ボンベイ・サファイア ②

 私と春子の高校三年生の時の担任、山田秀樹先生にはすごく世話になった。

 この頃の私は「料理人」への道を進むために就職するか、みんながするという「進学」をするか迷っていた。だから誰かに相談に乗って欲しかった。でも、ずっと頼りにしていた姐さんは遠くに行ってしまったし、父は相変わらず忙しく配達や店の営業に追われており誰にも相談できなかった。無理やり頼めば、二人とも相談に乗ってくれたと思う。だけど、弱みを見せるのが苦手な私は強がって見せていた。

 迷ったまま何度も進路調査票を出していた。

 第一希望「進学」、第二希望「就職」

 周りの生徒たちは具体的な学校の名前を書いているのに、私はその二つで出し続けた。二年の時の担任は言っちゃ悪いがひ弱で私に何も言ってこなかった。だから、そんな曖昧な進路調査票で何とかなっていた。

 でも、三年の担任山田先生は違った。

 私の進路調査票に文句をつけてきた。

 私を呼び出し、口をへの字に曲げて叱り出す。

「大沢、もっと真剣に考えるんだ。みんなもう具体的な目標が定まってきている。お前ももうそろそろ決めるんだ」

 私が何も考えていないかのような口ぶりに、カチンと来て目の前にあった机を蹴り飛ばし、先生の手にあった私の進路調査票をふんだくって、学校を後にした。

 そのまま帰宅すると父に何か言われそうだから、一人公園でブランコをこぎながらくちゃくちゃになった進路調査票を眺めていた。

「こっちだって好きでこんな風に書いているんじゃない… どうしていいか分からないんだよ」

 少しでもこのむしゃくしゃを発散しようと、手に持っていた紙をびりびりに引きちぎった。

何度も何度もびりびりにしたそれらは、風に吹かれてふわりと手からこぼれ出していく。

「私はこんな風に何もつかめずに終わるんだろうな」

 いつの間にか、弱音が零れ落ちていた。

 そのまま風に舞う欠片を眺めて続けていると

「大沢!」

 山田先生が、肩で息をしながらこちらに近づいてきた。

「まだ、授業はあるぞ。学校に戻るんだ」

 息を整えながらそう告げる山田先生に私は

「うるさい」と吐き捨ててその場から駆け出していた。


 次の日、死ぬほど学校に行きたくなかったが、親父に迷惑かけたくなかったから、大人しく通学した。校門をくぐるとそこには私を待っていたのか山田先生が仁王立ちしており、私の顔を見ると何も言わず腕をガシッと掴み、生徒指導室に連行された。

 どうせ昨日ことを咎めてくるんだろと思っていると、目の前に一枚の小汚い紙が差し出される。

「こ、これは…」

 私は目を丸くしていた。だって目の前にあるのは昨日びりびりに破いたはずの進路調査票であったから。あらかじめコピーを取っていたものではない。茶色くなったところがあり、至る所にセロハンテープの修繕跡がある。それですべてを察した。

「こんなものに何でここまで…」

 訳が分からなかった。こんなプリントいくらでも書き直せばいいのに…

「自分の『夢』をこんなものなんて言っちゃいかんよ」

 先生は悲し気な表情でそう告げた。

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