世界から円が消えそうになった話

田中勇道

世界から円が消えそうになった話

 20XX年、世界で奇妙な現象が起きた。身近にある円形、または球形の物体が突然、四角形や直方体に変形した。

 最初はビー玉や円錐台の紙コップなど、日常生活に支障のない物だったので、世間では楽観視する人が多かった。だが、専門家はすぐに警鐘を鳴らした。


「このままでは世界全体に影響が出てしまう! 普通の生活すらままならないぞ!」


 政府は緊急会議を開き、現象の原因追求、対策に身を乗り出した。スポーツでは野球やサッカーなどの球技全般に影響を及ぼす。しかし、もっとも懸念されるのは交通機関だ。

 鉄道や飛行機の車輪。自転車、バイク、自動車のタイヤ。これらが円形でなくなると、あらゆる交通手段がストップする。使えるのは船やヘリコプターぐらいだろう。

 最悪のケースを想定して、政府は円の代替を考えることにした。複数の案のなかで、もっとも賛成が多かったのはルーローの多角形。

 ルーローの多角形は、膨らんだ正多角形と考えて差し支えない。幅が常に一定で、ロータリーエンジンや掃除用ロボットで、ルーローの三角形が応用されている。

 課題は円と比べて転がりにくいこと。自転車はまだいいにしても、自動車やバイクにとり入れるのは難しいのではないか、というのが大方の意見だった。


「それなら、昔の時代みたいに馬に乗って移動するしかないよな」


 学校の教室で、僕は友人とそんな話をしていた。普通に考えるなら、それが妥当かもしれない。


「辺の数をもっと増やして、極限まで円に近づければ希望は持てるんだけどね」

「それってできんの?」

「さあ」


 そう言うしかなかった。意見はいくらでも出せる。実現可能かは別にして。

 一番良いのはこの現象が止まってくれることだ。不安に駆られる生活はもうしたくない。

 

「もしかしたら、地球まで四角くなるかもな」

「冗談はやめてくれよ」

「でもさ、それはそれで面白くないか?」


 呑気な奴だ。地球が四角になったら生活が困難になると言うのに……。詳細は省くが、仮に地球が立方体になったとすると、大気や気圧が場所によって大きく変化するため、生存できる範囲がかなり狭くなる。僕はポケットからスマホを取り出して電源を入れた。適当にネットニュースでも見ようとブラウザを開こうとした瞬間、手が止まった。


「どうした?」

「ブラウザのアイコンが正方形になってる」

「もともと四角だったんじゃねぇの?」


 僕はかぶりを振った。彼もスマホに目を移して画面を操作する。そして「マジかよ」と小さく呟いた。

 

「おい、見ろよこれ」

「君もブラウザのアイコン変わってた?」

「違う! よく見ろ!」


 彼が指さしたのは芸能ニュースの記事。とある有名人夫婦が子どもを産んだというニュースだった。見出しには男性有名人の名前と「ハハになった」という文字。


「……半濁音が消えてる」

「句点も消えてるし『プロ野球』も『フロ野球』になってる。もう意味分かんねぇよ」


 この事態をきっかけに、ネットニュースだけでなく、書籍や新聞でも文章中に半濁音のつく単語の使用を避け、漢数字のぜろも、なるべく使わないよう義務付けられた。


「ホント、不便な世の中になったな」


 怪現象の発生から三ヶ月が経った。幸い、交通機関にまだ影響は出ていない。プロ野球やJリーグ、Bリーグの球技スポーツも無事、開幕を迎えた。

 僕は近くの自動販売機で炭酸飲料を買った。飲もうとペットボトルのフタを開けようとしたが、まったく動かせない。よく見ると、ペットボトルのフタが正方形になっていた。対角線が辺より長いから動かないのは当然だ。それよりも重要な問題がある。

 

「……どうやって開ければいいんだよ」 

 

 一週間後、学校でもついに恐れていたことが起きた。自転車置き場にとめられている自転車のタイヤが、すべて正五角形に変形していた。

 それを見た多くの生徒が混乱に陥り、中には「ふざけるな!」と憤る生徒も現れた。

 翌日には公共でも同様の事態が発生し、専門家が緊急会見を開いた。

 対策の一つとして、専門家は「自転車のタイヤをルーローの多角形に変更にする」という案を出した。実際、タイヤがルーローの多角形になっている自転車はすでに存在している。

 だが、記者からは「遊びじゃないんです」「真面目に考えてください」とバッシングの嵐。会見後、専門家は「世間に受け入れられるには時間がかかるだろう」とコメントを残した。

 

「聞いたか? 今度は野球ボールが四角くなったらしいぜ」


 暖房の効いた教室で、彼は他人事のように言った。プロはシーズンオフ。アマチュアも年内の大会はすべて終えている。


「来年までにどうにかいしないとマズいね」

「またルーローのなんとかってやつにすんのかな」


 立体だとルーローの四面体がある。いや、正確には立体だとルーローの四面体しかない。

 正多面体だと四面体、六面体、八面体、十二面体、二十面体の五種類のみ。二十面体なら頂点を切り取ればボールとして使えるだろう。サッカーボールがその例だ。

 

「でも競技が違うしなぁ」

「楕円にするとかは? 変形するの円だけだし」

「楕円はラグビーじゃないか」


 その後、サッカーやラグビーなどでも、ボールが立方体や直方体に変形する事態が発生した。いよいよ交通機関にも影響が出るのでは、と危惧した人が一致団結。「円復活運動」と銘打って活動を開始した。

 具体的には公園などの砂場で円を描き、念仏のように延々と円周率暗唱する意味不明な儀式だ。それを午前と午後、ともに3時14分。毎日行われた。

 そのまま年が明け、怪現象が発生してから314日目。ようやく事態に終止符が打たれた。

 奇しくも、その日はアインシュタインの誕生日と同じ3月14日だった。

 

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世界から円が消えそうになった話 田中勇道 @yudoutanaka

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