第54話 理系の先輩とスリッパの行方
8月の第3金曜日、夏休み中ではあるが、およそ2カ月ぶりとなる文実の全体会が開かれる。来週の火水には合宿と言う名の旅行がある為、既に帰省から戻って来ているメンバーもそこそこ多いらしい。
とは言え流石に夏休み、全体会の参加メンバーは前期中と比べれば少ない。そう予想されていた。
例年夏休み中初回の全体会は、定員30人程――詰めて座っても40人強――の委員会室で行われる。お盆明けの週までは、他の教室が借りられない事が理由だが、それでも毎年なんとか委員会室で全員座れる程度しか集まらなかったそうだ。
しかし、今年は参加人数が意外と――特に1年生だけで30人近くいる――多く、2年生男子を中心とした一部は立ち見状態だ。
全体会の開始前に、美園、康太、長瀬の周囲に人だかりが出来ていたので、多分その辺りに原因がある。相変わらず凄いなとしか思えない。
「なあ、どれにする?」
横で一緒に立っているサネが、スマホを見ながら小声で話し掛けて来た。別にサボっている訳ではなく、僕も他の委員達も同様にスマホを見ている。因みにドクは水泳部の合宿と被った為来ていない。
何を見ているかと言えば、お盆前で締め切られた、文化祭の看板やステージバックのデザイン案の応募ページだ。第1ステージのバックデザインは、文化祭で最も目立つ為に応募が他より多いが、その他は一つに対して10案程の応募があった。今年はロゴの関係上か、和風を意識したデザインが多い。
以前は全ての案を印刷していたそうだが、カラーでこの数を全員分と言うのは厳しいので、各々スマホで確認して欲しい、という事になったらしい。
「ログインしないといけないから面倒だよな。投票いつまでだっけ?」
「明後日だよ。因みに僕はもう済ませた」
「早漏だな」
「全然違うだろ」
万が一にも美園の耳に入ったらどうしてやろうか。ちらりと美園を見てみるが、隣の志保と一緒にデザイン案に夢中になっている。心から良かったと思う。
僕とサネが話しているのは、応募の終わったデザイン案を本格採用するための投票について。
案の閲覧自体は誰でも出来るが、投票には学内ネットとリンクしたページにログインする必要がある。つまり現役の学生だけしか投票出来ない。ネット投票の黎明期にはそんな風にはなっておらず、おもちゃにされた事もあったらしい。
因みに誰がどれに投票したか、今何票入っているかというのはわからないようになっている。特に前者の方は、文実側でもシステム課に問い合わせないとわからない仕様らしい。
「しかしまあ、これが決まると忙しくなってくるな」
「だな」
◇
今日は出展企画の部会で話し合う事は無く、軽い挨拶とお土産交換会を済ませて解散となった。因みに、委員会室内は広報宣伝部の部会で使われるので、出展企画は廊下でだ。
そして、メンバーがいる担当は少し雑談をしているが、基本的には担当会も無い。
「いつもお世話になっているお礼です」
そう言って美園が、香と雄一に小さな土産袋を渡している。第2ステージ担当は全員集合だ。
「お、さんきゅー」
「ありがと。実家の方のお土産?」
「はい。ありきたりな物ですが」
異口同音の「開けてもいい?」に、コクリと頷いた美園に、二人が袋を開けて取り出したのは、金属製のオシャレなブックマーカーだった。
口々に褒める二人に、美園は照れて謙遜をしていた。
「ん? マッキーさんのは無いのか?」
「僕はもう貰った」
そんな様子を見ていた僕に気付いたのか、雄一が美園に尋ねた質問だったが、彼女が答えるよりも先に僕が答えた。
雄一は僕を見て、美園を見て、その後に香を見て頷き合った。
「じゃ、私帰るね。美園ありがとね」
「俺もお先っす」
そう言って二人はさっさと帰って行ってしまった。
「何だあいつら?」
と、美園に声を掛けてみたが、美園は俯いて「どうしたんでしょうね」と小さく呟いただけだった。
「どうか――」
「美園ー。帰ろー」
確認の為に声を掛けようとしたタイミングで、丁度志保が近づいて来た。
「ん。どうしたの? マッキーさんに何かされた?」
「するかよ」
志保の声にビクっと反応して顔を上げた美園の様子に、志保は僕の方を見ながらそう言った。少なくとも美園が嫌がる事は絶対しないぞ。
「ううん。何でもないよ。しーちゃんはもう帰れるの?」
「うん。いつでもいいよ」
心配そうにのぞき込んだ志保に、美園が笑顔で応じると、自慢げな表情を僕に向けながら志保は口を開いた。
「今日は美園の家に泊めてもらうんですよ。羨ましいですか?」
「そうか」
言えはしないが正直羨ましい。そして美園の手前羨ましくないと嘘も吐けないので、適当な返答だけしか出来ないでいると、何故か美園が僕をじっと見ている。
「牧村先輩も今度お泊りしますか?」
聞こえた言葉に返答が出ない。それ前にダメって言ったヤツだよね。
僕がフリーズしていると、美園は真面目な顔を崩して、いたずらっぽく笑う。
「冗談ですよ。さあ、行きましょう」
そう言って、軽い足取りで共通G棟の出口へ向かって歩き出した美園を、僕と志保は慌てて追いかけた。
「びっくりしたー」
「なあ」
志保と目を見合わせると、彼女もやはり同じように驚いたらしい。
以前美園は何気なく同じ事を言った訳だが、その時とは認識が違っているはずだ。なのにまさか、それが再び彼女の口から出るとは思わなかった。
「凄い上機嫌じゃないか? あんな冗談言うなんて」
「いやー、冗談と言うか……まあ上機嫌なのは確かですね」
志保は苦笑しながら言葉を続けた。
「今日来る前に家に行った時からですかね。最初からずっと機嫌良かったですよ」
「いい事でもあったのか?」
「久しぶりに私に会えたからじゃないですかね」
志保が冗談めかして言うが、僕はそれを鼻で笑って見せた。
「それならまだ、スリッパでも褒めたって方が可能性があるな」
「なんか腹立つけど、スリッパって何の話ですか?」
こちらも冗談めかしてみたが、それに対して志保は怪訝な反応だ。一目惚れしたお気に入りのスリッパを褒められれば、志保に会うよりも上機嫌になるだろう、との冗談だったのだが。
「え、いや。スリッパ、履いてなかった?」
「なかったですね」
フローリング部分とカーペット部分のある美園の部屋では、履いたり脱いだりしなくてはならないので、面倒にでもなったのだろうか。
あれだけ気に入っていたようだったのにと、少し腑に落ちない思いで僕は美園を追いかけた。
◇
「いよいよ来週かぁ」
「うん。楽しみだね」
僕の前を並んで歩く美園と志保は、来週の旅行について話をしている。流石に三人横並びだと車道にはみ出るので、必然僕が後ろにつく。三人組あるあるだが、時折美園が振り返ってくれるので寂しくない。前方には気を付けて欲しいが。
「牧村先輩はドライバーなんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「大変ですねえ」
「まあ体力的にはそうかもだけど、気は楽だよ」
「そういうもんですか」
旅行はレンタカーを借りて、車単位で宿に向かう事になっている。参加メンバーが一堂に会するのは、宿にいる間だけ。行き帰りともに車単位での行動になるので、観光や遊びに行く場所、極論ルートすらバラバラの可能性もある。
ドライバーはその行き先決定を同乗者任せにしてしまえるので、僕の場合は楽なのだ。ナビに従って車を走らせるだけでいい訳だ。後ろ向きの理由なので口にはしないが。
「誰がどの車に乗るかは、当日までわからないんですよね?」
「うん。行きは当日の朝くじ引きだし、帰りは宿についてからまたくじ引きだからな」
「9分の1ですか……」
車は9台なので、美園が少し不安そうに呟いた通り、誰の車に乗れるかは単純計算で9分の1――正確には少し違うが――だ。
参加人数は総勢43人。2年生18人に1年生25人が、9台の車に分れて宿を目指す。
ドライバーは全て2年生で、9台の車にそれぞれもう1人ずつ2年が乗る。残りに1年生となるが、1年生が3人ずつの車が7台と、2人ずつの車が2台の計算だ。
「くじ運が重要ですねぇ」
「まあ、よく知らない奴とはこれを機に仲良くしましょう、って狙いもあるからな」
皆仲のいい奴と同じ車に乗りたい訳ではあるが、建前上はこうなっている。
「本音は?」
「話しやすい人が乗ってくれるといいなと思う」
いやほんとに。いくらドライバーが気楽とは言え、全員あまり話した事が無いとなると僕にとっては結構厳しい事になる。2年に他部の女子が来て、1年も全員他部となったら詰みに等しい。しかも確率上はそれが割と起こり得る。
「じゃあ美園か私が同じ車だと嬉しいですか?」
「嬉しいな」
情けなくも即答したし、美園の場合は二重に嬉しい。
「私も! 牧村先輩の車に、乗りたいです」
照れた様子で美園はそう言ってくれた。挙手でもしそうな勢いに微笑ましくなると同時に、心が温かくなる。たとえ社交辞令だとしても、もうこれだけでたとえ同じ車になれなくても頑張れる気がする。同じ車に乗って欲しいけど。
「じゃあくじ引き頑張らないとね」
「うん!」
理系的には否定したいところだが、頑張って欲しい。
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