第53話 つまらない話と用意がいい後輩
嬉しい限りだが美園は僕にお土産を渡したかったとの事だ。それならバイト中に来ずにバイト終わりの時間を確認して――暗い中一人で歩かせたくは無いが――来ればよかったのではないか。
そう尋ねてみたら美園は「そう言えばそうですね」と言ってやわらかく笑っていた。僕としては会える回数が増えたので万々歳ではあるのだが。
因みにお土産を受け取ろうとしたら「せっかくなので寄っていってください」と言って、何故か渡してはくれなかった。
しかし僕はどこにも行かなかったせいで、こちらにはお土産が無い。貰えるのは嬉しいが何とかしたいなあとも思う。
「どうぞ」
「お邪魔します」
「はい。いらっしゃいませ」
ニコニコと笑う美園が玄関を開けて僕を招き入れてくれた。今日はずっと上機嫌に見える。ここまで歩いて来る途中でも腕の振り幅がいつもより広かった気がする。
そして僕は、そんな美園の手が気になって気になって仕方なかった。理由があったとは言え一度、いや二度繋いだせいで、また繋ぎたいという欲求を抑えるのに必死だった。
「これをどうぞ」
聞こえて来た声に頭を振って邪な考えを吹き飛ばして美園を見ると、屈んでスリッパを出してくれていた。
決して見えはしないのだが、その姿勢とスカートの視線誘導力が高すぎる。僕は再び頭を振るハメになった。
「どうかしましたか?」
「いや……そのスリッパ、前には無かったなと思って」
「あ、これですか?」
スリッパの話題を出した事が嬉しかったのか、美園は笑顔でスリッパを手に取って僕に見せてくれる。僕に出してくれた物は黒地、美園が持っている方は白地に、それぞれ白と黒のペンギンのシルエットが控えめに描かれている。
「この間買って来たんです」
「水族館のか」
「はいっ」
美園の部屋はキッチンやダイニング部分がフローリングとは言え居室部分はカーペットが敷いてある。一人暮らしの部屋でスリッパは中々珍しいと思う。実際に以前の美園は使っていなかった。
「シンプルだけどいいデザインだな」
「はいっ。一目惚れして買っちゃいました」
嬉しそうに買った経緯を話してくれる美園を見ながらスリッパを履いた訳だが、二足のスリッパはペア商品のように見えてこそばゆいというか同棲でもしているような気分になる。同棲したいなあ。
「牧村先輩、ご飯まだですよね?」
「あ、うん」
また余計な事を考えていたが、何とか今回は頭を振る事無く反応を返す事が出来た。
美園はニコリと微笑んで僕をダイニングのテーブルへと案内してくれ、今は髪を纏めて入念に手を洗っている。
「作りますから少し待っていてくださいね」
「いや、悪いしいいよ。それに間に賄い食べてるから、軽く済ませるつもりだったし」
「軽い物を作ります」
「いや、あの……」
「作りますね」
「……はい、お願いします」
「任せてください」
これからお土産をもらう立場なので、いくらなんでも食事を作ってもらう訳にはと遠慮したのだが、結局僕が折れた。心情的にも味覚的にも美園の手料理を食べたくないはずなど無いので、遠慮という壁はあっさりと壊された。
そんな僕を見ながら満足げに笑った美園は、「実は準備をしてあります」と付け加えて冷蔵庫を開いた。
「サンドイッチ?」
「はい。パンも切ってありますし、具の準備も万端ですから、すぐですよ」
「ありがたいよ」
「具は何がいいですか?」
「お任せでいいかな?」
「はい。任されました」
レタス、きゅうり、トマトなどの野菜類、卵はペースト状になった物とゆで卵の形が残った物の両方、ツナマヨにハム。一般的なサンドイッチなら何でも作れそうな種類の具が、たくさん用意されている。
正直全部食べたいのだが、それには少し腹の余裕が足りない。お任せしてオススメを頂く方がきっと僕にとっていい結果になる。そう思って、テキパキとサンドイッチを作る美園の後ろ姿を眺めた。
同棲したらこんな感じかなあなどと先程の妄想の続きをしていたので気付かなかったが、出来上がっていくサンドイッチの量が明らかに多い。
「美園の分を考えても多くない?」
「え? 私は先に頂いていますよ」
振り返ってきょとんとした様子で首を傾げる美園に、「え、じゃあそれ全部僕の?」と尋ねてみると、少し不安そうな顔になった美園は、おずおずと口を開いた。
「よかったら明日の朝の分もと思ったんですけど。ご迷惑でしたでしょうか」
「いや、まるで全然、迷惑なんかとは程遠い」
「それじゃあたくさん作りますね」
「よろしく」
せっかく作ってもらった物なのに残さざるを得ない量である事が不安だっただけで、翌朝の分まで作ってもらえるのは実際ありがたい。申し訳なさもあるにはあるが、やはりありがたいし何より嬉しい。
「では、出来た分からどうぞ」
「ありがとう。美味そうだよ」
ふふっと笑う美園に「いただきます」と言って、レタスとハムにきゅうりが挟まった物から口を付ける。
「美味い」
正方形のパンを半分に切った直角二等辺三角形のサンドイッチはこれでもかとばかりに美味い。市販の物や過去に自分が作った物とは比べ物にならない。ハムと野菜のサンドイッチで何故これほど差が出るのだろうか。
「お塩やワインビネガーなどで少し下味を付けてあります。お口に合いましたか?」
アイスティーを出してくれた美園に頷きながら「ありがとう」と言うと、彼女は顔を綻ばせた。
その後食べたツナマヨや卵なども、あまりに美味過ぎたせいで、当初の腹の空きスペースを早々に使い切ってなおそれなりの量を頂いた。少し苦しいが後悔は一切無い。
そんな僕を、正面に座った美園は何も言わずニコニコと見ていた。
◇
「ごちそう様でした」
「お粗末様でした。残りはタッパーに詰めてお渡ししますね」
「ほんとありがとう。明日の朝もこれがあると思うと、嬉しい限りだよ」
前にも似たような事を思った気がするが、こればかりは仕方ないだろう。嬉しくてどうしようもないのだから。
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
顔の前で手を合わせた美園が、言葉通り嬉しそうにニコリと笑う。
「あ。忘れない内にお土産をどうぞ」
青を基調に、可愛らしくデフォルメされたシャチの絵が描かれた紙袋を、美園が「お好みに合うといいんですけど……」と言って、おずおずと差し出して来た。
「ありがとう。嬉しいよ」
内心の喜びを出来るだけ表して受け取り、「中見ていいかな」と尋ねると、緊張した様子の美園は小さく頷いた。
思っていたよりも少し重い袋の中身を見てみると、お菓子と思しき平らな缶と、マグカップとカトラリーセットが入っていた。
「どうでしょう?」とでも聞きたそうな美園に、笑顔で頷いて見せると、彼女は安心したように息を吐いて笑った。
「家に帰ったら早速使わせてもらうよ」
前に美園にプレゼントを贈った時、僕はとても緊張した。今は立場が逆になったが、彼女も多少緊張していたように見えた。僕の事を少しだけでも考えてくれた証拠のような気がして、申し訳ないがそれがとても嬉しい。
「はいっ。是非使ってください」
満面の笑みを向けてくれる美園が可愛い。花火大会で彼女に触れ、その後会えない時間が長かったせいか、今日は自分の感情を上手く誤魔化せる気がしない。このままだと遠からずボロを出しそうだと思う。
「そう言えば……」
「はい」
このままずっと見ていたい、そんな欲求を内心死に物狂いではね退ける。
「色んなところ行ったみたいだね。写真ありがとう」
話題を変えたようとしたのはいいが、写真を思い出してニヤケそうになったのでまた舌を噛んだ。そろそろ舌が痛い。
「でも」
しかし、話題を変えた途端、美園は少し不機嫌そうに口を尖らせた。
「牧村先輩は、全然メッセージをくれませんでした」
「え」
「私からはいっぱい送ったのに。それには返してくれましたけど……」
拗ねたような表情、ではなくこれは実際に拗ねている。
「あー。僕はどこも行かなかったから、送る内容が無かったというか。バイトに行ったとか、飲み会やったとか麻雀やったとか送られても困るだろ?」
「困りません」
即答である。
「ええと。じゃあ、つまんない話しかないけど、聞く?」
「はい! 聞きたいです。聞かせてください」
一瞬で機嫌の直った美園は、期待のこもった目で僕を見て来た。期待されても、本当につまらない事しかないので、少し困る。
「じゃあまずは生協に行った時の事なんだけど――」
恋愛小説を買った事や、麻雀の時の会話の一部は伏せながら、本当にただ何でもない日常や飲み会の話をしたのだが、そんなつまらない話を美園はずっと笑顔で聞いていてくれた。
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