第2話 ニートなお姉さんと出会い

 時は少し遡り、半年ほど前。

 桜の舞う時期だったのを覚えている。故に三月の終わりごろ。

 俺は組織からのミッションをこなし、家へと帰る途中だった。

 この時はまだ今のマンションではなく、家賃三万のボロアパートだったな。

 まだ日が落ちてすぐだから、暗くなり始めていた時間帯だ。

 なんとなく気分が高揚していた俺は、都内の喧騒に包まれながら歩いていた。

 あまり人の多い場所には行かない俺だが、その日はなぜか人の声を聞いていたい気分だったのだ。

 だから俺は、柄にもないことをしたのだろう。今になってそう思う。


 人の喧騒の中、鍛え上げられた俺の耳は様々な声を聞き分けていた。

 耳に入る言葉を全て情報として頭に焼き付け、すれ違う人間全ての会話を聞いていた。

 故に異変にもすぐに気が付いた。

 知識として知っていた。そういうことをする輩が存在することを。

 実際こうして目の前で見るまでは実在するとは思わなかったが。


 ――――ナンパだ。


 三人の男が一人の女性を囲み、ニタニタと汚い笑いを浮かべていた。

 囲まれている女性は酷く怯えている。

 側を通る人たちは関わりたくないのか、一様に目を逸らしていた。

 普通であれば、俺も関わらない。俺みたいな裏世界の人間が表に出るわけにはいかない。

 だが、その時はどうにも放っておけなかった。

 近くで耳を立て、男たちの言葉を聞く。


「お姉さん、どこ行くの?」

「見たところ、何も持ってないみたいだしさ、俺たちが何か買ってあげるから一緒に行こうよ」

「え……あのっ……」

「てか、お姉さん、めっちゃ美人だね! 俺こんな綺麗な人見たことないよ~」

「ね? ね? いいっしょ?」

「俺たちちょーやさしいからさ。そんな怖がらなくて大丈夫だって」

「いや……ちょっ……はなして……」


 男たちは女性の手を掴み、強引につれて行こうとする。

 嫌がってはいるが、恐怖で声がでないのだろう。

 男三人の力に勝てるはずもなく、振りほどくこともできず引きずられていく。

 周囲の野次馬たちは、顔を見合わせているが止めようとするものはいない。

 少し逡巡し、俺は男たちの下へ歩き出した。

 そして後ろから一人の男の首へ気づかれないように手刀を叩き込む。

 気を失い倒れそうになる男を抱えた。

 突然一人が倒れたことで、他の二人が驚愕の表情を浮かべ俺に視線を向ける。


「体調不良か? 気を付けた方がいいぞ」

「なっ……なんだお前。どこから出てきやがった?」

「てか、なんでそいつが気絶してんだよ! なんかしたのか!?」

「俺は何もしていない。言いがかりはやめてもらおう」

「そんなわけねぇだろ! 調子に乗りやがって。正義のヒーロー気取か、こらぁ!!」


 女の手を掴んでいた男が俺に殴りかかってきた。

 これだけ注目されているというのに、愚かな男だな。

 右手で相手の拳を掴み、周囲に見えないように鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。

 衝撃で殴りかかってきた男も気を失い倒れこむ。


「二人も体調不良か。今日はもう帰った方がいい。連れて帰ってやれ」

「お、おまっ、お前、なにを……っ」


 もう一人はなぜか恐怖に染まった顔で俺を見る。

 ふむ……これではさらに注目を浴びてしまうな。

 とりあえず場所を変えることとしよう。

 俺は女性の手を掴み、その場から逃げるように走り出した。

 戸惑いながらも、女性は拒むことなく俺の後ろをついてきた。

 駅前だったこともあり、しばらく離れてから後方を確認すると、交番の警察が倒れた男たちを介抱していた。

 これで一件落着となったか。一安心だな。

 人気のない路地まで来たことで、俺は女性の手を離した。

 周囲に誰もいないことを確認し、息を吐いて女性に視線を向ける。

 なぜかとても息が荒い。大した距離を走っていないのだが、少し早すぎたのだろうか?

 よく見ると、女性の恰好がおかしなことに気づく。

 サンダルに素足、膝にかかるくらいの白いワンピース、薄手のサマーカーディガン。

 メイクはしておらず、長い黒髪だけが綺麗に整えられていた。

 俺は同僚の女が言っていた言葉を思い出す。


『女の服装ってのはね、鎧であり心の現れでもあるのよ。服装で女の心までわかるようになれれば一人前。あなたにそれができるかしら?』


 俺にはさっぱりだった。

 それ以来、奴は俺に女心を理解させると息巻いて、会うたびに女とは何かを熱弁する。

 暇なのだろうか?

 そんなことより、彼女だ。

 さすがの俺でもこの服装がおかしいことくらいわかる。

 暖かくなってきたとは言え、夜になれば肌寒い季節だ。

 彼女の格好は一足早い夏の先取りなのだろうか。


「そのような恰好で出歩いては危ないぞ。早く帰ることをオススメする」

「…………帰れないわ」

「? どういうことだ?」

「……私の家、京都だもの」


 ふむ。京都か。

 ここは東京。今から急げば新幹線で帰れないこともない。

 だが、彼女がそのような金を持っているとも思えない。

 俺は懐から財布を取り出し、数枚の諭吉を差し出す。

 一万円札を諭吉と呼ぶのも同僚に教えられたのだ。


「これは……?」

「これだけあれば靴に上着、そして家まで帰れるだろう。その恰好で歩き回るのは良くないからな。では、気を付けて帰ってくれ」

「いや、だからっ! 帰れないって……!」

「? それだけあれば帰れると思うのだが?」


 そう言っても女性の表情は晴れない。

 むしろ先ほどよりも苦しそうな顔をしている。

 何か事情があるのだろう。しかし、この場で聞くのは良くないだろうな。

 女性の体が震えているのがわかる。先ほどの恐怖もまだ残っているだろう。

 俺はスーツのジャケットを脱ぎ、女性の肩にかけた。

 不思議そうな顔で俺を見上げ、ジャケットを握りしめた。


「何か事情があるのなら聞こう。その上で、俺が協力できることがあれば協力する。そのためにも、まずは場所を移そう。近くに知り合いの店がある。そこなら人に聞かれたくない話もしやすい。それに、もういい時間だ。食事にしよう」


 これではまるで俺もナンパをしているみたいではないだろうか。

 そう思ったが、今はそれよりも優先することがある。

 気にせず俺は女性の手を引き、歩き出す。

 その際、彼女は頬を赤く染めていたのだが、一体どうしてなのだろうか?





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