第30話 これからの思い出と艶っぽい後輩

 金曜は普段なら3コマまでだが、今日は振替授業があったため4コマまで大学にいる事になった。4コマが終わると17時が近い為、18時からの文実の全体会に間に合わす事を考えると、一旦家に帰るのも面倒に思えた。

 そこで、久しぶりに文実の委員会室に顔を出す事に決めて、授業のあった理学部A棟から共通G棟へと向かった。


 文化祭実行委員の委員会室には、今の僕のように全体会までに家に帰るのが面倒になったり、授業の空き時間を過ごしたりといった者の他にも、ただ単に暇だからという理由で入り浸る奴もいる。

 とは言え、鍵を持っているのは7人――委員長、副委員長、5人の部長達――だけなので、平日の午前中は開いていない事も多いが、午後であればかなりの確率で開いているし、この時間には確実に開いている。


「お疲れ様」


 定型の挨拶を口にして委員会室に入ると、中には15人前後程がいた。口々に「お疲れ」「お疲れ様」「お疲れ様です」の挨拶をしてくれるが、見たところ1,2年生の数は同数くらいだろうか。

 2年生は当然全員顔と名前が一致するが、残念ながら僕が自分から「飯食いに行こうぜ」と誘える仲の相手は委員長のジン――全体会の準備があるので誘えない――を除いていない。

 そして1年生は全員他の部なので、ほぼ話した事も無い。仕方が無いので17時30分頃までここで適当に時間を潰して、そうしたら1食に行こうと決めた。


「マッキーさんですよね?」

「ああ、あの時に一緒だった」


 教科書を開こうとした矢先に話しかけてきたのは、新歓の時にサネと一緒だった1年生だ。名前は、あの時アルコールも入っていたせいだと思うが覚えていない、すまん。


「明日の実務の後に1年の飲み会があるんですけど、君岡さんが来るか知ってますか?」

「いや。そもそも1年の飲み会自体初めて知ったよ」


 そう言えば、こいつ新歓の時に美園の事聞いて来たなと思い出した。同じ2ステ担当ではあるが、1年で社交的な雄一がいる分、美園に関しての質問はそっちに行っているのか、僕が彼女の事で質問を受けたのは思えば久しぶりな気がする。


「もし参加するようなら、あの子アルコールダメだから気を付けてやってくれ」

「わかりました。気を付けて見ておきます」


 去っていく彼に余計な大義名分を与えてしまったような気もするが、くれぐれも気を付けて欲しいと思う。美園が参加するのなら、志保や他の友達も参加するだろうし、何より本人も気を付けるだろうけど、あの弱さを見てしまった後だととても心配になる。


 美園が1年生とどのような交友関係を築いているかはわからない。ただ、1年生だけで遊びに行ったり、志保以外の友達とファミレスに来たりと、良好な関係を築いているだろう事は想像に難くない。いい子だからな、ある意味当然の事だ。

 また勝手に保護者気取りになっている自分に気付き、僕は苦笑して頭を振った。



「明日1年生だけの飲み会があるんだって?」

「はい。実務の後に、また合宿所を借ります」


 その日は部会の後に各担当会があった為、美園と二人で帰ってきた。スタジャンを着せる約束があるので、ひとまずは僕の家まで。

 僕のアパートに着いた頃に、例の1年生の飲み会の話題を切り出してみた。


「そっか、飲まないようにな」


 美園は以前、ビールを一口飲んだだけでその後寝てしまった。あとから考えると、プリンを作って来てくれていたので、あの日も早起きだった事も理由の一つかもしれないが、アルコールに弱い事は間違いない。

 心配半分でからかい気味にそう言うと、美園は拗ねた表情で「もう」と言った後に、笑顔を見せた。


「それなら今度、私のお部屋で一緒にお酒を飲みませんか? 牧村先輩が一緒なら潰れてしまっても安心ですから」

「考えとくよ」

「是非お願いします」


 信頼の証だとしたら嬉しいが、多分僕が手を出すなんて事は考えて無いのだろう。実際にもし美園が酔い潰れたとしても、絶対に手を出さない自信はあるが、それを相手側から言われるのは複雑だ。そういう目で見ていないと宣言されているようで、少しへこむ。

 そんな思いを隠し、僕はドアを開けて美園を招き入れる。これで彼女の訪問は3回目だが、好意を自覚してからは初めてになる。ドアノブを握る手に力が入るのを感じる。


「お邪魔します」

「いらっしゃい」


 キッチン部分を通り、美園を部屋のテーブルに案内しクッションを渡し、彼女がちょこんと座ったのを確認し、キッチンの方から声をかける。


「紅茶とコーヒーどっちがいい?」


 以前はコーヒーしかなかった僕の部屋だが、今日美園が来る事が決まってから、急遽紅茶も買って来た。


「いえ、そんな。私がお願いしてお邪魔しているんですから、気にしないでください」

「そうは言っても――」

「本当に、今日はあのジャンパーを着させて頂けるだけで、十分なんです。これ以上して頂いたら、お礼のしようも無くなっちゃいます」

「わかったよ」


 もてなしたいという気持ちもあったが、実際には長く引き留めたい気持ちの方が強かった。しかしこれ以上押し問答をすると、美園がお返しに言及しそうだったので、涙を飲んで諦めた。


「じゃあ、早速だけど。どうぞ」

「ありがとうございます」


 本日の目的、青いスタジャンをハンガーから外し、ジッパーを下げて手渡すと、美園は恐る恐ると言った具合にそれを受け取り、大事そうに抱きかかえた。


「本当に着てもいいんですか?」

「むしろ着てやってあげて。そいつもそこまで大事に思って貰えて光栄だと思うよ」


 美園が興奮気味に最終確認をしてくるが、去年は来客だった彼女に、そこまでの思い入れを持って貰えた事は、実行委員冥利に尽きると言える。


「じゃあ――」


 おずおずと袖を通して、ジッパーを上げた美園を壁に掛けた全身鏡の前に案内すると、彼女は興奮で頬を紅潮させ、ゆっくりと自身の肩を抱いた。

 僕はその様子から目が離せない。美園が着ているのは、客観的に見ればただの安っぽいスタジャンで、とても彼女の外見の良さを引き立てる物ではないし、僕のサイズなので彼女にしてみたらぶかぶかだ。

 だと言うのに、それに袖を通し、嬉しそうに頬を染めて身をよじる彼女が、何とも艶めかしく、視線を奪われた。


「あの、写真を撮ってもらってもいいですか?」

「あ、ああ。いいよ」


 振り返った美園が、興奮冷めやらぬと言った調子で尋ねて来た声で、ようやく我に返った僕は、何とかそのお願いに返答が出来た。


「じゃあこれで……あ」

「どうかした?」


 バッグからスマホを取り出して僕に手渡そうとした美園は、途中でその手を止めて落ち込んだ様子を見せている。


「バッテリーが無くなっていました」


 タイミングが悪い事この上ないが、十分解決できる問題だ。そんな顔をしないで欲しい。


「僕ので撮って後で送るよ」

「いいんですか?ありがとうございます」


 たったこれだけで、この笑顔が見られるのなら写真くらいいくら撮ってもいい。


「じゃあ撮るよ」

「改めてとなると、少し恥ずかしいですね」


 はにかんでそう言う美園に内心同意する。なんというかいけない事をしている雰囲気を感じる。

 恥ずかしがる美園は、控えめなポーズ――それでもとても可愛い――をいくつか取ったので、それを写真に撮っていく。


「次で最後にしますね」

「了解」


 そう言って美園は、スタジャンを脱いだ。疑問に思っている僕の前で、彼女はスタジャンの背中側を僕に向け、自分の体の前で広げた。なるほど、背中側の「第58代文化祭実行委員」の文字を写したかったのだろう。


「じゃあお願いします」

「撮るよ」



「ありがとうございました。とっても嬉しいです」


 僕のスマホで撮った写真を確認し、美園は満足げに微笑んで僕に頭を下げた。


「どういたしまして。後で送っておくよ」

「はい。よろしくお願いしますね」


 そこで、ニコニコと嬉しそうに笑う美園が、何かを思い出したように僕の方を向いて、頬を染めて口を開いた。


「牧村先輩も今の写真とっておいてくださいね」

「いいの?」


 美園に送った後は、残しておきたい気持ちを泣く泣く押し殺して消さなければならないと思っていた。


「はい。今年の実行委員の思い出の一つとして、牧村先輩にも持っていて欲しいです」

「ありがたく、保存させてもらうよ」

「お願いしますね。これからもいっぱい、一緒に思い出を作っていきたいです」

「ああ。喜んで」


 そう言って僕たちは笑い合った。彼女が喜んでくれればいいと、そう思っての提案だったし、実際その笑顔が見られただけで十分だったが、この望外の報酬が何よりも嬉しい。

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