ボンベイ・サファイア ⑥

 壁との会話を重ねるたびに進路は形になっていった。

 夏休みに入る前までに、進学ではなく就職することを決心した。

 でも、決めたからすぐ就職先が決まるわけじゃない。

ここからの方が険しい山なのだ。

 私が目指しているような料理店の求人は簡単に巡ってくるもんじゃない。

 有名店の求人はほとんど専門学校に流れていく。初心者に毛が生えたくらいの高校生でいいって言ってくれる店は、チェーン店やその辺の小さな店くらい。それじゃあ、私の思っているような店ではない。

 途方に暮れていた私に手を差し伸べてくれたのは壁だった。

 どこから仕入れてきたのか分からないが、束になった求人を私に差し出してきた。

 その中にはたくさんの一流料理店や一流ホテルの厨房の求人があった。

心の中で感謝しつつ、片っ端から履歴書を送った。

 履歴書で落とされるところも何個もあったが、面接をしてくれる店もあった。

 だが、面接をしても送られてくるのはお祈りばかり。

 たくさん、たくさんお祈りされた。そのお祈りに挫けかけていると、壁はさらに助けてくれた。面接の仕方や履歴書の書き方。知らなかったことを色々教えてくれた。

 そのおかげか、9月には中国料理店から内定を貰っていた。

 就職が決まったら壁にお礼をしようと思っていたのだが、内定の条件に『高校に通っているうちからバイトとして働き始める』というものが付いたせいで、授業にバイトと忙しい生活になっていった。

 次第に壁と話すことはなくなっていった。

 冬になるころには壁と私。ではなく、普通の担任と普通の生徒の関係になっていった。

そのままあっという間に卒業式を迎えた。その日も、バイトがあったせいで別れの時すらゆっくり話せなかった。

 それからは忙しさと自分に迫りくる困難で次第に、壁との時間を忘れ去っていた。

 諸々の事件を終えて、酒の大沢で働きだしたころ。

先生から年賀状が届いた。

 定年退職して暇になったから、手当たり次第に住所の分かる教え子に送っていたようだ。

その年賀状で先生のことを思い出し、それからは毎年年賀状を送っていた。先生からも毎年来ていたが、なぜか今年は来なかった。大輔とのごたごたで気にしていなかったら、先日春子から知らせが届いたのだ。


先生が死んだって…


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