第40話 覚えておきたい味と硬い顔の後輩

 水曜日の夕方、入念に掃除をした上で美園を部屋に招き入れた。

 少し緊張した様子の「お邪魔します」を、内心とんでもなく緊張した「いらっしゃい」で出迎えた。


「いい匂いがしますね。楽しみです」

「お手柔らかに頼むよ」


 苦笑しつつ応じるが、紛れもない本心だ。

 今日出す予定なのは白米とオーソドックスな大根の味噌汁、それに肉じゃがとじゃがいも繋がりでポテトサラダの四品。


 実は昨日の段階で友人二人を家に招き夕食をご馳走していた。「酒盛りの前に晩飯食わせてやるから」と言って明日の為に味見役を二人確保した訳だが、二人とも「うまい」「おいしい」に毛が生えた程度の事しか言わなかった。

 実際のところは、自分で食べてみても「結構美味いな」くらいの感想しか出てこない。味の基準が自分の好みになっているので、他人が食べてもそれなりに美味いという事がわかった点はありがたかった。


「とりあえず座って待っててよ。ちょっと温めるから」

「はい。ありがとうございます」


 テーブルのベッド側に座った美園にお茶を出し、キッチンへ戻る。

 味噌汁と肉じゃがを多少温め直さなければいけないが、残念ながら僕の部屋のコンロは一口なので、肉じゃがの方が電子レンジの力を借りる事になる。もっと繊細な料理ならともかく、僕の料理で電子レンジを使ったからと言って大差は無いだろう。


 温めている間に、冷蔵庫からポテトサラダを取り出して皿に盛り付ける。

 この皿も味噌汁をよそう予定のお椀も、新しく買い足した。一人暮らしを始める頃、部屋に友人を招く事も想定して、皿の数は多めに用意したのだが、それらは比較的大きめの物ばかりで、お椀や小さめの皿などの、こうやって誰かと一緒に普通に食事をとる為の食器は少なかった。


 しかし料理を盛りつけながら思うが、買い足した皿が柄のある物で本当に良かったと思う。美園の部屋の皿は白が基調の物がほとんどで、きれいに盛り付けられた彼女の料理がとてもよく映えた。

 一方僕の盛り付けに関してはお察しだ。真似をして白い皿を買っていたら、みすぼらしい事になっていただろうと思うと、似合わない事を取りやめた自分を褒めてやりたい。


「お待たせ」


 温めた料理とご飯をお盆に乗せ、美園の前に出すと「美味しそうですね」と、彼女は微笑んだ。本当に大丈夫だろうかという緊張も残ってはいるが、その笑みに、早く食べて欲しいという気持ちも強く湧き出る。


「それじゃあ、冷めない内にどうぞ」

「はい」


 そう言って彼女の向かいに腰を下ろし、二人で「いただきます」の声を合わせる。

 美園が味噌汁に手を付けるのを、僕はこっそりと、じっと見ていた。最初に手料理をご馳走になった時、彼女も僕が食べてから感想を言うまで、料理に手を付けていなかった。逆の立場になって今、その気持ちがよくわかる。

 美園程の料理の腕がありながらも、誰かに食べさせるというのには不安があったのだろう。僕の腕なら尚更だし、彼女は間違いなく舌が肥えている。


 両手でお椀を持ち上げ、静かに一口飲んだ後、右手で箸を持って具の大根へと手を付ける。流れるように自然な動作に、育ちの良さがにじみ出る。

 美園の顔は少し渋いように思う。箸で摘まんだ大根を少し持ち上げた後、もう一度口へと運んだ。

 米、ポテトサラダ、肉じゃがと同じように口へと運んでいく美園の顔は、やはり少し硬い。


「ごめん」

「え?」


 耐えきれずに口を開くと、美園は驚いたのか目をぱちくりとさせている。


「どうかしましたか? お料理は美味しいですし、謝ってもらうような事なんて何も――」

「え?」


 今度は僕が驚く番で、変な声が出た。


「はい。どのお料理も、優しい味がして、牧村先輩の顔が見えるようでしたよ」

「そんなに気を遣わなくても……」


 優しく微笑む美園から、優しい味と言ってもらえたのは嬉しいが、その割には食べている最中の顔は硬かった。


「いえそんな事は……あの、もしかして私、何か態度に出ていましたか?」

「何と言うか、渋い顔してたかなと」


 言ってしまってから伝えたのはどうかと思ったが、もう遅い。


「すみませんでした。そんなつもりは全く無かったんですけど、その……」


 慌てて謝る美園は、尻すぼみに声が小さくなり、もじもじと視線を外した。


「この味をちゃんと覚えておこうと思ったら、つい、そんな顔になっちゃったかもしれません」


 少しだけ頬を染めた美園が、小さな声で告げたその言葉は、静かな部屋ではっきりと僕の耳に届いた。


「そんなに大した味じゃないと思うけど」


 照れ隠しだ。大した味で無い事は確かだが、美園が覚えておきたい味だと言ってくれた事が嬉しい。


「いえ、そんな事は無いです。それに、この味が牧村先輩の好みなら、覚えておかない訳にはいきませんから」

「ん? どういう意味?」


 ふふっと笑う美園は、その質問には答えてくれなかった。



 簡単に片付けを済ませると――美園は「問答無用です」と言って手伝ってくれた――本来の目的である勉強の時間となる。今日は僕が誘う口実にもなった前回の続きとして、彼女に数学の問題を解いてもらっている。


 向かいの席から場所を移し、美園は今日も僕の右側にいる。ネットから拾った問題は、レベル的にはセンター試験くらいかと思うが、彼女はほとんど難なくそれをこなしていく。

 少し苦戦するかとも思ったが、あの後自分でも真面目に取り組んだのだと思う。美園が数学をどれくらい使うかはわからないが、多分あまり苦労する事は無いのではないかと思う。

 褒めるべき事ではあるが、自分の役目口実が一つ減る事が残念に思えてしまう。


「全部合ってるよ」


 最後の問題を解いて顔を上げた美園に、笑顔で声を掛けると、彼女は「やったぁ」と小さく声を発し、嬉しそうに笑った。


「この間は基本的な事しかやらなかったから、ちょっと難しめの問題選んだつもりだったんだけどね。解説も要らないくらい良く出来てるよ。頑張ったね」

「はい!」


 元気よく返事をした美園は、少しだけ遠くを見るように「頑張ったんです」と小さく呟き、僕を見た。

 その視線が少し熱を持っているように見えたのは、僕の願望がそうさせたのかもしれない。


「じゃあ何かご褒美あげないとな」


 このままだと彼女に触れてしまいそうで、慌てて視線を逸らした。


「本当ですか? それじゃあ……いえ」


 声を弾ませた美園だが、何やら言おうとした言葉を飲み込んだ。視線を戻すと、照れたように笑う彼女と目が合った。


「今ご褒美をもらうと満足しちゃいそうなので、試験の結果が出てから、それが良かったらご褒美ください」

「試験の結果、というか前期の成績出るの、後期に入るくらいじゃなかったかな?」

「え。そんなに先なんですか?」


 美園は「うぅん」と悩むような声を上げ、先程の言葉を訂正した。


「じゃあ試験が終わった後、頑張って絶対にいい結果を出しますから、そこでご褒美をもらえませんか?」

「ああ、いいよ」


 結果が出る前にというのも少し変な気はするが、おずおずと尋ねた美園もそれは重々承知だろう。僕の照れ隠しで指摘するのも野暮だし、何より彼女が頑張っていい結果を出すと言った以上、きっと相応しい結果を出すはずだ。


「何か欲しい物ある? 用意しとくよ」

「ええと。考えておくので花火大会の時に、改めてお願いします」


 視線を泳がせる美園はそう言うが、この様子ならもう欲しい物が決まっていそうだなと感じた。


「どうして笑うんですか?」

「何でもないよ」


 少しだけむすっとした美園に笑いかけると、「もう」と言ってくすりと笑った。



「牧村先輩は何かご褒美要りませんか?」


 美園を送る道すがら、思い出したように彼女は僕を見た。


「ご褒美か。うーん」


 試験のご褒美。一緒に花火大会に行けて、しかも浴衣を着て来てくれるという、僕にとって最上級のご褒美が既に確定している。しかし流石にそれを伝えては気持ち悪い。


「何でもいいですよ」

「そういう事言わない」


 他意が無いであろう事はわかるが、ご褒美という言葉が邪なイメージに変わってしまうので美園を制すると、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「じゃあ前期の成績が出たらお願いしようかな」

「10月になっちゃいますけど……」


 彼女は何やら不満げだ。でも――


「凄い成績取って凄いご褒美もらうからな」


 冗談めかして誤魔化したが、10月に一緒にいられる口実が欲しかった。


「それじゃあ、待っていますね」


 きっとそんな事は露とも知らず、美園は穏やかに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る