第50話 彼女のいない夏休み

 週が明けて月曜日、今日は美園が実家に帰る日だ。

 荷物持ちを口実に駅まで見送りに行こうかと思い、「2週間じゃ荷物多そうで大変だな」とジャブを放ってみたら、「はい。だからほとんどは先に送っちゃいました」と美しいカウンターを決められた。

 なので早速暇だ。今日はバイトも無いし、特に約束も無い。勉強でもしようかと思ったが、後期分の教科書は後期にならなければ販売されない。過去の復習は午前中の内に既に飽きてしまった。


「さて、どうしたもんかな」


 8月前半、つまり文実の活動が無い期間は、2日に1回程の頻度でバイトのシフトを入れている。それ以外の日は、どこかでサネやドクを始めとした友人達と集まる事にはなるだろうが、基本的に日中は暇だ。

 少し早い昼食として、1人暮らしの夏の強い味方、そうめんを茹でて食べた。薬味も何も無しに、素のそうめんを食べ終えてさっさと片づけを済ませる。


 午後は取りあえず大学に行く事にした。目的の物がある訳では無いが、生協で面白そうな本でも探そうと思う。

 ハーフパンツとTシャツの部屋着から着替え、髪のセットを済ませたが、どう足掻いても美園に会う訳は無いのだから、別にセットしなくても良かったなと気付いた。そんな自分の発想に苦笑が出たが、まあ習慣化しておいて損は無いだろうと自身を納得させて、エアコンは消さずに玄関のドアを開いた。


 8月の12時台の熱さは想像していたよりも酷く、生協までは歩いて5分程度だが、それでも少し汗をかいた。控えめの空調なはずの生協内をとても涼しく感じた。

 夏休みではあるが、第1週はサークルや部活動で訪れる学生の為、生協は通常営業している。入口付近の食品コーナーには10人程がいたが、僕のお目当てである書籍コーナーは、全体で4、5人くらいだろうか。


 そんな閑散とした店内で、以前から気になっていた遺伝子工学の専門書と、ついでに同じく遺伝子系の一般書を1冊ずつ手に取って、普段なら行かない小説コーナーを覗いてみる事にした。

 大学の生協だけあって、漫画やライトノベルの類は売っていないが、それでも比較的最近の人気小説などはある程度取り揃えている。

 そんな中で、一際カラフルなポップで飾り付けられたコーナーが自然と目に入る。恋愛小説コーナーだ。「あなたも恋がしたくなる」などと言う陳腐な宣伝。大体既に恋をしている僕にはそんなものは響かない。僕は3冊の本を買って生協を出た。


「あれ。マキだ」


 生協を出たところで左から声を掛けられて、思わず生協の紙袋を反対側に隠すという、いかがわしい本を買った中学生のような反応をしてしまった。


「よ。久しぶり、ドク」

「そんなに久しぶりじゃないでしょ」


 ドクのバイトするコンビニにはよく行くので、最後に会ったのは3日前の試験が終わった夜だった。

 そんなドクの左隣には、少し日に焼けた、ショートカットの活発そうな女の子が、ドクと手を繋いで立っていた。恋人繋ぎで。


「今日部活か。そっちの子が噂の彼女か?」

「そうだよ。会うの初めてだっけ?」

「見るのも初めてだな」


 ちらりとドクの彼女に目をやると、少し緊張気味にペコリと頭を下げてくれたので、こちらも同じように返した。ドクの彼女が務まるだけあって、良く出来た子なのだろう。


「紹介するよ。彼女の上橋綾乃うえはしあやの。こっちは文実で一緒のマキ」

「牧村智貴です。よろしく」

「上橋綾乃です。よろしくお願いします」


 またもお互いにペコリと頭を下げ、上橋さんを観察すると、以前ドクが惚気ていた通りの印象だった。身長は平均よりも少し下の美園と比べても更に低く、丸顔で愛嬌がある。


「邪魔しても悪いから、僕はこれで帰るよ」

「うん。じゃあまた連絡するから」

「ああ。それじゃあ、上橋さんもまた」

「はいっ、ユキさんをよろしくお願いします」


 はつらつとした様子で、彼女の方がまたも僕に頭を下げて別れの挨拶を交わした。既に妻かと言わんばかりの言い方だったが、それを見るドクは嬉しそうに顔を弛ませていた。

 そんなだらしのない顔も、恋人繋ぎのまま生協の中に入っていく様も、正直とても羨ましかった。



 暑い中生協まで往復して得た戦果も、袋から出す気すらしなくなっていた。

 家に戻ってから、メッセージアプリを起動して、文章を入力しては消してを繰り返している。

『今日も暑いな』『生協に行ったらドクと彼女にあったよ』『本買った』などなど。我ながらだからどうしたとしか言いようが無い。美園も返信に困るだろう。

 それならば『もう実家に着いた?』とでも聞こうかと思ったが、それも僕が聞いていい事だろうか、と思うともう打つ手が無くなった。


「昼寝でもしよ」


 スマホをテーブルの上に置き、下だけ部屋着に戻し、普段ならほとんどしない真昼間からの睡眠を敢行したところ、エアコンの効いた室内が快適だったおかげか、何も考えたくなかったせいか、割とすっきりと眠りに入っていけた。


『無事お家に着きました』


 旅行鞄を持ったペンギンのスタンプと一緒に届いたそのメッセージに気付いたのは、辺りが暗くなってきた頃で、僕は浮かれながらも慌てて返信をする事になった。



 翌日はバイト。バイトはいい、働いている間はうじうじと悩むことも無く、時間が過ぎるのも早い。ずっとバイトに入っていられたら2週間くらいすぐではないだろうか。


「シフト増やしたい」

「足りてる」


 休憩中にボソっと漏らした言葉を、リーダーが耳聡く聞いていた。


「知ってます。独り言です」

「何? 暇なの?」

「特に日中は暇です」


 夜に関しては飲み会の約束がいくつか入っているが、日中は本当に暇だ。


「彼女とデートしないの?」

「彼女じゃありませんし。何より帰省中です」


 意外そうに聞いて来るリーダーにそう答えると、彼女は呆れたようにため息を吐いた。


「なんですか?」

「いや。花火大会一緒に行って告白どころか次の約束も取り付けてないとはヘタレもいいところだね。と思ったけど言わない優しさをため息で表してみただけ」

「言ってますよね。というか8月入ってすぐ帰省する、って言ってたのに約束なんてしようがないじゃないですか」

「じゃあ彼女がこっち戻って来てから遊ぶ約束した?」

「……してませんけど」

「ほら」


 リーダーは勝ち誇ったように言うが、僕にだって言い分はある。


「美園とは文実の活動で会えるんですよ」

「へー。美園ちゃんて言うんだ。それに文化祭の方で一緒だと」

「気のせいですよ」

「今更遅いわ」


 つい口が滑って情報を与えてしまった。とは言えノリは軽いが弁えている人なので、店に来た僕の知り合いにポロポロとこぼすような事は無いだろうが、「あの中に美園ちゃんいるの?」くらいの事は僕に聞いて来るだろう。


「まあでも。文化祭のそれって、牧村君だけと会う訳じゃないでしょ?」

「まあ……そうですね」


 少しだけ真面目な様子になったリーダーの言葉が、僕に刺さる。

 

「花火大会行ったとは言えさあ、さっさと捕まえとかないと別の子とくっついてるとかザラにあるからね」

「肝に銘じます」


 僕がそう言うと、彼女は満足そうに笑って僕の背中を叩いた。少し痛い。


「でもまあ。フラれた方がこの店的には助かるけど」

「美園にフラれたら遠いとこにバイト先変えます。マジで」

「絶対その子逃がしちゃダメだからね」


 こうして、美園がいない夏休みは過ぎて行く。

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