ボンベイ・サファイア

「酒の大沢」

を休みにして、店主である私(大沢天音)は遠き地へ足を運んでいた。

 夏は酒屋にとって稼ぎ時である。そんな中、三日も休むのは少し抵抗があったが、

昔世話になった人の最期くらいはと思って休みにした。

 滞りなく葬儀は終わり、一緒に参加していた友達と一緒に葬式会場から少し離れた洒落た居酒屋に来ていた。

「天音良く来られたよね~ いつもは仕事が忙しいって言い張るくせにさ」

 隣でビールを何杯も平らげているのが、私の友人の松尾春子。

「そうだな。たまたまだよ。気が向いたから来てみたのさ」

 酒が飲めない私は烏龍茶をちびちび飲みながら、お通しのポテトサラダを口に運んでいく。

「先生とあと一回でいいから話したかったね…」

 春子は酔いが回ってきたのか、お互いに露骨に避けていた故人の話を出してきた。

まぁ、酔っていないでその話をするとどうしてもしんみりしてしまうから、今は酔っているほうがいいのかもしれない。

「仕方ないな。今から死にますって人はいないからな。どうしても死は突然にやってくるもんさ。残された私たちに出来ることは故人を忘れないようにすることくらいさ」

「うん」

 春子は、手に持っていた大ジョッキに並々と注がれたビールを一気に飲み干す。

そして、通りがかった店員に新しいビール注文する。

「あんまり飲みすぎるなよ」

「うん」

 そう返事はするのだが、店員が持って来たビールをまた一気に飲み干す。

「だから、聞いてるか?」

「うん」

 ダメだこりゃ、もう頭働いてないな。

「春子、寝るならホテル行くぞ」

「う…ん…」

 遅かった。目の前で春子はバッターっと崩れ落ちる。

「はぁ……」

 ため息をつきながら、幸せそうな顔して寝ている春子を覗き込む。

「春子の言う通り一回でいいから話したかったな… 『壁』としてじゃなくて人として、先生としてしっかり話してみたかった…」

 春子の前では強く見せていたが、誰も見ていないとどうしても悲しみがこぼれ出てしまう。

「何回経験してもこの長い別れだけは、慣れそうにないな」

 故人との思い出が溢れ出してくる。

 遠くにあったはずのあの堅物な顔が目に浮かんでくる。

一瞬、それを押しとどめようかと思ったが、目の前の酔っ払いは当分起きそうにない。

「ちょうどいいのかもな…」

 そんな風に独り言を言いながら、メニューに目を落とす。

すると、こんな時にちょうどいいものがあるではないか。

たぶんここから見えるあの水色の瓶を使って作るんだろうな。

「すいません」

 店員を呼び止めて、それを頼もむ。

店員が「畏まりました」と言って下がっていく。

「店員が戻ってくるまでなら思い出すのもいいかもな…」

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