている。距離と去年の記憶からすれば15分程度だろうか。
「コンビニ寄りたかったら言ってくれよ。高速乗る前にあったはずだから」
若葉だけとはいえ女子の手前、「トイレ行きたかったら言えよ」とは言えない。後部座席からは男三人の声で口々に大丈夫と言う意味の言葉が飛んできた。
7号車に乗ったのは、2年からは岩佐若葉。1年は小泉雄一、長瀬匠、島田彰の男三人で、奇しくも全員僕が話した事のあるメンバーだった、辛うじてだが。
1年の三人は、若葉から渡されたガイドブックやスマホを見ながら、ああだこうだと話し合っている。全員が他県出身者らしく、県内で見てみたいところもあるようだ。
車内には若葉が編集したというドライブ用の音楽が流れていて、今の曲は僕も聞いた事がある。その若葉はスマホで恐らく調べ物をしているし、後ろの三人は候補地選びに忙しい。ドライバーでなかったら少し気まずかったかもしれないが、やはり運転に集中すればいいドライバーは楽だ。
学生は夏休みだが、世間は普通の平日。高速乗り口までの道は、信号以外に遮る物も無く快適に流れて行く。大学付近の田んぼが見える景色から市街地へ、そしてそこを通り抜けてまた少し景色が寂しくなれば、すぐそこは高速の乗り口だ。
◇
「とりあえず滝で」
「了解」
高速に乗って5分程、後ろの三人を代表して雄一から声が掛かった。ミラー越しに後ろを見ながら返事をすると、島田と目が合ったがすぐに逸らされた。男と目が合っても嬉しくないのでそれは別に構わないのだが、それにしては先程からチラチラと見られている気がする。今は前に車がいないから構わないが、サービスエリアまではちょっと遠慮して欲しい。
「じゃあそろそろ自己紹介いっとく?」
「いっちゃいますか?」
取りあえずの行き先――サービスエリアを除く――が決まり、1年三人がフリーになった事が理由なのか、唐突に若葉が後ろを振り返りながら声を掛けた。
そして雄一が後部座席中央から、ハイテンションで前に乗り出して来る。僕だからいいが、他の車には運転に慣れていないドライバーもいるので、後で注意しておこうと思う。
「じゃあウチからな――」
テンションが上がると一人称が「ウチ」になる若葉が、率先して自己紹介をしていく。僕にとっては既知の情報。今言わなかった彼氏の名前も知っている、一つ上のOBだ。
「――以上やけど、何か質問ある?」
「はい! 彼氏はいますか?」
そんな事を思っていたら、若葉の自己紹介が終わって即、雄一から質問が入った。
「若葉さんならいるだろ」
「お、匠そーいうのいいよ~」
長瀬のおだてに、上機嫌になった若葉が、彼氏であるOBの事を話し終えると、僕を飛ばして1年生の自己紹介タイムへと移った。
島田、雄一、長瀬と順に自己紹介をしていくが、得た情報は学部学科専攻と文実内のポジション。島田は委員会企画のイベント企画担当で、長瀬は同じく委員会企画のステージ企画担当、今年の文化祭のオープニングでステージに上がるらしい。身長が高く容姿も整っているのできっとステージ映えするだろうと思う。
「匠は彼女おらんの?」
「ちょっ。若葉さん、俺達には聞かなかったじゃないっすか」
最後の長瀬の自己紹介が終わったタイミングで、若葉が質問を投げかけたが、島田と雄一にはその質問は無かったので、雄一は勢いよくツッコんだ。
「だっておらんでしょ?」
そして即撃ち落とされ、巻き込まれた形になった島田と一緒に黙らされた。そんな車内の様子に苦笑しながら長瀬はさらりと言った。
「彼女いませんよ」
最初か最後に「今は」を付け足す事など必要が無い。誰が聞いても「今は」なのがわかるし、本人もそんなところで見栄など張る必要が無いのだろう。しかし――
「気になってる子はいますけどね」
またもさらりと言い放ったその言葉に、隣の若葉は「おおー」と感心しているが、僕の心拍は一瞬で跳ね上がった。
「誰? 誰?」
僕の心拍同様なのか、若葉のテンションも一気に跳ね上がった。後ろを振り返り、早く言えとばかりに長瀬を急かしている。
一方僕はミラー越しに後ろを確認すらしなかった。出来なかった言った方が正しいのかもしれない。スピードメーターの示す100km/hは変わらないが、体感速度は大分遅くなった気がする。
「もうちょい後のお楽しみという事で。まだ牧村さんの自己紹介が残ってますから」
「マッキーでええよ」
お前が言うな。呼ばれるのは構わないが、せめて僕に言わせてくれ。
「じゃあマッキーの番ね。はい」
「流れ作業みたいに言うなよ」
とは言ったものの、もったい付けられて順番が回って来るよりもこういうぞんざいなほうが気は楽で助かるのだが。
「じゃあ、運転してるから簡単に。名前は――」
宣言通り短く終わらせたが、この後はあまり聞きたくない話になりそうでもうちょっと長く話せば良かったかなと思った。しかし話すネタが無いのでどうしようもない。適当な質問でも飛んでこないだろうか。
「質問してもいいですか?」
まるで心でも読んでくれたかのように、運転席の後ろから島田が声を掛けてきた。
「ええよ」
だからお前が言うなよ。とは思うものの、あまり話した事の無い後輩との間に入ってくれるのは正直助かる。
「じゃあ」
後部座席の様子は窺えないが、なんとなく言いづらそうな雰囲気を感じ、身構えざるを得ない。
「ぶっちゃけ君岡さんとはどういう関係なんですか?」
さっきの長瀬の話もあって何となくの覚悟が出来ていたおかげか、その話を振られても意外と僕は冷静だった。
「おいそれ、前に言っただろ」
何故か雄一の方が焦っていた。隣の若葉は僕ではなくそんな後部座席を見ている。
「だってお前に聞いてもはっきりしないし」
「いや、だから――」
「俺も聞きたかったですね」
「じゃあウチも」
長瀬の参戦に、若葉も食いついた。以前の事と先程の話をこの会話に繋げて考えれば、やはりそういう事になるのだろう。
ここに来てようやく後ろを確認できたが、何故かアワアワしている雄一を除けば、隣の若葉を含めて全員の視線が僕に集中している。
「後輩だよ。同じ担当の」
出来るだけ感情を出さずに、呟くようにそう言った。大事な、大好きな。そうは付け加えられなかった。ハンドルを握る手に力が入ったのを感じる。
「じゃあ狙ってもいいんですよね?」
正直言えば死ぬほど嫌だ。全力でやめて欲しい。それを口にしてしまいたい。
さらりと言った長瀬に「おい抜け駆け」と島田が抗議しているが、そんな様子がどこか遠くに感じる。
「僕はそれをどうこう言う立場に無いよ」
そう、無いんだ。片想いという点で、この二人と僕に違いは無い。「やめろ」と、心の底から言いたい言葉を発する資格が、僕には無い。
「協力しよか?」
やめろ。心の中ではその言葉の嵐が吹き荒れている。
「若葉さん!」
「何? 雄一も美園狙い?」
「そうじゃないっすけど……」
勘違いをしていた。以前はそうではなかったはずだ。
一緒にいる内に、美園に惹かれる内に、少しずつ増長していったのだと思う。
美園を想う事も、隣にいられる事も、あまつさえいつか好意を向けてもらえる事も、全部自分だけの権利だと。
なんて甚だしい思い上がりだろうか。
「じゃあ若葉さん、お願いしてもいいですか?」
「あ、俺も。俺もお願いします」
「えー、二人かー。まあ考えとくわ」
このまま一緒にいればいつか、などという甘え切った考えが如何にふざけたものだったのか、それを今思い知った。
情けない事に、そんな当たり前の事すら自分一人では気付けなかった。
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