第34話 掃除先輩と通い妻

 土曜日、18時から文実の前期お疲れ様会と言う名の飲み会がある。バイトも無いので午前は部屋の掃除や布団を干すなどの家事を済ませて昼食をとり終えると、志保からメッセージが届いている事に気が付いた。

 美園と一緒に花火大会に行きたくてバイトの休みを入れた僕にとって、非常にタイムリーな煽りのメッセージだった。あいつほんとにエスパーか何かじゃないのか。

 自分のヘタレっぷりも含めて少しだけ腹が立ったが、時間をおいて最後に届いたメッセージにはむしろ感謝さえした。


『航くんの家に荷物置きに行くんでそのついでに夕方に寄りますね。もちろん美園もいますよ』

『書き忘れましたけど昼に美園が作ってくれたピザ持って行きます。お腹空かせといてください』


 午後は勉強と読書に充てるつもりだったが、まずはもう一度掃除と部屋の片付けをする事に決めた。



 部屋の時計とスマホの時計、PCの時計を順番に確認して16時になった事に確信を持った。志保は夕方と言っていたが、正確な時間までは言ってこなかった。僕の感覚では、夕方は16時からだと思っているので、もう出迎える準備は済んでいる。髪もセットした。

 飲み会の会場である合宿所まで歩く時間を考え、この部屋を出るのが17時30分と仮定すると、食事の時間も考えればそろそろ来るはずだ。そう考えて本に目を落とした。

 本の内容はまるで頭に入って来ない。10分は経ったかと思い時計を見ると、まだ2分しか経っていない事に驚いた。こういう時の時間の流れは本当に遅い。

 時間の潰し方に頭を悩ませていると、玄関のチャイムが鳴らされた。


「はい!」


 本を棚に戻し、急いで玄関まで向かってドアを開けると、志保が立っていた。志保だけだ、横にも後ろにも美園はいない。


「そんな露骨にガッカリされると流石に傷付くんですけど」

「あ、悪い」

「素直に謝られるとなんか凄い悪い事した気分です。とりあえずドアもっと開いてください」


 呆れたような表情の志保に言われるがまま扉を100°から150°程度まで開くと、その影には美園が立っていた。少しだけ気まずそうな表情だが、それでも自分の鼓動が早くなるのが明確に自覚できる。


「こんにちは。牧村先輩」

「いらっしゃい、美園」

「うわ、露骨~。私ここに初めて来たのに、まるで歓迎されてないじゃないですか」

「そうだっけ? まあいいや、とりあえず上がって」


 二人の反応を見ると、志保発案の悪戯である事はわかる。不満げな顔をする志保に生暖かい視線を送りつつ、二人を招き入れる。


「はい。お邪魔しますね」

「お邪魔しまーす」


 玄関のドアを閉め、二人を居室に案内してテーブルに促した。どこでも座れるようにクッションは4つ用意してある。志保は窓を背に、美園はその志保から見て右側、ベッドの手前の席に着いた。

 因みに前回は美園に断られたが、今日は美園と志保に無事紅茶を出す事が出来た。紅茶の味が良くなかったらどうしようかと思ったが、二人とも普通に飲んでくれていたので内心とても安心した。


「航くんの部屋とはちょっと違いますね」

「僕の部屋は角部屋だからな」


 なので成さんの部屋とは造りが多少変わる。志保も「あー」と納得している。


「牧村先輩。少し早いかもしれませんけど、ピザを温めても大丈夫ですか?」


 大き目の可愛らしい模様の紙袋を持ち上げ、美園が尋ねてきた。

 時刻は16時10分、夕食には早いが18時からの飲み会の事を考えれば今の内に食べておくべきだと思う。


「お願いしてもいいかな?」

「はい。それじゃあレンジとトースターと、お皿をお借りしますね」


 笑顔でそう言うと、美園はテキパキと支度を始めてくれた。


「勝手知ったる、って感じですね」

「ほんとにな」


 今日は調理をする訳では無いからだろう、エプロンや髪型変更は無しのようだが、まるで通い妻のようだと、都合のいい妄想をしてしまう。


「まるで通い妻ですね」


 エスパーか。


「美園に失礼だろ」


 自分の事を棚上げして志保をたしなめると、志保は「どうでしょうね?」と笑った。

 美園はタッパーからピザを取り出し、皿に移してレンジで温めている。


「一応言っときますけど、あのピザ昼の残りとかじゃないですからね。予備で残しておいた生地と具で、新しく焼いてくれたんですよ」


 楽しそうに作業する美園を見ていると、横から志保が解説を挟んできた。僕としては仮に余り物でも大歓迎なのだが、わざわざ焼いてくれたというのは嬉しい限りだ。


「しかし自分でピザ焼けるとか、改めて凄いな」

「女子力の塊ですよ、あの子」

「だよなぁ」


 温められたピザの香りが漂って来る。レンジで温めたピザを、トースターで少しだけ焼いた物が僕の目の前に出された。しかもスープまで付いて来ている。先程の様子を見るに、水筒に入れて持ってきてくれたようだ。


「お口に合うといいんですけど」

「絶対合うよ。すんごいおいしかったですから」


 少し不安そうな美園に、志保が太鼓判を押す。僕としてもその点は一切心配していない。早く食べたい、そして「美味い」と感想を言ってあげたい。


「じゃあ早速……二人の分は?」


 そこで気付くが、ピザは僕の前だけ。二人の前にはスープのみしかない。


「私達はお昼が遅めでしたから」

「スープだけでいいって話して来たんですよ」

「だから気にせずに、どうぞ食べてください」

「そういう事なら遠慮なく。いただきます」


 ピザを一口、スープを同じく一口。指で摘まんだ感覚でも、油分が少なめなのはわかったが、デリバリーの物と比べあっさりとした味ながらも、風味を損っておらず美味い。スープの方は、コンソメベースでこれまたさっぱりめでありながらコクがある。


「どっちも凄く美味いよ」

「良かったです」

「だから言ったじゃないですか」


 ホッとした様子の美園と、何故か胸を張る志保。作ったのお前じゃないだろ。



 美味しくいただいた後の片付けは、自分がやると言って聞かない美園を志保に任せ、僕が行った。僕の部屋の皿だけでなく美園が持ってきてくれたタッパーと水筒も洗ったが、これを持って行くとなると飲み会の荷物になってしまうだろう。


「美園。すぐ使う必要が無ければ、この水筒とタッパーは今日預かってもいいかな? 荷物にもなるだろうし」


 キッチンから顔を出して、部屋の中の美園に声をかけると、彼女は笑顔で応じた。


「はい。お言葉に甘えさせてもらいますね。また取りに伺いますので」

「了解。連絡貰えればいつでもいいから」

「はい」


 美園からついでに紙袋も受け取り、タッパーと水筒を元々入れられていたそれにしまってキッチンの隅に置いた。


「そろそろ行くか?」

「そーですね」

「はい」


 予定よりも少し早いが、到着する頃には先着が何人もいるだろう。


「今日も席順はクジなんですかね?」

「多分そうだろうな」


 僕の経験では今までの文実の飲み会は、全てクジで席順を決めている。

 僕がそう答えると、尋ねてきた志保の横で、美園が少し不安そうな顔をした。


「大丈夫だよ。20分くらい経ったら私かマッキーさんのとこ来ればいいんだし。ね?」

「ああ。壁は任せろ」


 それを聞いた美園は「お願いしますね」と言って小さく笑った。


「でも、やっぱり最初から一緒がいいです」


 少し残念そうに付け加えた美園に、そうだなと本心を言えず、志保が美園の頭を撫でるのを黙って見守った。羨ましい。

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