第25話 手料理と決意の後輩
週が明けて火曜日、美園から文実の全体会前に話がしたいと連絡があり、16時に1食で待ち合わせの予定になっている。
火曜の午後は実験なので、正確な終わり時間が分らない。遅れるかもしれないと伝えたが、美園からは『3コマの授業で終わりなので待っています』と、スタンプ無しで送られてきた。
幸いにして実験は15時50分には片付け含めて全て終わった。実験棟として使われる理学部D棟からならば、1食まで5分もかからない。
取りあえず遅れずに済んだことに安心し、『今から行くよ』とメッセージを送って実験棟を後にした。5分もかからずに到着すると、美園から『中央付近の窓際の席にいます』と返信が来ていた。
「お待たせ」
「こんにちは。牧村先輩。お呼び出ししてすみません」
メッセージの通り、学食中央付近の窓際の席に美園は座っていた。
声を掛けると彼女は立ち上がって出迎えてくれた。その様子を見て、近くの席に座った男が残念そうな顔をしていた。タイミングを見てナンパでもするつもりだったのだろうか。その前に来られて良かったと心底思う。
「謝るのは無しな」
お互いに着席し、美園が口を開く前に先手を打っておく。話の内容はまず先日の謝罪だと思っていた。これで外れていたらかなり恥ずかしいところではあるが。
「それなら、お詫びは受けてもらえますよね?」
不満の色を見せた美園だが、一瞬でニコリと表情を変えてそんな事を言った。
「どう違うんだ?」
「具体的にはこうです」
そう言って美園は、教科書などが入っているであろう大きめのバッグから、B5サイズ程の包みを取り出し、僕に差し出した。
包装紙からして和菓子の類だとわかるが、謝罪の言葉ではなくお詫びの品という事だろうか。謝罪とお詫びの厳密な違いはよくわからないけど。
「受け取ってくれますよね?」
テーブルの向かいに座る僕に差し出す姿勢の美園は、身長差もあって上目遣いになっている。その目には抗えないが、一つ条件を出す。
「ここで一緒に食べてくれるならね」
元々学食で何か奢ってもらって、それで美園の罪悪感を消せればいいと思っていた。ある意味渡りに船のような状況ではある、和菓子がきっと高価であるだろう事を除けば。
「わかりました。そう言われるような気がしていました」
美園は苦笑しながら頷き、僕も同じように笑って包みを受け取った。
◇
「美味いね、これ」
「お口合って良かったです」
貰った包みの中に入っていたのは、これまた洒落た包装をされた一口サイズの羊かんだった。控えめな甘さが僕にとって丁度いい。
「牧村先輩は、甘すぎない方がお好きなんですね。覚えておきます」
先日のプリンの感想は既に伝えてあるので、それと合わせての判断だろし、実際その通りだ。
嬉しそうに笑う美園に、また作ってくれる機会があるのだろうかと期待してしまう。
「ところで牧村先輩」
僕が2個めの羊かんを食べ終えたタイミングで、少し真面目な顔の美園が別の話題を持ち出した。
「次のお食事の事ですけど、そろそろ決めませんか?」
「そうだなぁ」
僕が以前考えた「安い店で打ち合わせをしてそこの支払いを持ってもらってチャラにする」作戦は、あっさり見破られた。次の作戦は無い。
お詫びの話の後に続けて来たという事は、二人合わせて2,3000円の店で済ませてくれるとは思えない。
「そうだ!」
「どこかいいお店があるんですか?」
「料理作ってくれ。美園の料理が食べたい」
妙案だと思う。高級食材でも使わない限り、二人分の料理なら想定内の金額で済む。手間はかけさせてしまうが、こちらからのお願いという事で、お詫び感も出るのではないだろうか。
「ええと。いいんですか? もっとちゃんとしたお店で――」
「美園の料理が食べたい」
「でも……」
「食べたい」
一の矢は放つ前に折れて、三の矢は無い。
「その。そうまで言って頂けるなら、わかりました。一生懸命作ります」
僕の勢いに負けた美園は、顔を赤くして俯き気味で僕の要望を聞き入れてくれた。
「今週の土曜日でも大丈夫でしょうか? お部屋は片づけておきますので」
「ああ。実務もこの間と同じくらいには終わるだろうし、ちょうどいいんじゃないかな」
6月の実務は、案内・告知看板の増設と夏休み以降の準備だけなので、する事はそれほど多くない。
「牧村先輩は何が食べたいですか?」
なんでも、と言おうとして開いた口を閉じる。「なんでもいい」が一番困る、と言うのはよく聞く話だ。
かと言って、僕は自分が普段困らない程度に料理は出来るが、レパートリーは少ないので、こういう時に具体的な料理名が出てこない。
「じゃあ洋食で、肉系メインで。とかでもいい?」
「わかりました。メインは考えておきますけど、細かい物は当日一緒にお買い物しながら決めませんか?」
「助かるよ」
限度は流石にあるだろうけど、当日いきなり決められるという事からも、美園が料理に自信を持っていることがわかる。
「今回のお詫びも兼ねてますから、腕によりをかけますね」
「ありがとう。でもこの前も言ったけど全然気にしなくていいよ。家に泊めるくらい大した事じゃない」
気合を入れてくれる美園に笑いかけながら、何気なくそんな事を言った。
「家に泊めるくらい大した事じゃない、ですか? 相手が女性でもですか」
何気なく言ったのだが、美園はそこに反応した。
「まあ男よりは圧倒的に少ないけどさ、本番近くになれば夜遅くまでの作業もあるし、文実だとそう極端に珍しくはないんじゃないかな?」
「牧村先輩もどなたかを泊めた事があるんですか?」
「去年だけど、香と1個上の先輩が泊ったかな。二人とも電車通学だったから」
とは言え、基本的に女子は女子の家に泊まる。二人が僕の家に泊まったのは、幾つかの偶然が重なったからだ。
「香さんがジンさんとお付き合いする前の話ですか?」
何となく平坦な声で、俯いた美園はそんな事を尋ねてきた。
「文化祭前だからそうだね。ってなんでそんな事を――」
「やっぱり、私のお部屋じゃなくて牧村先輩のお部屋にしましょう」
ぱっと顔を上げ、美園は僕の目を正面から見ながらそう言った。
「え? いや、調理器具とかもあるだろうし、美園の部屋の方がいいんじゃ?」
「いえ。お詫びの意味もあるので、私が伺うべきでした。決めました」
少し腑に落ちない面もあるが、ここで水を差してこの話自体が流れるのは困る。
「楽しみにしていてくださいね」
「ああ。凄く楽しみにしとくよ」
◇
「牧村先輩。今日はこの間のお詫びにお泊まりに行きますね」
手料理の約束当日、実務が終わった僕が一人でいると、美園からそんな声をかけられた。
「ごめん。『牧村先輩』以外の部分が全部意味わかんないんだけど」
「そのままの意味じゃないですか」
正確に言えばお詫びの部分の意味はわかるが、それでもなお最後の部分が全体の意味をわからなくしていた。
そんな僕に対して、美園は首をかしげてそのダークブラウンの髪を揺らした。
「先週のお詫びにお料理を作るって約束したじゃないですか。それですよ」
「ああ。だけど何で泊るんだ?」
約束したのは、僕の家で料理を作ってもらうところまでだ。泊るという部分は含まれていなかった。
「お風呂は済ませておくので心配しないでください。4時に荷物を持って伺いますので、その後一緒にお買い物しましょう。それでは準備がありますのでまた後ほど」
「あ、おい美園」
言うだけ言って先に帰ってしまった今日の美園からは、受ける印象がいつもと大分違った。恰好は実務用の動きやすい物だが、そういう外見によるものではなく、いつもよりも強かな印象とでも言うのだろうか。
とは言っても、先程の発言の意図はわからないが流石に冗談だろう。美園との付き合いはまだ1ヵ月半程度、少しずつ僕に遠慮することも無くなってきた気もするが、さっきのは美園にしては一足飛びな発言だ。
大体歩いて帰れる距離なのだから泊る理由が無い。泊られて困る訳でも無いが、夕食の後で僕が送って行けばいい、ただそれだけだ。
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