第7話 ニートなお姉さんと思い出お菓子
その日、本部にて俺がトレーニングを終え家に帰還すると、家の中は何かが焦げたような臭いで充満していた。
嫌な予感がし、俺は急いで靴を脱ぎ洗面所で手を洗いリビングへ。
そこで俺が見たものは――――。
「手遅れだったか……」
オープンキッチン故に、リビングからでもキッチンの惨状が目に入る。
ダイニングテーブルには何皿かに分けられた黒い物体X。
シンクに積み上げられた鍋や皿の数々。
周囲の壁や床に飛び散った何か。これは生地か……?
そしてキッチンには未だ惨状を生み出し続けようとしている犯人の姿が……。
「ふっふふーん♪ ふんふんふーん♪」
「…………澪」
「! さっちゃん、おかえり♪ 今日は早かったねぇ」
「これは、どういうことだ?」
「これ? あー……ちょっと失敗しちゃった☆ てへっ♬」
そう言って舌を出しおどける澪。
美人の女がするとこうも絵になるとは思わなかったが、俺には通用しない。
あれほど、この半年間で口酸っぱく言ったはずだ。
俺のいない間に、料理をするなと。
だが、それで怒り狂うほどではない。
優しく諭してやるのが本当の教育というものだろうと俺は思う。
爺の教育を受けた俺が言うのだから間違いない。
「澪、俺は前にも言ったはずだ。俺のいない間に料理をするなと。覚えているか?」
「うっ。そ、そうだね。確かに言ってたね。でもでも、お姉さんだってやればできるんだよっ! こ、今回は少し失敗しちゃったけど……」
「確かに失敗だな。少し、というほどではないが。それに失敗を重ねることは悪くないことだ。それが成功へと繋がるのであれば、な」
俺がそう言うと、澪は分かりやすくオロオロし始めた。
これまで何度も同じ失敗を繰り返してきているのだが、未だ成功例を見たことがない。
いい加減黒焦げの物体Xを創造するのはやめてほしいと思う。
「あうあう……」
「まあいい。次からは気を付けてくれ。食材は最大限の感謝を持って、美味しくいただくのが最上の礼儀というものだ。この物体Xは俺が後で食しておく」
「ぶ、物体Xって言わないでよぉ……。その考えはおじいさんの教育から?」
「いや、ここ半年で学んだことだ。数々の
「…………やっぱりちょっとズレてると思うんだけど、さっちゃんが良いならいっか」
澪が何か呟いているが、聞き取れなかった。
大したことではないだろう。
俺はテーブルに乗っている物体Xを一つにまとめ、ラップをして保管。
澪が眠りについたころに食べるとしよう。
澪の作ったものを苦し気に食しては失礼にあたる。
鋼の精神を持って、完食するのだ。
「無理しなくていいからね……」
「無理などしていない。俺が食べたいから食べるんだ」
「そ、そっか……――――――そうだ! これはね、ちゃんと作れるんだよ!」
澪が冷蔵庫から綺麗なガトーショコラを取り出した。
こ、これを澪が作ったと言うのか……?
物体Xとは違い、チョコ特有の黒を保ち、形も見た目も整っていた。
匂いのチョコの甘い匂いが漂って俺の鼻腔を刺激する。
澪はガトーショコラをナイフでカットし、皿に載せた。
脇に生クリームとミントを添え、両手で俺に差し出す。
綺麗に盛り付けられたそれは、カフェのデザートの一品のよう。
完璧な仕上がりに思わず喉が鳴る。
「これを澪が作ったのか……?」
「そ、そうだよ。どう? 美味しそう??」
「ああ。とても美味しそうだ。ここまで綺麗にできていれば店でも出品できるレベルではないか」
「ほ、ほんと……? 嬉しい……」
澪が照れたように笑う。
その表情は本当にうれしそうで、またしても心臓が高鳴る。
やはり俺の心臓はどうかしてしまったのだろうか。
いや、気のせいだろう。俺の体に異常はない。はずだ。
「しかし、どうしてこれは綺麗に作れるんだ?」
テーブルを挟み俺の対面の椅子に座った澪に訊ねる。
澪は少し考えるような仕草をした後、何かを懐かしむように話し始めた。
「……これはね、前に妹と一緒に作ったんだぁ。私に三人の妹がいることは話したでしょ? 両親が家にいない時、姉妹四人でこのガトーショコラを作ったの。その時みんな料理は初めてだったけど、私と違って妹たちは器用だから上手に作るんだよ。それで、一番お姉ちゃんの私が妹たちに教えてもらいながら、一生懸命作ったの。だから、これだけは忘れない。いつだって完璧に作れる自信があるの。だって……これは妹たちとの大事な思い出だから」
その悲しそうな笑顔がとても綺麗に見えた。
それに、なぜかすごく眩しかった。
なぜか分からないが、俺は無意識にその笑顔から目を逸らしてしまった。
「中に胡桃が入っているでしょ? それを入れようって言ったのは一番下の
「……ふむ。美味いな。ビターなチョコと生クリームの程よい甘さが絶妙にマッチしている。胡桃との相性も悪くない。素晴らしい一品だ」
「…………さち君、聞いてる?」
「もちろんだとも。だが、それがどうした?」
澪が不思議そうな顔で俺を見る。
今度は視線を外さずしっかりと目の奥を見据えた。
この言葉は澪の心の底に届かせる必要がある。
まあ、そこまで大層な事を言えるわけではないのだが。
「確かに、これを考案した澪の妹御らは優秀なのかもしれない。しかし、実際に今、これを作り上げたのは澪一人の力によるものだ。たった一回、妹御と作っただけ。その一回で全ての工程を記憶している。思い出だかは抜きにしても、簡単な事ではない。それができる澪が、どうして優秀ではないと言える?」
俺の心からの本心を伝えた。
嘘偽りのない本心だ。
俺は澪の妹のことは知らない。どれだけ優秀でどれほど結果を残しているかなど全く知らない。
だが、澪は違う。
半年間の同居で澪については多くのことを知った。
まだ根本的な部分には触れていないが、それでも俺は澪を知っている。
だから、その澪が自分を否定するようなことを言ってほしくはないと思った。
所詮、こんな言葉は気休めにしかならないだろうが。
すると、澪はなぜか噴き出して、笑い始めた。
目の端に薄っすらと涙を浮かべて。
「さち君は、すごいね……」
「俺はおかしなことは言っていないが」
「うん。そうだね。確かにそうだ。……ありがとう」
何に対しての感謝かは知らないが、受け取っておこう。
そのあと食べたガトーショコラは、最初の一口より甘く感じた――。
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