番外編 大好きな姉がおかしい

 今年15歳になる君岡乃々香ののかには姉が二人いる。

 6歳上の長姉、花波かなみは社交的で好奇心旺盛。色んな事に幅広く手を出すが、程々に手を抜いて気楽に生きていた。

 4歳上の次姉、美園は運動が少し苦手な以外は、大体何でも出来る自慢の姉。社交性は長姉と比べてそこまででも無いが、真面目で何に対しても一生懸命に取り組んでいた。

 乃々香が物心ついたばかりの頃は、長姉の花波にもよく面倒を見てもらったが、6歳という年齢差が、丁度二人の小学校生活を入れ違いにした。

 必然、中学生になった花波は乃々香の面倒を見る事が減り、次姉の美園が代わりに乃々香の面倒を見る事が増えた。因みに最初はその事に駄々をこねたらしい。という事を後に花波から聞かされた乃々香は、顔を真っ赤にして美園に謝った。


「おねーちゃん。おねーちゃん」


 そんな風に姉を呼びながら、乃々香が次姉の後ろをついて回るようになるまでに、しかし時間はかからなかった。何をするにも美園と同じ事を望み、また駄々をこねる。そんな乃々香に対し、美園が嫌な顔をする事は無かった。

 常に優しく、乃々香が良くない事をした時でさえ優しく正してくれる姉を、彼女は家族の誰よりも好きになった。

 美園は乃々香の自慢の姉だった。運動は少し苦手だったが、勉強も出来たし、ピアノも上手に弾けたし、立ち居振る舞いは美しく、家事も万能で、特に料理は母よりも上手だった。

 唯一不満だったのが、乃々香が何度言っても外見が地味なままだった事だ。別にそれが姉の魅力を損なうとは一切思わなかったが、せっかく元が可愛いのだからそれをもっと周囲にアピールさせたかった。

 結局、次姉の美園は大学入学を機に大幅なイメージチェンジを行ったのだが、それは長姉の花波のアドバイスによるものらしく、想像以上の姉の姿によくやったと思う反面、素直に褒めこそしたが面白くないと思う気持ちも強かった。

 そんな姉が夏休みで2週間帰省する事になった。2ヶ月休みがあるのだから8月中ずっといて欲しかったが、そこは我慢した。

 しかし、昼過ぎに帰って来た姉の様子はどこかおかしい。

 いつも穏やかだった姉が、落ち着きなくそわそわとしている。たまにスマホを取り出してみてはため息を吐く。


「お姉ちゃん、どうかしたの?」


 と聞くと「ううん。何でもないよ」と笑顔で返してくれるのだが、その笑顔はどこか寂しげだと思えた。


 決定的だったのは夕食の時。次女の帰省に合わせて家族全員で夕食をとる、という事は事前に決まっていた。当然主役は美園で、彼女の話を中心に、食卓は和やかな雰囲気に包まれていた。

 しかし唐突に響いたピコンという電子音が、一瞬にしてそこから主役を奪い去った。

 乃々香は「またカナ姉か」と思ったが、予想に反して機敏な動きを見せたのは次姉の美園だった。

 取り出したスマホを両手で抱え、嬉しそうに顔を輝かせる美園は、周囲の事など忘れたかのように、指を一生懸命に動かし、難しい顔をしたと思えばまた笑顔に戻る。

 花波が同じ事をすれば、父は間違いなく叱るだろうが、あまりに予想外の事態なのか、結局何も言わなかった。


「彼氏君?」

「ちち、違うよ!」


 動きの止まった父を他所に、母はのんきに尋ねたが、姉の反応は答え合わせのようなものだと、乃々香は思った。

 固まったままの父の横で母は、「あらそうなの」と姉の言葉を真に受けたのか、頬に手を当てて首を傾げていた。



 次の日、乃々香は二人の姉と一緒に水族館へと出かけた。

 あの後、姉は2回目の電子音に、スマホを取り出しこそしなかったが、露骨にそわそわとしだし、食事が終わるとすぐに部屋に戻ってしまった。

 花波から「疲れてるだろうから、色々聞きたい事は明日にしなよ」と言われ、渋々ながら美園の部屋への突撃は諦めたものの、言葉の通りに今日は色々聞かせてもらおうと思っていた。

 しかし、大好きなペンギンのコーナーで、目を輝かせながら水槽を眺める姉を見ていると、中々聞きたかった話が切り出せない。


「カナ姉はお姉ちゃんの彼氏の事知ってるの?」

「うーん。私からはなんとも。本人に聞いて」


 仕方ないので長姉の花波に聞いてみる事にしたが、返答は曖昧。しかしどうやら秘密を共有している事は確かなようで、やはり面白くない。


「ねえ乃々香」


 ムスッとしながら次姉の方を見ていると、突然振り返った美園が少し控えめな様子で、スマホを差し出して来た。


「どうかした?お姉ちゃん」

「写真撮ってくれないかな?水槽の前で」

「え?」


 そのお願いはあまりに意外なものだった。乃々香の横に立つ花波を見ても、驚いたような顔をしている。

 美園はペンギンが好きで、この水族館に来るたびにペンギンの写真を撮っていたし、つい先程までも撮影をしていた。だがしかし、今まで一度たりとも自分を写した事は無かった。父が「ペンギンの前で写真撮ってあげるぞ」とカメラを構えた時も、「私はいいよ」とにべも無く断っていたくらいだ。


「ダメかな?」

「ううん。そんな事無いよ」


 慌てて笑顔を作ってスマホを受け取り、姉に言われた通りのポジショニングから、少し照れながら控えめなピースサインをする美園を撮影していった。


「お姉ちゃん、どうしたんだろう」

「うーん。変われば変わるというか……」


 水槽の前で少し注目を集める姉に、誇らしいと思うよりも初めて見せるその姿に、乃々香は心配になって小さく呟いた。長姉の花波も、事情は知っているらしいが、それでもやはりまだ驚きがあるようだった。


「ありがとう乃々香。何か買ってあげるね」


 撮り終えたスマホを渡すと、美園は写真を少し確認した後、嬉しそうにそう言って乃々香の頭を優しく撫でた。


「このくらいなら全然」


 少しのくすぐったさと、誇らしさと嬉しさを隠さず、乃々香は大好きな姉に答えた。



「お姉ちゃん。さっきの写真は彼氏さんに見せるの?」


 花波が運転する帰りの車の中、乃々香は意を決して、後部座席で隣り合って座る美園にそう尋ねた。


「え!彼氏は、いないよ……?」

「嘘。お姉ちゃんわかりやすいもん」


 露骨に動揺した美園に、乃々香はそれを嘘だと判断した。

 これだけ綺麗になった姉なので、大学で彼氏が出来ても何の不思議も無い。父は目を背けるだろうが、乃々香としてはごく当たり前の可能性として考えていた。


「嘘じゃないんだけどなぁ……。本当に彼氏はいないよ」


 しかし、困ったような顔で続けた美園の言葉は、嘘だとは思えなかった。


「もう言っちゃえば?」

「うーん。お父さんとお母さんには内緒だよ?」

「うん。絶対言わない」


 運転席からの花波の声で、美園は乃々香に優しく微笑んだ。


「私ね。好きな人がいるの。とっても大好きな人」


 そう言った姉の表情は、乃々香が初めて見るものだった。物心がついて10年以上、ずっと見て来た姉の、それでも知らない顔。

 愛おしい物を見るような、大切な物を思い出すような、もしも乃々香の知っている言葉で表すのならそんな表情。


「だからね。その人に色んな私を見て欲しい」


 そう言った姉は、乃々香のよく知る穏やかな笑みを湛えていた。


「どんな人なの?」


 姉がその人の事を好きなのはわかったが、これだけ魅力的な姉の片想いだというのは少し、いやかなり許せないものがあった。

 さぞかし凄い人物でなければ姉をやるものかと、シスコンを全開にして発揮するつもりで、乃々香は尋ねた。


「聞きたい!?」


 しかし、思っていたよりも姉の反応は良かった。良過ぎた。

 運転席の長姉が「あ~あ」と小さくこぼしたのが聞こえて、ミラー越しにその顔を見ると、うんざりしたような表情を浮かべていた。


「牧村先輩って言うんだけどね。とっても誠実で優しくてカッコいいの。いつだって優しく紳士的でね、あっでも、時々いたずらっぽくて可愛いんだけど、でもね、もうちょっと素の牧村先輩も見たいなって思うの。あ、最初に会ったのは、去年の文化祭だったんだけど。その時も、見ず知らずであんまり態度も良くなかった私に親切にしてくれて、お願いも聞いてくれてね。私の事をちゃんと見てくれて――」


 聞かなければ良かった。

 帰りの車で30分程、出会いから含めて惚気話を聞かされた乃々香は後悔していた。

 ようやく見えて来た家がとても恋しく思えた程だ。


「じゃあ続きはご飯食べた後でね」


 乃々香はこの日初めて、自分の姉がとてもめんどくさい女だという事を知った。

 そして、もう二度と、二度とこの姉に想い人の事は尋ねまいと心に決めた。

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