二章

第29話 去年の青と着たい後輩

「マッキー今日バイトだったの?」 

「いや。寝癖が直らなかったから、もういっその事と思ってセットした」


 文実の全体会が始まる前、香から尋ねられた僕は今日何度目かになる同じ嘘を吐いた。自分を変えようと決めてから、最初に思いついたのがまず髪型を変える事だった。


「その髪型で来るの初めてくらいじゃない? 普段からそうしなよ。少しはモテるんじゃない」

「朝イチでセットするのも手間じゃなかったし、出来る限りそうするよ」


 ありがたい言葉だ。手探りで評判を探っている状況で、香のストレートな物言いはとても助かる。僕の返答に満足したのか、「じゃあまた部会で」と言って香は自分の席へ戻っていった。


「マキ、抜け駆けは許さんぞ」

「抜け駆けって何だよ?」

「髪型変えて彼女作る気だろ。俺にはわかる」


 香との会話が終わると、横にいたサネがそんな事を言い出した。意外と鋭いが、その辺の事を言われるのは想定の範囲内だ。


「悪いなサネ」


 変に否定するよりも、乗っかっておいた方がこういう話題は流せる。


「次の合コンは誘ってやんねーからな」

「あー困るなー」


 そもそも行った事が無い。

 何より、誰でもいいから彼女が欲しくて髪型を変えた訳ではない。合コンに誘われなくても何も困らない。


「お疲れ」


 サネと言い合っていると、開会5分前になってドクが現れた。


「彼女とご飯食べてたら遅くなっちゃって」


 聞いてもいない事を嬉しそうに話す友人を見て、もう一人の友人と辟易したような顔を作って見せたが、僕は内心少し羨ましかった。



 今日の全体会は広報宣伝部が前に出ている。今年の文化祭のロゴデザインを紹介し、全体からの意見を募っている。

 このロゴのイメージを元に、看板やステージバックのイラストを作る為、ここのデザインが承認されない事には、実行委員としても動き出せない非常に重要な案件になる。

 今年のデザインは、筆で書いた文字を中心とした和風な物に仕上がっている。僕個人としてはいいセンスだと思う。横にいるサネとドクの反応も悪くない。

 しかし、結局個人の感覚の問題なので、これを気に入らない者もどうしても出て来る。今は、その反対者達が広報の代表者と意見をぶつけ合っている。

 どうせ最後には多数決を取って、このロゴは可決される。真剣に意見をぶつける反対者達には悪いが、これは所詮彼らのセンスの問題に帰結する。広報宣伝部内のセンスで可決されて上がって来たデザインを、他部の数人のセンスで否定したところで、全体の賛同は得られない。

 ロゴデザインは広報の大仕事であると同時に、彼らの権利でもある。本来この場は、デザインのセンスではなく、類似のデザインがあるか、場合によっては剽窃ではないか、というもっとクリティカルな事を話し合うはずだった。

 結局議論はまとまらず、多数決で広報が出して来た案が可決された。来週から、このロゴが公開され、それを元にしてもらった看板やステージバックイラストの一般公募が始まる。実行委員のホームページ上で8月前半までの期間で募集され、採用された人にはわずかだが謝礼も出る。因みに実行委員でも応募は可能だ。

 その後、今年度の文化祭実行委員のスタジャンの色についての多数決が行われた。実質広報から出てきた案を可決するだけのロゴの方とは違い、こちらはまだ白紙の状態なので、事情を知っている2年生としては、今日の本番はこちらだった。

 僕はピンクなどの着づらい色でなければどうでもいいと思っていたが、青いスタジャンを触っている時の美園の顔が忘れられず、去年と同じ青に一票を投じた。結果は白に決まった。



「今日の若葉さん凄かったですね」


 部会が早々に終わり、担当会も無かった為、僕は美園と志保を送っていた。自分から誘うぞと思っていたが、我ながらチンタラしていたら志保の方から声をかけてきた。


「まあ、そうだな」


 そんな帰り道で志保が話題にしたのは、彼女が所属する第1ステージ担当の長、岩佐若葉の事だった。今日の全体会、ロゴデザイン反対派の先頭に立っていたのが若葉だった。1年生にとっては、特に同じ担当で下につく志保からしたら、割と衝撃的な光景だったかもしれない。


「若葉程じゃないにせよ、これから検討事項が増えてくから、ああいう事も多くなるよ」

「怖いですねえ」

「お互い真剣にやってるだけだから、ちゃんと言葉さえ選べば後には引かないと思うけどな。まあ若葉はあんまり言葉選ばないんだけど」

「大問題じゃないですか」


 顔を強張らせる志保に「まあ頑張れ」と適当な言葉をかけて、美園に視線を向けると、少し沈んだような表情をしている。もうバス停はすぐそこと言う所まで歩いて来ているが、彼女はほとんど口を開いていない。

 全体会が始まる前に何気ないメッセージのやり取りをしたが、その時の文章は丁寧でこそあったが、気落ちしたような様子は無かった。むしろスタンプの付き方からすればテンション高めという印象を受けていた。全体会の雰囲気に当てられたのだろうか。


「あ、バス来てる」


 心配して美園に声をかけようとした瞬間、左方向から向かって来るバスを見つけ、僕と美園に挨拶をして志保は駆けて行った。「美園の事頼みますね」と、小さく僕にだけ聞こえるように言い残して。


「美園――」

「あの――」


 声をかけようとしたタイミングで被った。多少気まずくはあったが、それ以上に何と言うか嬉しかった。美園がどう思ったかはわからないが、彼女も気恥ずかしそうに笑っている。やっぱり笑った顔の方がずっと可愛い、もちろん沈んだ顔でもとても可愛い。


「お先にどうぞ」


 笑いながら手のひらで促すと、美園は少し迷ったように見えたが、一度頷いて口を開いた。


「牧村先輩はモテたいんですか?」

「え」


 てっきり今日の全体会の事で何か聞かれると思っていたので、完全な想定外の質問に一瞬頭がフリーズした。


「香さんとお話してた事が聞こえてしまって。髪型も急に、変えていますし……」

「別にモテたくて変えた訳じゃないよ。心境の変化と言うか何と言うか」


 髪型を変えた理由が心境の変化なのは嘘では無い。ただ、目の前でもじもじしながらも、僕から視線を外さない美園ただ一人に対してのアピールだ。不特定多数にモテたいという意図は無い。

 そう言ってしまえたら、と思ったけどいきなりそんな事言われても困るだろうな。


「でもその後、実松さんと合コンのお話していましたよね」

「誤解だ。サネに何回か合コン誘われたけど、僕は1回も行ってない」


 実際に何度か誘われたけど、初対面の相手と僕が上手く話せる訳は無いので、参加はずっと固辞していた。興味自体はあったけど、今となっては良かった。

 美園は以前、好きな人に彼氏になって欲しい、というような事を言っていた。誰でもいいから恋人が欲しい、というような姿勢は彼女の好むところでは無いだろう。そんな誤解をされるのは何が何でも御免だ。


「前に、美園がこの髪型を褒めてくれた事があっただろ?」

「え。は、はい。そうですね……」


 最初に僕のバイト先に来た時と、一緒に食事に出かけた時。その2回が無ければ、自分を変えたいと思っても、髪型を変えるという選択をしなかったのではないかと思う。


「その時から髪をセットしようとずっと思ってたんだけど、この間ようやく決心がついた。って感じかな」


 正直に心中を吐き出すのは恥ずかしいが、嫌われるよりは遥かにマシだ。というか嫌われたら実家に帰るかもしれない。


「そう、だったんですね。変な勘違いをして、すみませんでした」


 僕から目を逸らさず、美園は嬉しそうに笑ってそう言った。その眩しさに、思わず頭を撫でたくなる衝動を自制する。


「そう言えば、美園はスタジャン何色を希望したんだ?」


 動きかけた右腕を誤魔化すために、美園が楽しみにしていたスタジャンについて話題を振ってみた。


「去年見た青いジャンパーを着てみたくて、青にしました。去年と同じ色は選ばれないかなとは思ったんですけど、やっぱりでしたね」

「2年はみんな青以外に入れただろうしね」


 僕以外は。


「でもいいんです。ちょっと残念ですけど、今年皆さんと、牧村先輩と一緒の白いジャンパーを着られるので、それで満足です」


 言われてみれば、美園と同じ白を着て活動ができる事は凄く楽しみだ。きっと彼女は白が、いや白も良く似合うだろう。

 しかしそれはそれとして、青を着たがっているのなら着せてあげたかったという思いもある。


「今度、僕の去年のスタジャン着る? 嫌じゃなければだ――」

「いいんですか!? 着たいです着たいです。金曜日の帰りに、牧村先輩のお家にお邪魔してもいいですか?」


 予想外に大喜びの美園だが、今日はもう、彼女の家がすぐそこだ。


「ああ、いいよ」

「やったぁ」


 小さくガッツポーズをとる美園を見て、次はもっと長く一緒に居られると、僕も大きくガッツポーズをとりたくなった。

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