第3話 ニートなお姉さんと酒癖

 渋谷のスクランブル交差点から少し離れた地下。

 人の多い通りにあるが、意外と目につかない場所にあるひっそりとしたバー。

 何十年も前に組織を抜けたベテランの男が作った店だそうだ。

 それ以来、組織の人間御用達というわけだ。密会のための個室も完備している。

 それに飯も美味い。俺は酒は飲まないが、同僚曰く酒も素晴らしいらしい。

 置いていないものはなく、頼めば何でも作ってくれるという。

 現マスターの素性は誰も知らない。一体何者なのだろうか。

 気になるところだが、今は置いておこう。


 マスターに事情を説明し、奥の個室を借りる。

 神妙な顔をした女性は、未だ俺のことを警戒しているのだろう。

 だが、こちらも助けた手前彼女を放置するわけにはいかない。

 まずは話を聞くとしよう。


「では、帰れないというのはどういうことか、教えてもらおう」

「えっと……その……あの……」


 視線も合わせずしどろもどろになった。

 それほど言いにくい話なのだろうか。

 ん? そう言えば、まだ名乗っていなかったな。

 名前も知らない男に警戒心を抱くのは当然だ。


「俺は神々廻幸。こうしてスーツを身にまとっているが職業は……まあ、簡単に言えば掃除屋だ。会社から与えられるミッションをこなすため、奔走している。こう見えて、まだ十八歳だ」


 俺がそう自己紹介をすると、女性はキョトンとした顔で俺を見る。

 何か不思議な事でもあっただろうか。

 それとも十八歳ということに驚いたのか。

 まあ、俺ほど十八歳でスーツを着こなしている男はいないだろうな。驚くのも無理はない。


「えっと……神宮寺澪です。えと、えと、先ほどは助けていただいてありがとうございました……。お礼が遅くなって、ごめんなさい……」

「気にしなくて良い。困っている人がいるのなら助けるのは当然。そう教えられているからな」

「そ、そうなんですね……」


 ふむ……。

 この手の人間とはあまり関わってこなかったから、何を話せばいいのやら。

 同僚は皆、勝手に話す奴らばかりだから、俺はいつも聞いているだけだ。

 場を和ませるというのは難しいな。

 それにしても神宮寺澪……どこかで聞いたことが。

 俺が考え込んでいると、個室の扉がノックされた。

 おそらくマスターだろう。

 返事をする間もなく、扉を開けて入ってくる。


「うぃー、サッチ。相変わらず難しい顔してんじゃねぇか。もう少し肩の力抜けよ」

「………………マスター」


 短い赤髪に筋骨隆々でピッチピチのTシャツを着た浅黒い肌の美丈夫。

 体中に刃傷があるのだが、隠す気はないようで、さらけ出している。

 普通の人が見たら怯えるだろうに。

 だが、それを補って余りあるマスターのキャラが、相殺している。

 見た目とは裏腹にいつも真っ白な歯を出して豪快に笑う人だ。

 なかなかどうして多くの人に愛されている。

 というのに、誰も素性を知らないのはどういうことなのか。


「そっちの別嬪さんは訳ありみたいだな。サッチは良い男だぜ。何かお困りなら頼ればいい。事情は知らねぇけどな。誰かに話すのは悪い事じゃねぇ。ほら、これ置いてくから好きに飲んで食べてくれ」


 そう言ってマスターはテーブルが埋まるほどの料理を並べ、脇に瓶ビール数本と俺用にティーポットを置いていった。

 ありがたいが、二人で食べる量ではないだろう。

 それに料理のラインナップ。麻婆豆腐、唐揚げ、サラダ、ローストビーフ、パエリア、刺身の船盛。

 美味ければ何でもいいというマスターのこだわりが感じられる。

 その考えには俺も賛成だが、もう少し量というものを考えてほしいものだな。

 その時、クゥ~、という音が聞こえた。神宮寺さんが顔を赤くして俯いている。

 ふむ。これは触れない方がいいというやつだな。


「マスターの好意に甘えるとしよう。神宮寺さんも好きなように食べてくれ」

「は、はい。いただきます……」


 そう言って、彼女が最初に手を付けたのは――――瓶ビールだった。

 瓶ビールの蓋を開け、グラスに注――――がずにそのままラッパ飲みをした。

 先ほどまでの大人しい感じはどこに行ったのやら。

 半分ほど飲み、ぷはぁと声を出した姿はまるでやけ酒をしているOLのようだった。

 そしてすでに頬が赤い。それほど酒に強いわけではないのか、酔いが回っている。


「……私、神宮寺澪」

「うむ。先ほど聞いたが」

「二十四歳。超絶美人のニートなお姉さんで~す」

「自分で言うのか……ん? ニート?」

「そ。数年部屋から出ずに引きこもってたのぉ。そしたらぁ、いきなりお父様が部屋に無理矢理入り込んできてね。着の身着のまま無理矢理家から連れ出されたのぉ。しかも、ご丁寧に目隠しまでしてね。で、次に目を開けた場所がさっきナンパされたとこ。そりゃ、この恰好の美女がいたらナンパされるよねぇ。さち君が助けてくれなかったら、私、大変なことになってた。本当にありがとう」


 真剣な目つきで頭を下げる。

 酔っているのか、いないのか。分からないな。

 しかし、よく話すようになったな。

 これが酒の力というものか。

 あ。二本目を開け始めた。


「せめて、お財布くらいあればよかったんだけどね。スマホとカードケースしか持ってなくて。今、カードも使えないから本当に困ってたのぉ」


 コロコロと表情が変わる。やはり酔ってはいるのだろうか。


「はぁ……さっきのさち君、かっこよかったなぁ……。私、男の子って苦手なんだけど、どうしてかさち君は落ち着くって言うかぁ、どうしてだろう」

「それは知らないが、これからどうするんだ?」

「これからぁ? ん~、どうしよっかぁ。もう実家には帰れないしなぁ。お金もないし……」

「なら、俺が知り合いの伝手で家を斡旋しよう。これを機に働くのはどうだろうか」

「ううん。嫌。お外はあんまり好きじゃないもの」


 意外と我儘な女だな。

 というか、それもう四本目だぞ。


「本当……どうしよ……っかな…………」


 目を閉じたと思ったら、寝息が聞こえ始めた。

 話すだけ話して、勝手に眠るとは。

 こんな人間と関わるのは初めてだ。

 だが、一番の問題はこの後だ。この女をどうするか、ということだ。

 マスターに相談した結果、バーに置いておけないということで、仕方なく俺の家に連れていくことにした。

 まったく、ただでさえ狭いというのに、一人増えることになるなんて。一晩だけだからな。





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