第17話 自爆先輩と次の次
「コーヒーと紅茶、どちらにしますか?」
あの後、美園に何と返答をしたかはよく覚えていない。今僕がここにいるという事は、了承の返事をした事だけは確かだ。
「じゃあ紅茶で」
「はい。お湯を沸かすので少し待っていてくださいね」
「わざわざありがとう」
「どういたしまして」
美園が住むのは、大学周辺の学生用物件で一番家賃が高いと評判のマンションタイプ。女子専用なので中身の方は初めて見るが、建物の外観通り広く新しい部屋だった。一人暮らしの部屋でここまでしっかりとしたキッチンを見るのは初めてだ。
そんな美園の部屋の内装は、まっさらな壁紙に薄い水色のカーテン。ベッドや可愛らしいクッション、ソファーなどの布製品はカーテンと同じ色。本棚やラック、テーブルなどの家具は白で統一されており、床のタイルカーペットは白と薄い水色、もう少し濃い水色の3色が、波打つように配置されている。
ラックやカーペットの上、更にはベッドの上にも、大小いくつかのペンギンのぬいぐるみが配置されている。本当にペンギンが好きなのだろう。
「恥ずかしいのであんまり見ないでくださいね」
「あ、ごめん。でも美園のイメージ通りの部屋だと思うよ」
美園は今日もそうだが普段暖色系の服を着ている事が多い。女の子なので勝手なイメージで部屋はピンク系統を想像していたが、実際にこの部屋に招かれてみると、落ち着いた品の良さと可愛さが同居するこの空間は、美園らしいと言う以外の言葉が出ない。
「ありがとうございます。牧村先輩にそう言ってもらえると、恥ずかしいですけどとっても嬉しいです」
緊張で手が震えるような状態からようやく回復した僕とは対照的に、美園はずっとニコニコとしている、と思う。招かれて最初の方は僕の記憶があやふやだ。
電気ケトルに水を入れて沸かし始め、ダイニングから戻って来た美園は、手に何枚かの紙を持っていた。
「今日来て頂いたのは、これを見て欲しかったからなんです」
そう言って僕に見せてくれたのはA4のコピー用紙。そこに印刷されているのは美味しそうな料理と文字、レストランのホームページをプリントアウトしたものだとわかる。
「覚えていますか?」
そう言って少し恥ずかしそうに差し出されたのは右手の小指。もちろん忘れるはずなどなかった。
「次の候補はこの辺りのお店でどうでしょうか?」
こくりと頷いた僕に、美園は満足そうに微笑み、約束した次のプランを提示してきた。
「ええと」
白いテーブルの上に広げられた用紙は、可愛いクリップで各2枚ずつ、3店舗分がまとめられている。フレンチが2軒にイタリアン1軒、前回僕が和食を選んだから次は洋食でという意図がわかる。
「あの、お隣失礼しますね」
僕が言葉選びに悩んでいると、一言断って僕の右横に座った。場所のせいか距離のせいなのか、スカートを抑える彼女に妙に色気を感じた。
「ここなんてどうですか?」
ニコニコ顔の美園が資料を1部僕の手元に引き寄せる。肩が触れ合うような距離では無いが、このままいたら僕はきっと冷静でいられなくなる。その前に言うべきことは言わなければならない。
「美園」
「はい」
言葉を選ぶ余裕はない。
「これ全部却下」
「えっ?」
「いや違う! 行きたくないとかじゃなくて、店がその、全部あれだ。なんというか」
そういう顔をさせたくなくて言葉を選ぼうとしたはずだった。あのままでは流されてOKしてしまいそうだったが、ガラスの精神で耐えるべきだった。
「いや、すっげー楽しみにしてたぞ? だからそんな顔するなって――」
「ふふっ」
必死に言葉を続けていると、美園は何故か笑っていた。
「あ、ごめんなさい。楽しみにしてくれていたってわかって嬉しかったんです」
「それならよかったよ……」
結果オーライだがもうちょっとスマートに出来ないものかと、自分でも呆れてしまう。そもそもきちんと順序立てて上手く却下出来ればこんな事にはならなかった。
「それに、牧村先輩のいつもと違う面が見られて。その、良かったです」
「いつもと違う?」
少し照れたような美園の発言が意味する事がわからない。割といつも通り情けない感じだった気がする。
「普段他の先輩たちと話している時だったり、たまにしーちゃん相手でもそうですけど、牧村先輩の素の部分と言うんでしょうか? そんな面です」
「あー」
確かに同級生はもちろんの事、志保相手にもたまに素が出ている。美園相手には極力出していないと思っていたし、この言い方からして実際にも出来ていたようだとわかる。
「その、こういう喋り方の方がいいか?」
思えば「美園」と呼び捨てにする――文実で一緒に活動していく内にいつかそうなっただろけど――経緯も、仲間外れのようで嫌だというところからだった。
「どちらも捨て難いですね」
「なんだそれ」
少し困ったように笑う美園につられて、僕も気安く笑った。
「じゃあ、あんまり意識しないように話そうかな」
「牧村先輩が話しやすいようにしてくれるのが私にとっても一番です」
僕を見て微笑む美園に、何と返そうかと悩んでいると、ダイニングの方から電子音が響いた。空気の読める電気ケトルがいい仕事をしてくれた。
◇
「美味しい」
出してもらった紅茶は美味しかった。「これしかなくて」と言ってお茶請けとして出してくれた饅頭も、意外と紅茶に合っている。
素の僕なら「うまい」だっただろう。まだ素を出し切れていないが、言ってすぐに素が出せるようなら、20年近くの人生をもっと積極的に送って来たはずだ。
「お口に合って良かったです」
向かいに座る美園はそう言ってから、スティックシュガーを半分ほど溶かして、ティーカップを口に運んだ。因みに僕はノンシュガーで頂いている。一口飲んでから砂糖をどうしようか決めようと思ったが、饅頭が甘いので十分だった。
「饅頭も美味しい。可愛くてちょっと食べづらいけどね」
出してくれた饅頭は一口サイズで、デフォルメされた動物を模した造りだった。美園の好きなペンギンもいる。饅頭が乗るには少し不似合いな洋風の白い皿の上の動物たちにフォークを刺すのは、多少気が引けたのでフォークで掬い上げるように食べた。
「地元のお土産なんです。可愛いなって気に入って買ったのは良かったんですけど、後から考えたら牧村先輩に渡すにはちょっと可愛すぎたかなと思って渡せなくて。今日食べて貰えて良かったです」
苦笑ぎみに言う美園だが、つまり僕個人にお土産を買ってくれたという事で、心が温かくなる。
「実家に帰ったんだ?」
「はい。帰らないつもりだったんですけど。ちょっと、用が出来てしまったので」
美園は少し歯切れが悪いが、実家に関わる事かもしれないし話題を変えたい。
「そう言えばさっきの店の話だけど」
「そうです。どうしてダメなんですか? デ……お出かけ自体は楽しみにしてくれていたんですよね?」
思い出して拗ねてるなコレ。改めて問われると肯定しづらいが、先程「すっげー楽しみにしてた」とまで言った以上は頷くしかない。
「そうなんだけどさ。これ全部ディナーだし、高いよ」
次の食事では、代金を美園が払うという約束を強制的にさせられた。前回の食事では僕が食事代を持ったのでそのお返しだと言うが、年下の女の子に奢ってもらうというのは抵抗がある。
とは言えそれを理由に断ったら美園は怒るだろうし、落としどころとしては二人合わせて2,3000円くらいの店を考えていた。だと言うのに、美園が候補に挙げた店はどれも前回僕が選んだ店の2~3倍のお値段だった。なんとしてもこんな額を二人分払わせる訳にはいかない。
「前回頂いた幸せをお返しするには他に思いつきませんでした。それにこういうお店で牧村先輩と……」
「そう言って貰えるのは嬉しいけど、ダメなもんはダメ。こんなの一人分で僕の光熱費くらいするぞ」
「ええー」
「美園が一人で代金持たないんならここでもいいけどね」
「それはダメです」
口を尖らせて不満を露わにする美園はいつもより少し幼く見える。新しく見えた可愛らしい一面は微笑ましいが、だからと言って退く訳にはいかない。
「大体、ここでこの店にしたらさ、その次に僕が選ぶ店が無くなるだろ? こんな凄いとこの次じゃ――どうした?」
「い、いえ。あの」
言っている最中に美園の不満げな顔が一瞬で霧散した。不思議に思って尋ねてみるが美園はなんだかしどろもどろだ。と思ったら笑い出した。
「この前とは反対になりましたね」
「ん?」
美園は堪えるようにニマニマと笑っている。この前? 反対?
「何と言うか。ありがとうございます」
「……あああああ!」
そこまで言われてようやく気付いたが、今回は僕の自爆だ。しかも次どころか次の次を望んでいると言った訳で、自爆の度合いは前回の美園より大きい。
「忘れてください、お願いします」
「他ならぬ牧村先輩からのお願いですけど、ちょっと無理ですね」
今回顔から火が出る思いをしているのは僕だけだ。優しい笑みを浮かべる美園を直視できず、紅茶と饅頭に手を伸ばした。
◇
結局この日は店の選定は済まず、また後日話し合おうという結論だけ出して、僕は美園の部屋を後にした。
近くのカフェ辺りで話し合いの場を設けて、「じゃあここの支払いを頼むよ」でチャラにしてしまおうという僕の完璧な作戦を、美園はまだ知らない。
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