第5話 帰り道と眩しい後輩

 歓迎会が開かれた合宿所から正門までは地味に遠い。僕は徒歩10分のその道のりを、香たち女子集団の中に男一人だけ混ざるという、非常に気まずい気持ちで歩いた。

 二次会には参加しないという美園と志保を送って帰る、そう香に伝えたら「じゃあ途中まで一緒に行こう」と言われ、断る事も出来ず同道するハメになったからだ。


 僕の女性遍歴(0)を知っている香としては、この機会に慣れろという部分もあったのではないかと思うが、男女比1:9に加えて初対面の後輩が四人もいたら無理な相談だ。結局僕は、気を遣って話しかけてくれた美園と少し話をした程度で、香たちと別れるまで気配を消し続けた。


「じゃあねマッキー。二人の事ちゃんと送ってあげてよ。襲っちゃダメだからね」

「僕に出来ると思うか?」

「全然。じゃあねヘタレ」


 やっぱり先程のは僕に機会を作ってくれていたらしいが、僕にあれは無理だ、正直済まなかったと思う。香に軽く手を振って応じると、ニヤニヤとこちらを見る志保に気が付いた。


「じゃあバス停までお願いしますね。ヘタ……マッキーさん」

「今ヘタレって言おうとしなかった?」

「気のせいです。ね?美園」

「え。うん、気のせいです。牧村先輩はそんな事ないです」

「人に振って誤魔化そうとするなよ。まあでもありがとう、美園」


 照れたようにはにかむ美園は可愛い、志保は香ではなくこちらを見習うべきだ。


「まあバス停はすぐそこだけどね。バスは何分?」

「9時2分のがありますね」

「あと10分ちょいか」

「あ。一緒に待ってくれるとかはいいですからね。その時間で美園を家まで送ってあげてください」


 美園と志保の二人だったなら、美園は一緒にバス停で待っただろうし、ここは一緒に待とうかと思った僕に、志保が先回りをする。


「牧村先輩に悪いよ、しーちゃん」

「いいから送ってもらいなって。マッキーさんもいいですよね? 10分あれば美園の家まで往復できると思いますよ」


 それに関して僕は全く構わない。ただ、暗い道を一人で帰すのは心配ではあるが、美園の家までついて行くというのも憚られる。なので「家までついて来られたら美園は嫌じゃないか?」と美園には聞こえないように志保に尋ねた。

 すると志保は呆れたような目で僕を見てため息を吐くと、美園をちょいちょいと呼び寄せて耳打ちをした。


「全然嫌じゃないよ! あ……」

「だ、そうですので送ってあげてください」


 大きな声で否定した美園は恥ずかしそうに頬を染め、志保は僕の方を見ながら勝ち誇ったように笑っている。


「わかった、美園を家まで送るよ」

「あ、ありがとうございます」

「それでいいんですよ」

「ただしバスを見送った後でだ。美園もそれでいい?」

「はい。もちろんです」


 今度は僕が勝ち誇る番だ。志保もお手上げです、とジェスチャーをして笑った。

 バスが来るまでの10分間は、歓迎会で誰とどんな事を話した、なんて事を言い合っていたらすぐに過ぎた。


「ありがとうございました、マッキーさん。美園の事頼みますね。じゃあ美園、またね」

「うん、おやすみしーちゃん」

「気を付けてな」


 21時2分発のバスは1分遅れで大学前のバス停から出発した。志保はバスの中から、美園は外から手を振り合い、僕は少し気恥ずかしかったので軽く手を上げるにとどめた。


「さて、それじゃ行こうか。こっちでいい?」

「はい。よろしくお願いします」


 バスの進行方向を指差した僕に頷いた後、美園は丁寧にお辞儀をした。

 この子はきっと育ちがいいんだろうなと思う。今のお辞儀もそうだけど、会釈や座り方にも品を感じる。


「今日は楽しかった?」


 本当なら先輩からこういう事を聞くべきではないのかもしれない。楽しくなくてもそうとは言えないだろうから。

 だけど合宿所を出てから今まで、美園はずっと笑顔を浮かべている。歓迎会の最初の方で困らされてはいたが、全体としては楽しんでくれたはずだ。


「はい! 楽しかったですし、今も嬉しいです」

「ならよかった」


 正直言って「今も嬉しい」は何にかかっているか分からないが、歓迎会自体は彼女にとっていい思い出になったようだ。満面の笑みで美園がそう答えてくれて、僕は満足した。


 バス停から2分程歩くと、信号機付きの丁字路がある。大学前からの細い道路が、国道へと繋がる少し広めの道にぶつかっている。ここを右に曲がると、志保が乗ったバスが向かった駅方向、左側の曲がり角の少し手前には僕のアパートがある。


「どっちに曲がる?」

「ここを左に行って、次の交差点を右です」

「了解」


 この時僕は美園の家がどこなのか、何となくの見当がついた。正門から歩いて5分という距離、方向、そして美園の育ちの良さ。恐らく大学周辺で一番家賃が高いあそこだ。

 丁字路を左折し、美園と連れ立って歩く。この道は夜でも明るいが、車通りがあるので気を付けなければならない。因みに僕はもちろん道路側に立っている。ただし手を引いてエスコートなどは僕には出来ない。されても困るだろうが。


「あの。牧村先輩」

「うん?」


 丁字路の次の交差点、呼びかけてきた美園を見ると、僕を見上げる彼女と目が合った。緊張気味な表情を浮かべた上目遣いが反則的に可愛い。慌てて目を逸らしそうになるのを必死にこらえる。


「あの、ですね。連絡先を……その。教えて頂けたらと」


 耳まで赤く染めながら、僕から目を逸らし、また目を合わせというのを繰り返し、美園は最後まで言い切った。


「とりあえず渡ろうか。向こうなら車も来ないから」

「……はい」


 僕はすぐに返事が出来ず、20秒ほど時間を稼いだ。美園の説明にあった交差点を渡り、横道に入っていく。その間、美園の顔をまっすぐ見られなかった。

 緊張で潰れそうな美園が横目で見えて、罪悪感でポケットに手を入れスマホを取り出すと、彼女は明らかに安堵した表情を見せた。しかしここで連絡先を教えていいのだろうか。それは彼女を縛る行為だ。


 先輩と連絡先を交換したら、美園が今後文実を辞めたくなった時に辞めづらくなってしまう。そしてそれを理由にして教えるのを渋ったとしても、彼女としては「じゃあ連絡先聞くのをやめておきます」とは言いづらいだろう。

 ならば何も言わずに断るのがいいか、というとそれでは僕がただの嫌な奴だ。僕は後輩の為だなんだと考えながらも、情けない話、我が身も可愛かった。


「牧村先輩」


 どう着地すべきか迷っていると、美園が真剣な目をして僕に呼び掛けた。


「もしかして私が辞めちゃうかもしれないって思っていますか? 辞めませんよ」

「どうして――」


 僕の考えていることがわかったのか? 僕の反応で自分の予想が当たった事がわかったのだろう。美園は穏やかな笑みを浮かべて続けた。


「お友達から聞きました。あ、しーちゃんじゃないですよ。サークルに入ってすぐに先輩と連絡先交換すると辞めづらくなるよって。だから、牧村先輩は優しいから、気を遣ってくれたのかなと思いまして」

「実際に、多少は辞めづらくなると思うよ」

「私は辞めませんよ」


 僕は文実が楽しいと思っているが、そんな僕でも楽しい事だけじゃないのは知っている。文化祭付近の忙しさは言うに及ばず、実務と呼ばれる作業――看板や学内装飾物などを作る事になる――が始まるだけでも、毎年1年生は減っていくらしい。去年だってそうだった。


「今はそうでも――」

「いえ、辞めません。私、去年ここの文化祭を見に来ているんです」


 僕の言葉を遮り、美園が続ける。静かな、それでいて強い声だ。


「実行委員の方たちが凄く疲れているのも見ました。それでも皆さん楽しそうでした。だから受験勉強も頑張って、絶対に実行委員に入ろうと思っていました。だから大変でも辞めません」


 美園はきっぱりとそう言い切って、「それだけじゃないんですけど」と照れくさそうに付け加えた。

 美園の事をいずれ辞めてしまう1年生だと、軽く見ていた事に気が付き僕は恥ずかしい気持ちになった。同時に、まっすぐに僕を見る彼女がとても眩しく思えた。


「ごめん。1年生の為だと思ってたけど、美園の事を全然考えられてなかった」

「じゃあ、これからはちゃんと私の事考えてくださいね」


 少しいたずらっぽく笑ってそう言ってから、美園は「それに」と付け加えた。


「家まで送ってもらうのに、連絡先くらいどうって事ないと思いませんか?」

「あ」



 その後送って行った美園の家は僕の予想通りだった。家賃が7万近いオートロック付きの女子専用のマンションタイプで、地方大学の学生アパートではあまりお目にかかれない。因みに僕のアパートの家賃は4万5千円だ。

 美園からは「遊びに来てくださいね」と言われたが、流石に女子専用ではハードルが高すぎるので、仮に社交辞令で無いにせよ固辞したい。


 家に帰ってポケットから取り出したスマホをベッドに放り投げようとすると、メッセージアプリに一件の通知があった。


『本日はありがとうございました。歓迎会の時に助けて頂いた事も、送って頂いた事も嬉しかったです。これからもよろしくお願いします。 君岡美園』


「らしい文面だな」


 開いてみると、飾り気は無いが丁寧な文章でお礼が綴られており、自然と笑みがこぼれた。


『こちらこそよろしく。 牧村智貴』


 返す文面にしばらく悩んだが、結局ただシンプルなだけの文面と、美園を真似て名前を入れて送った。こんなところで気取っても、僕がやったら逆効果になる気がするし。


「これからも、か」


 美園からのメッセージを見返すと、深い意味の無いであろうその単語が、妙に心に残った。

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