「隣。いいかしら」


「どうぞ」


 女が、しなやかな動きで座る。ドレス。白い腕。


「普段から、ここに?」


「ええ。あなた目当てなので」


「俺目当てか」


 なんと断ったらいいか、少し迷う。


「俺は、理由があってここにいる」


「女ですか?」


「ええ。女です」


「どんなかたか、訊いても?」


「太った女ですよ。笑顔が綺麗で、一途で、そして太った女」


「太った?」


「あとは、なんだろうか。そうだな。あなたみたいな綺麗な肌じゃない。たぶん、身体中傷だらけで」


「擦り傷なんて、すぐ消えますけど?」


「擦り傷か」


 彼女との記憶は。心の擦り傷なのかもしれない。


「その女。太ってたのはなぜ?」


「知りませんよ。そもそも太るのに理由なんて」


「親がお菓子会社の経営をしてます。その女もお菓子が好きで、そして子供のうちに脂肪をつけておけば胸が大きくなると、なぜか思い込んでいる」


「何の話ですか?」


「でも、好きな男ができて、太ってるのがいやになった。だから、家にその好きな男を呼ぼうとしたら、家が燃えた」


「おい」


「最後まで聞きなさい」


 女が、指をならす。綺麗な音。


「あのとき。火事から助け出された女は、心の底から男を好きになった。前よりも、もっと。好きに」


 女の前にカクテル。


「でも、男は、火事から助け出した女を見て、激しい罪悪感にとらわれてしまった。女の肌を傷つけた。女の一途さに気付かなかった」


 カクテルを、女が、一気に飲み干す。


「ばかよ。肌なんて。どうでもいいのに」


「おまえ。なぜここに」


「逆よ。あなたがここに留まったままだから、わたしから来ないといけなかったの」


「肌が。身体が」


「擦り傷なんて、しばらくしたら治るわ。身体はトレーニングで絞った。もう、お菓子を食べても、太らないぐらいの筋肉量に」


「胸の話」


「ええ。思い込みだったんだけど、ラッキーなことに大きく育ったわ。色艶もばっちり」


 彼女が、ドレスを少し直す。


「あなたのための身体よ」


 笑顔。この笑顔だけは。変わらない。


「今のわたしの職業。分かるかしら」


「お菓子会社を継いだってところか」


「違います。まあ、会社は継いだけど、そっちは副業で片手間です」


「正義の味方ではないな」


「正義の味方には、これからなります。あなたに仲介してもらおうかと思って」


「分からんな。今の職業はなんだ?」


「消防士。レスキュー隊員」


「は?」


「火事から助けてくれたあなたの姿に、憧れたの」


「その白い腕でか?」


「半袖で火を消すばかがどこにいるのよ」


 紅葉する気分に紛れて、ちょっとだけ、いやな予感がする。もしかしたら。


「間違った罰があるわ」


 やはり。


「聞ける範囲で、甘んじて受けよう」


「ホテルか家か、選んで」


「やっぱり、そう来るか」


「いやな予感したでしょ。当たりよ。あなたは今日、眠れないわ」


 あのときの女が、美人になって、目の前にいる。そして今日、幸せによって、俺の眠りは妨げられることになる。


「はあ」


 ため息だけが、長い。

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saloon.(lit&extinguish the fire) 春嵐 @aiot3110

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