第8話 ニートなお姉さんと願望

「さち君、あのね。相談があるの」


 いつになく真剣な顔をした澪。

 テーブルに肘をつき、手を組んで顎を乗せている。

 どこかで見たようなポーズだが、真面目なのかふざけているのかいまいちわからん。

 だが、ここまで真剣な表情をしているのだ。

 俺も話を真剣に聞くべきだろう。

 澪の正面に背筋を正して座り、視線を交わす。


「そんなに改まってどうした?」


 澪は俺と目を合わせたまま黙り込む。

 よほど言いにくい事なのだろう。

 俺は澪が切り出すまでいくらでも待とう。

 それからしばらく見つめ合ったまま静かに時間が過ぎていく。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………あ、あの、そんなに見つめられると……恥ずかしい……よぉ……」

「? ああ、すまん……?」


 なぜそんなに顔を赤くしているのだろうか。

 澪が話を切り出すまで待っていたのだが、俺が間違っていたのか。

 澪は数回深呼吸をし、何かを覚悟したのか、力強い目で俺を見た。


「あ、あのね……わたし………………」


 そこで言葉は途切れ、口をパクパクさせている。

 勇気を出して何かを伝えようとしていることは分かった。

 だが、まだ何かが足りないのだろう。

 であるならば、俺のすることは背中を押してやることだけだ。

 この前、組織に行ったとき同僚が教えてくれた。


『女ってのはね、言いたいことがあっても言葉にできない生き物なのよぉ。いい男ってのは、それを引き出してあげることができるものなの。覚えておきなさい。女の背中を押すのはいつだって男。逆もしかり、ね♡』


 うっ。

 最後の投げキッスを思い出してしまった。

 あいつ、男なのに男の尻を追いかけているような奴だ。

 少し苦手なのだが、言っていることは間違いではないのだろう。

 苦手なのは間違いないが……。


「――――澪」

「は、はい…………」

「ゆっくりでもいい。何か言いたいことがあるのなら、言ってくれ。お前が言葉にしてくれるまで、俺はいつまでも待つ。俺にできることであれば、全てを叶えてやる。遠慮なく言葉にしてくれていい。焦らずとも、俺はいつまでも待つからな」


 そう言うと、澪はさらに顔を赤らめ俯いてしまう。

 何か変なことでも言っただろうか。

 次に顔を上げた時、澪は覚悟の決まった顔で続きを言葉にした。


「わ、私ね……………………外に、出てみたい………………」


 外………………?

 澪が、外に出たい、と?

 あの澪がそんなことを言うなんて思わなかった俺は少し感動した。

 胸の奥から何かがこみ上げてくる。

 だが、気を緩めてはいけない。澪の願いを叶えるのだ。

 これから忙しくなると思い、俺は気を引き締めた。



 ◇◇◇



 ――――最近の私は少し変わったと思う。


 テレビで見た街の景色を見ても、以前は全く興味がなかったのだが、今はなぜかとても楽しそうに見えた。

 そしていつも想像する。

 人の行き交う街の中を歩いている自分。そしてその隣にいるのは――――。


 ち、違うんだからねっ。

 確かに好きだし、いつかは彼と……なんて考えちゃうこともあるけど。

 でも、私なんかが彼となんて烏滸がましいでしょ。

 彼はいつもカッコよくて、とっても優しくて、すっごくしっかり者で、他の人とは比べ物にならないくらい心を許せる男の子。

 私なんて、引きこもりで何もできないただのお姉さん。

 年上なだけで彼とは釣り合いにならないでしょう。

 だから、想像するだけは許してほしい。


 そう思っていたある時、あるテレビで知らない男の人が言っていた言葉を聞いた。

 女性みたいな話し方でオカマ?って言うのかな?

 有名人てわけでもなく、ただ通りすがりの人なんだろうけど、その人の言葉が私の心を動かした。


『うじうじしてるのなんてダ~メ。女はね、いつだって大胆に行動するものよぉ。迷うくらいなら飛び込んじゃいなさ~い。余計なことを考えているから怖いとか思っちゃうんだからっ。変わることを恐れないで。変られる力が女にはあるんだから。自信を持ちなさい、世界中の女の子・た・ち♡』


 あの最後の投げキッスは衝撃的だった。

 今でも思い出しただけで鳥肌が。

 だけど、その言葉だけは心に鮮明に残っている。

 記者の質問の答えにはまったくなってなかったけれど、私は彼に感謝した。

 確かに怖い。一度逃げたのだから余計に。

 でも、もし、もしも変えることができるのなら、私は――――。


 そして、勇気を出して私はさち君に伝えようとした。

 でも、途中で言葉に詰まる。

 伝えたい言葉が出てきてくれない。

 どうして……?

 やっぱり、私じゃ変えられないのかな……?

 そう思った時、さち君の言葉が私の背中を押した。


「俺はいつまでも待つからな」


 真剣な眼差しでそう言った。

 いつもの無表情は少しだけ緩くなっていた。

 本人は気づいていないだろうけど、ほんの少しだけ、他の人じゃ分からないくらい些細な違いだけど、私にはわかった。


 ――――さち君が、微笑んだこと。


 その笑顔が全てだった。

 さち君は待ってくれる。でも、私は彼を待たせたくはなかった。

 だから、勇気を出して伝えるの。

 この思いを、この願いを。

 さち君がいてくれるなら、何も怖くない。


「わ、私ね……………………外に、出てみたい………………」


 すると、さち君の顔つきが変わった。

 いつも以上に真剣で、でも少し泣きそうな。

 そんな顔するんだね。


 ねえ、さち君。

 気づいていないかもだけど、さち君も変わっているのかもしれないね。

 私はいつかさち君が話してくれたことを思いだした。


『俺は普通の日常を知らない。笑ったこともない。そんなもの俺には必要なかったからな。憧れがないわけではない。だが、俺にはこれから先も必要ないのだろうな』

 

 少し寂しそうにそう言っていた。

 そんなことないよ。そう言ってあげたかった。

 だから、私は自分に自信が持てるようになったら言ってあげるのだ。

 これから私の日常は変化するだろう。

 でも、頑張るよ、私。


 とりあえず今日は、いっぱい頑張ったから、少しお休みするね。

 さち君、私これからもっともっと頑張るから。

 だから、いつか――――。





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