第24話 眠れない先輩と初めての我儘

「このプリンおいしいねー」

「うまいっす」


 美園が寝てしまってから約1時間、そろそろお開きの時間に近づいてきた為、本人不在で申し訳ないが、作ってきてくれたプリンを香と雄一に出す事にした。

 せっかく作ってきてくれた物を食べてもらえずに二人を帰してしまうよりは、この方が美園も喜ぶだろう。感想は後日本人に伝えてくれと言ってある。言わなくても伝えるだろうけど。


「美味いな」


 洋菓子店などのプリンは数年食べていないので、比較はコンビニで売られている物や、去年自分で作った物になるが、ちょうど良い甘さとなめらかな食感で、そのどちらよりもずっと美味かった。お菓子作りはほぼ素人の僕でも、とても丁寧に作ってあるのがわかる。


「あれだけ可愛くて料理もできるとか、最高ですね」

「さっき尻に敷くタイプが好きとか言ってなかったか?」

「それはそれ、これはこれっす」

「雄一は美園狙いなの?」

「いやー。最初は一緒の担当になれてラッキーとは思いましたけど、今は彼女にしたいとか大それた事は考えてないっすね」

「大それたって、思うだけなら自由だろ」

「じゃあそういう顔してくださいよ」


 雄一は半ば苦笑するようにそう言って鏡を指差した。覗いてみれば映っているのは当然僕の顔、酒のせいか少し赤い。それ以外は普通の僕がいる。

 顔を確認していると、鏡越しに雄一が香の横に移動して何やら耳打ちしている様子が見え、振り返ってみると香が雄一に対して頷き、耳打ちを返していた。


「じゃあマッキー、私たち帰るから」

「今日はありがとうございました」

「ああ、こちらこそ。良かったらまた来てくれ」

「そうっすね。来づらくなる前にまた来ます」

「ん?」


 意図がわからず聞き返すが、香にはたかれた雄一は黙ってしまったので返答はない。


「じゃあ美園の事よろしくね。お疲れ様」

「お疲れっしたー」

「お疲れ様」


 二人を送り出すと、必然部屋の中に残るのは僕と眠ったままの美園だけ。寝顔を見ても苦しそうな様子は無い、飲んでしまった量も少なく、時間も経っている状態でこれならば問題は無いだろうと安心する。

 安心してしまうと、可愛らしい寝顔と誰もいなくなった部屋に静かに響く寝息に、妙な背徳感を覚えてしまう。

 頭を振って部屋を離れて洗面で顔を洗うと、少しだけ冷静になれた気がする。問題は僕が何処で寝るかだ。ベッドは論外なので次の候補は当然床なのだが、一緒の部屋で寝られる気がしない。


「じゃあここだな」


 消去法で決めたのはバスタブの中。クッションを何個か使えば割と快適に寝られるような気もする。

 部屋から先程使ったクッションを持ち出し、照明を常夜灯のみに落としてドアを閉める。見たら眠れなくなりそうだったので美園の寝顔は見なかった。


「おやすみ」


 寝るには大分早い時間だと思う。片付けも大概終わってしまい、することも無いのでシャワーでも浴びようかと思ったが、バスタブで寝られなくなるし、何より美園が横の部屋で寝ているのにそれは抵抗があった。

 1Kのアパートに脱衣所などというご大層な物は無い。廊下で服を脱いでいる時や着る前に、美園が目を覚ましてこちらに来たら完全にアウトだ。歯だけ磨いて寝る事にしよう。


 クッションを敷いた上に座り、バスタブと背中と首の間にクッションを詰めたら意外と快適だった。時間的には早かったが、アルコールの影響もあってか、僕の意識はゆっくりと遠のいて行った。



 体を揺すられる感覚で目が覚めた。次いで鼻に届くいい香り、耳に届く優しい声。


「牧村先輩。起きてください、風邪ひいちゃいますよ」


 その声で一気に意識が覚醒し、飛び起きようとしたものの――


「ってぇ」

「きゃっ」


 体が変な風に固まっていたのか、鈍い痛みが走って上手く起き上がれなかった。自分の状態を確認すると、昨夜とほぼ変わらない体勢で朝まで眠っていたようだ。

 体が痛むので顔だけを向けると、バスタブの横で膝をついて僕を見ている美園がいた。髪が少し乱れている、美園も寝起きだろうか。


「すみませんでした!ご迷惑をおかけして」


 美園と目が合うと、僕が声を掛ける前に、スペースがあったなら手をつきそうな勢いでその頭が下げられた。


「いや、気にしなくていいよ。プリン美味かったし、それでチャラだよ」


 固まった体をほぐすために伸びをしながら、努めて軽めに声を掛け――


「おはよう、美園」


 美園の性格ならば、僕が挨拶をすれば間違いなく顔を合わせて返してくれる。


「おはようございます。牧村先輩」


 おずおずと顔を上げ、申し訳なさそうな表情を浮かべたままではあるが、予想通り顔を合わせての挨拶はできた。


「ところで今何時?」

「6時20分です」

「結構寝たな」


 寝たのは22時前くらいだったはずだ。思い返しながら伸びをしていると、ようやく体もほぐれてきて、バスタブから立ち上がる事が出来た。


「髭剃ったら家まで送るよ」


 僕が立ち上がると、合わせて美園も立ち上がり、手を伸ばして僕を支えてくれた。冷静になって体の状態を確認するが、生理現象が起こっていなくて心底安心した。


「外も明るいですし、一人で帰ります。これ以上ご迷惑をおかけする訳には――」

「迷惑じゃないって。言ったろ?気を遣うなって」


 少し気恥ずかしいが、小指を出して例の約束をアピールする。美園はそれを見て、同じく少し恥ずかしそうに頷いてくれた。


「じゃあ――」

「だからこそです。一人で帰るのは私の我儘です。牧村先輩、今日も午後からお仕事ですよね?私のせいでちゃんと寝られなかったんですから、送って頂けるのはもちろん嬉しいですけど、今はベッドで体を休めて欲しいです」


 美園の顔には多少の申し訳なさの色を感じるが、この言葉はしっかりとした意思の元で発された物だとわかる。

 気を遣わせているのは確かだが、これを彼女の「我儘」だと言われてしまえば否定しづらい。お互いに気を遣わないという約束において、僕を気遣っての我儘の判定はどうなるだろうか。


「ご迷惑をおかけしたのに我儘を言ってすみません。後日改めてお詫びしますから、今日の所はこれで失礼します」

「わかった。気を付けてな」

「はい。ありがとうございます」


 いつもの白いバッグだけを持ち、美園はキレイに一礼するとそのまま僕の家から出て行った。


「お詫びなんていいんだけどな」


 律儀な美園を思い出して少し笑ってしまったが、実際にお詫びがあった方が美園も納得するだろう。適当に学食で何か奢ってもらおうかと思う。


「寝るか」


 美園から体を休めて欲しい、と言われたのだからそれを聞き入れるべきだ。実のところ睡眠は十分だが体はまだ少し痛い。

 6月に入って文実の実務も土曜だけになっているし、バイトも今日は14時からなので午前中いっぱいは寝られるはずだ。と、この時は思った。


「眠れん!」


 睡眠が足りているからではない。自分のベッドだというのに物凄くいい匂いがして、体温こそ残っていないが、ついさっきまで美園がここで寝ていた事が強烈に印象づいてしまい、全く眠れなかった。

 幸い、悶々としながらばてんばてんと寝返りを打っている間に、気付いたら体の痛みはほぼ無くなっていた。

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