第39話 特別な今年と人混みが苦手な後輩

「当日は浴衣を着て行きます」


 正直凄く見たい。だが浴衣は動きにくいだろうし、買うとなれば余計な出費にもなる。あまり無理はして欲しくない。

 それを口に出そうとして、別に僕に見せる為に着る訳ではないという当たり前の事に思い至る。会場で花火が見たいと、そう言っていた美園が花火を見るのに浴衣を合わせたい、というのは自然な事に思えた。

 浮かれきって自惚れていた自分の思考を正し、楽しそうな美園に「楽しみだよ」とだけ伝えると、彼女は「任せてください」と嬉しそうに笑った。


「美園は地元で花火大会とかは行かなかったのか?」

「んー、そうですね。子どもの頃は行った事があるみたいなんですけど、大きくなってからは行った事が無いです」


 あるみたい、という事は花火大会の思い出は無いのだろう。


「人が多い所はあんまり得意じゃありませんし」

「大丈夫? こっちの花火大会も結構混むと思うけど」


 苦笑しながら言う美園に、観客が50万人を超えるという花火大会の情報を思い出す。


「大丈夫です。今年は特別なんです」


 一転して自信満々に宣言する美園に、「どうして?」と聞けば、彼女は「秘密です」と可愛く微笑んだ。

 人混みが好きな人間というのはそう多くないと思うし、僕だってそれが嫌いな人間の一人だが、確かにこの花火大会に関してはそんな事はきっと気にならないと思う。


 結局この後も、一緒に花火大会のホームページを見ながら、当日どうするか、どんな花火が上がるのか、天気は晴れるだろうか、など取り留めの無い話に花を咲かせ、当初の目的であった勉強会の事などすっかり頭から抜けてしまっていた。

 美園がそうであったかはわからないが、そうであってほしいと勝手ながら思った。


「結局あんまり勉強できなかったな」

「そうですね……」


 勉強会の名目で集まったので、少しばかり気まずい空気が流れたが、僕にとってこれは逆にチャンスでもある。


「もしよかったらだけど、今日の埋め合わせをどこかで出来ないかな? 数学も中途半端になっちゃったし」

「いいんですか?」


 ちらりと僕を窺う美園からは、拒絶の色は見て取れないので一安心する。


「美園さえよければ次は僕の家でやろう。次は僕がご飯作るよ。美園には到底及ばないけど、食べられる物は作るか――」

「行きます! いつにしますか?」


 美園と比べれば雲泥の差はあるが、僕は別に料理が苦手ではない。凝った品は作れないが、家庭料理の夕食程度であれば恥ずかしくない物は出せると思う。何より僕からの提案で、美園の手を煩わせる訳にはいかなかった。

 美園が食い気味で乗って来た事は少し意外だったが、これで来週は二回彼女に会える。


「楽しみにしていますね」


 向けられた満面の笑みに「あまり期待するなよ」と言えば、「それは無理です」と悪戯っぽく返されてしまった。



「牧村君、花火の日はもう空いた?」


 翌日のバイトに出勤したら、いきなりリーダーからそんな事を言われた。


「なんでフラれる前提なんですか。逆に予定入りましたよ」

「うそ……」


 信じられない、とでも口にしそうな程驚き、彼女は一歩後ろへ下がった。


「信じられない」


 言いやがった。


「牧村君の事だから、誘いたいけどいつまで経っても誘えなくて、相手に予定が入っちゃったとか、当日になっちゃったとかが似合うと思ったんだけど」

「あー似合いそうですね」


 本心からそう思う。結局昨日だって、美園から誘ってもらえなければあのまま言えなかったかもしれない。言えなかった原因は、誘おうとしてくれた美園とタイミングが被った事なので、それが無ければ誘えたかもしれないとは思うのだが。

 結果的にはどう転んでも一緒に花火を見に行ける事にはなっていた訳だが、自分から誘えなかった事はやはり情けなかった。


「何でへこんでるの? まさか予定って、フラれたから男同士でやけ酒の予定が入ったとか? だったらバイトしてた方が有意義だよ」

「ちゃんと花火大会には行きますよ。何が何でもシフトに入れようとしないでください」

「えー」


 この人、本気で不満そうな顔をしてるな。


「牧村君に彼女出来ちゃったからシフト回すの大変になるじゃん。恋人持ちはシフト希望面倒だし、イベント事には休むし」

「彼女じゃないです」

「え!? 花火一緒に行くのに?」

「はい」


 意外そうに、それでいて少しニヤついたリーダーの問いにあっさりと答える。ここで慌ててもネタにされるだけだ。


「色々あるんですよ。若者には」

「私だってまだ若い!」


 べちんと思い切り背中を叩かれ、咳込んだ僕にリーダーは「ふん!」と鼻を鳴らす。


「まあ花火一緒に行けるくらいだし脈はあるんじゃない? 彼女になったら連れて来てよね」


 そう言ってリーダーは手をひらひらさせながら、事務所に戻って行った。


「脈ですか」


 コホッと咳をして、一人呟いた。

 美園は好きか嫌いかで言えば、僕の事を好きのカテゴリーに入れてくれると思うが、それは恋愛的なものではない。


 最初に話した新歓の時から考えると、僕と美園の距離は大分近くなった。ただそれでも、あの子が僕に向けてくれる態度は、根本的なところではあの頃とあまり変わらないと思う。まず有り得ないが、一目惚れでもされていない限り僕に向けられる好意は後輩としての彼女からのものでしかない。


 彼女になったら、とリーダーは言った。僕だって美園に彼女になって欲しい。だけど今の自分があの子に対して好意を露わにしても、きっと困らせるだけでいい結果はない。

「今の関係を壊したくないから」という定番のセリフがあるが、今ならよくわかる。一緒にいられる時間がとても幸せだ。これ以上の関係になれば、更にもっと幸せになれると思う。

 でも失敗したらどうだろう。今まで通り先輩と後輩のいい関係に戻れるかと言えば、決してそれはないはずだ。ヘタレと言われても、それが怖くてたまらない。


 美園が以前言った事をよく覚えている。「彼氏が欲しいんじゃなくて、好きな人に彼氏になって欲しい」と、彼女はそう言っていた。

 だからどうしたら美園に好きなってもらえるか、という事を考えると、結局時間が欲しいという結論にしか至れない。一緒にいられる時間が何よりも愛おしい、そんな僕にとってそれは、甘い逃げの誘惑だという事はわかっているというのに。

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