第十八章「酒と泪とおでんと同僚(後編)」
それから三十分後。
精も根も尽き果て真っ白に燃え尽きた心身状態にある私は、渚先生と共に行きつけのおでん屋台にいた。
「まったく、なんでこうなるわけよ……」
敗北色が濃厚になってきてから既に数百回は口にしたであろう台詞を力なく呟いた。
おそらく、今の自分の顔を鏡で見たならば、目は虚ろで顔色は青ざめていたり酷い状態であることは容易に察せたわ。
傷心癒えぬまま会議室から出てきた私を、渚先生は外に連れ出して、行き着いたのが英語教師「源雅」が常連客となっているおでん屋台であった。
甘井先生も居る時もあるけど、大抵は渚先生と二人で飲むときが多い。誤解を招きかねない表現をするならば、ここは二人だけの秘密の場所めいたところなのだ。
古めかしい木製の屋台は人が三、四人も座ると窮屈になる程の小さい店だったけど、ここの寡黙な初老の店主が作るおでんは格別であり、ちょっとした穴場であった。
初めてこの屋台を訪れたのは、教師赴任一日目。つまり地球侵略を開始してまだ日も浅い頃からであった。
数回目の敗北を喫し、更にはアースファイブの五人が自分の教え子という現実に直面して前途多難に頭悩ませながら帰り支度をしていた私を、渚先生がここに連れてきてささやかな歓迎会をしてくれたのだ。
それ以来、私と彼女はよくここにお酒を飲みに来るようになった。
既に一年以上マメに通い続けてすっかり常連となっているので、店主は私達が暖簾から顔を出すと、オーダーを聞くまでもなく棚からお酒を出してコップに注ぎ、幾つかの具を皿に乗せていく。
まだ夕方になったばかりだからか、客の気配はまったくなく、私と渚先生の二人だけしかいない。
お酒の並んでいる棚の隅に置かれたアナログなラジオからは野球のナイター中継が聴こえてきていた。
木製の長椅子に腰を下ろす。先程まで会議室の椅子に座っていたのだけど、こっちの方が落ち着くのは何故だろうか。
カウンター前に置かれたおでんの湯気に顔を当てながら、私はぼんやりと頬杖をついた。
暖簾の隙間から見える平和な光景。その光景は私の不満を刺激せずにはいられなかった。
なんでこうも日常してるのかしらね。普通あれだけの事件が起きたならばもうちょい緊迫感とかあってもいい筈なのに。
私達が攻めてきたときは必死に逃げているけれど、終わった後は何事も無かったかのように日常に戻る世間。
何度も侵略者が来訪した経験があるからか、逃げ方や対処の仕方も心得ている。
結局今回の作戦も怪我人は出たけど死人も出る事無く、建造物の破壊以上の深刻な被害は出ずに無駄に建設業者を喜ばせる結果になっただけ。
家路を急ぐ学生やサラリーマンや駅前のスーパーで世間話をしている奥様連中にはさしたる動揺もなかった。
宇宙から侵略者が来てもうすぐ二年目になろうというのに、世界は私の予想とは裏腹に何事も変わらずであった。
相変わらず世界のどこかでテロリストがテロしたり、賄賂受け取った政治家が逮捕されたり、隣町で交通事故が起きただの、珍走団が騒いでいるなどと、侵略者が来る前とは殆ど変わっていない。
もしかして、私らって実はそんなに脅威に思われてないのかしら。
いつかは正義のヒーローなんかに倒されてしまう相手だと認識してるからか。
しばらく耐えていれば帰るだろうと思われてるからか。
どちらにしろ、大して重い存在として見られてないような気がすると感じるのは私だけであろうか。
そんなネガティブな結論を導き出してしまい、私は今日で何度目―地球に来てから数百回目―かの深い溜息を吐いた。
「雅先生」
再び落ち込みかけている私の頬にガラスの冷たい感触が伝わった。渚先生が日本酒を満たしたコップを私に当てていたのだ。
「とりあえず、まずは乾杯しましょう」
「アースファイブの勝利にですか?」
愉快な気分にない私は投げやりな笑みを浮かべてそう言った。けれども渚先生は穏やかな微笑みを浮かべ首を横に振った。
「今日もお互い無事に一日を過ごせた事にですよ」
「……」
その言葉には、嘘偽りの成分は含まれていなかった。まったく、この人はホント変わってると言うか。
内心呆れながらも、私は彼女の差し出したコップを受け取った。
「おつかれさまでしたぁ」
「お疲れ様」
縁と縁を軽くぶつけて乾杯した。渚先生が一息に飲み干していくのを見ながら私も口をつけた。
日本酒の甘辛い味が口の中に広がり、スッキリとした喉越しが喉を通して身体全体に伝わっていくようだった。程よく冷えたお酒はまぁおいしかったわ。
「はぁー、お仕事の後の一杯は最高ですよね」
「それ、今の私にはちょっと嫌味に聞こえるんですけど」
「あらあら、私は別にそういうつもりで言ってないですよ」
「分かってますよ。言ってみただけですって」
そう言って再びコップに口をつける。渚先生は二杯目を注文しながら玉子やちくわに手を付け始めた。
しばらくは他愛ない雑談を交し合いながら飲み食いをしていた。
お酒の効能か、五杯目辺りで少し理性の箍が緩んできた私は、お酒を飲みながら今日の出来事と共に今まで感じてきた不満を彼女に愚痴っていた。
どうしてこうも周りは不真面目なのか。
どうしてこうも周りは緊迫感というものが欠如しているのか。
どうしてこうも有り得ないような事ばかりが起きまくるご都合主義な空気が流れているのか。
運命とか宿命とか信じてないクチだけど、何か得体の知れない存在がこの世界に干渉してるとしか思えない。
挙げだしたらきりが無い。不平不満を言い出したら止まらない。
私に総指揮を執らせれば、地球なんて数日で征服完了出来るというのに。我が身の境遇を嘆いてしまいたくなる。
いや、完全な自信があるわけじゃないけどね。今日みたいな負け方しちゃうと。
「もうやってられませんよ実際……」
一通り愚痴を漏らしたので、一息吐いて日本酒を飲んで喉を潤す。心の隅で今の自分が会社勤めにくたびれた中年サラリーマンみたいだなと思ってしまったのだが、否定することにした。私はまだ二十六だっつの。
渚先生はその間何も言わずに私の話を聴いていたけれど、私の愚痴がとりあえず止んだのを見て口を開いた。
「雅先生は少し真面目過ぎるんですよ」
おでんの汁をたっぷり染み込ませた大根をつつきながら、彼女は言葉を続ける。
「先生も既に分かってらっしゃると思うんですけど、サーティンさん達も私達も不真面目でも緊迫感皆無でもないですよ」
「いや、他はともかくあの馬鹿皇子だけは真正に不真面目です」
私は断言口調で即答した。あの皇子の家庭教師をしていた私が言うのだから間違いない。
渚先生はそれを軽やかに無視して話を続ける。
「私達EDCが負けてしまうと地球は先生達に侵略されてしまいますし、逆に雅先生達も理由は何であれ征服が任務ですから任務を果たさないといけない。侵略する側とされる側と譲れない立場があります」
「……」
「雅先生からすれば苛立ちを覚える所は沢山あるでしょうけど、実際のところ結構危ない状況にある中で精一杯頑張ってるんですよ私達は」
「わかっているんです。私の同僚共も貴女達の行動原理も。でもどーしても感情が理解してくれないというか」
納得いかない事も多々あるしね。
箸を動かしながら私は力なく苦笑を浮かべた。二つに割ったがんもどきから食欲を刺激する湯気が立ち上る。
「カリカリしやすくて融通利かない性格なのは自覚してるんですがね。どうも性分な為か中々是正出来ないものですよ」
「でもそこが雅先生らしいというか」
あんま嬉しくないわね。
その言葉が喉元まででかかったけれど、言ったところで目の前の天然な同僚に全然効かないと悟り、口に運んだ熱々のがんもどきと一緒に飲み込んだ。
「……とにかく、私はこの惑星を征服するのが任務ですから、それを果たす為ならどんな非道にでも手を染める所存ですよ」
アルコールの呼気を吐き出しながら私は渚先生に告げた。
けれども、彼女は私の決意というものをさほど重くは見なかったらしい。
しばしの沈黙が私達の間で流れた。破ったのは彼女の言葉だった。
「雅先生」
「なんです」
「私の前では強がらなくてもいいんですよ」
私の決意表明に関してそんな事を言い出したのだ。
なんだそれ。私が虚勢はってるとでもいいたいのかこの天然保健医は。私は本気だぞ。やると言ったらやる女なんだぞ。
先生の言葉を負の方向に解釈した私は、眉根を寄せて拗ねて見せた。
「私を侮りますか」
不機嫌そうに睨んだ私であったが、彼女の天性ともいえるほえほえした笑顔と空気にはどうにも弱く、私の鋭気は持続しなかった。
彼女は七杯目を飲み干したコップをカウンターに置き、私の方に向き直った。そして。
「違いますよ。だって、雅先生はそんな酷い事する人じゃないって私が一番知ってるんですからね」
「はいっ?」
「お仕事だから、無理しているだけですものね」
いきなり何を言い出すんだこの人。
そりゃまぁ、今回は人質にとった割には特に酷い事もしてないし、あまつさえ心配なんかしちゃったけどさ、それだけで私の事云々言われても困るんだけどなぁ。
「渚先生。貴女もいい大人なんですから、根拠のない事を無闇に仰らないでくださいな」
コップを傾けながら私は窘め口調で彼女に反論を試みてみた。すると、渚先生は「心外な」と言わんばかりに目を瞠った。
「根拠ならありますよ」
自信満々に断言するものだから、私はお酒に口をつけながらついつい乗ってしまった。
「ほぉ、拝聴しましょうか」
「それはですね」
そう言った瞬間、私の視界に渚先生の顔のアップが映った。
彼女はおっとりとした笑顔を浮かべ、私のおでこを人差し指でチョンと軽く一突きした。そして、囁くように。
「雅先生は私にとって可愛い大切な人ですもの。そんな人が口でなんて言おうとも決して酷い事なんてするわけないじゃないですか。私が好きになる人に悪い人なんていないです」
「なっ……!?」
突然の行動と爆弾発言に思わず飲んでいたお酒を噴出しそうになった。辛うじて回避はしたものの、少しばかり気管に入ってしまい咽てしまった。
しばし口元を押さえて咳き込んだ。ようやく咳も止まったので、目尻に溜まった涙を拭いつつ、渚先生の顔を凝視する。
「……それは、友人としてですかね? それとも…………」
「さぁ? どっちでしょうねぇ」
目と鼻の先にまで接近しているほんわか笑顔の保健医は、私の質問に対して明確な回答はしなかった。ただ私の顔をじっと見つめているだけだ。
それでも私の背筋に微量な汗を伝わせるには充分だった。
おいおいおい、モラルとか堅いこと言う気は毛頭ないけどさ、まさか自分がそういう感情の対象として見られていたなんて。あの馬鹿皇子の妄言がマジになるとは思ってもみなかったわよ。
ソノ気はないけど、こんな可愛い人に好きになられるのは悪い気分じゃないし、嫌いじゃないんだけど、ちょっとまだ心の準備というものが……って、私は何で急接近されてるだけなのにここまで動揺するわけよ。
変に動揺してるのは疲労が濃い所為だからよ。顔が熱く感じるのはお酒飲み過ぎな所為よ。
そうだわ、というかそう思いたい。
「あの、渚先生」
「はい?」
「そろそろ離れてくれませんかね」
「どうしてですか? 別に仲のいい女同士がじゃれあうのは変じゃないですよ」
「いや、それはですね……」
ああ言えばこう言うな問答で追い詰められ気味になった私。彼女がどこまで冗談でどこまで本気なのか分からないまま、気がつけば渚先生は私の腕に自分の腕を絡めてきていた。
初老の店主は我関せずと黙々とおでんの仕込みをしている。
「あの、くっつきすぎ禁止ですよ……」
「気にしないでください」
「気になりますって!」
おいおいマジかよ。ガチですか貴女は!?
年下の上司命名「百合フラグ」なるものが立ちかけたその時であった。
「渚せんせー! 雅せんせー!!」
私達の背後から、聞き覚えのある無駄にテンションの高い少女の声が聞こえた。
驚いて振り向くと、憎き仇敵と同時に私の教え子でもあるアースファイブの面々が暖簾から顔を出して私達を見ていた。
「おまえたち……」
「赤城光、約束どおり先生のテストを再び受けに只今戻ってまいりました!」
大仰な敬礼をして報告する赤城。
「おい、赤城。先生達のプライベートタイム邪魔するべきじゃないだろう。ここまで押しかけてきて言うのもなんだが」
私と渚先生に申し訳なさそうに会釈しながら赤城を窘める青野。
「いいんちょの言う事も一理あるけど、俺達一応テスト抜け出してきたんだしそのまま帰るわけにはいかないだろう」
穏やかさの中に明晰さをも感じさせる声音で青野に意見する緑川。
「学校戻ったらお二人とも既にいなかったので、もしかしたらと思い、以前教えてくださったお二人の行きつけのお店を訪ねてみたんです」
連中が言い合っている中で、私達を見つけた理由を述べる来須。
「ところでせんせー達はさっき何してたんですかぁ? まさかお二人ってそういう関係なんですか!?キャー、ドッキドキ!」
やかましいぐらいに早口でまくし立ててくる大窪。
五人ともあんな激しい戦いをした後とは思えない程に元気であった。
いや、違うのだろう。
多かれ少なかれ怪我をしている筈である。それなのに事情を知らない(と思っている)私に心配かけまいと元気そうに振舞っているのだ。
阿呆か。今目の前に居るのはお前達に怪我させた張本人なんだぞ。もう何度も戦いの場で顔合わせしてるんだから少しは気がつくとかしろよな。
いつも通りそんな悪態を吐くものの、心のどこかでそんな「馬鹿な奴ら」の気遣いを嬉しく思っている自分が居た。
まったく、私もヤキが回ったわね。敵の鈍感さにそんな感情を抱くだなんて。
「そういう所が、あの子達の良い所なんですよね雅先生」
出し抜けに耳元で渚先生にそう囁かれて私は軽く飛び上がった。
声に出していたのかと思ったけど、どうやら彼女の思考の流れのタイミングと被っただけであった。
私は後ろにて色々と何か言い合っている彼らに視線を向けた。どの顔にも自分達が今日も使命を果たせた事への充実感があった。
そんな誇らしげな顔が羨ましくもあり憎らしくもあり、私の胸中を複雑なものにさせていた。
仕方がない。今日はその笑顔に免じてこちらの敗北を認めよう。
けれど忘れない事ね。いつの日かアンタらをこの手で倒し地球を我が帝国の物としてやるんだから。
さて、改めて決意したものの、敗北したままは癪だったのでささやかな報復を行うことにした。
誰も傷つくことのない、小さな仕返しを。
「よーしお前ら。わざわざ来てくれてなんだが、再テストは明日だ。抜け出した分さらに範囲追加してやるから覚悟しろよー」
口端を吊り上げた笑顔でそう宣告してやると、赤城達は陽気な雰囲気が一転して口々に叫びを上げて頭を抱えだした。
それを見ながら私は微かな勝利の味を得て気分が良くなった。ざまーみろっ。
隣で「あらあら」と困ったような微笑を向ける渚先生に私は小さく舌をつきだしながら笑みを返した。
心なしか冷えた日本酒と熱々おでんがさっきよりもおいしく感じた。
夕焼けの赤い空は遠くへ消え去り、空は暗闇と星の輝きが支配権を握る時間へと移っていた。
星の綺麗な夜空であった。
朝や昼間は人通りの多い通学路である歩道も、夜になると閑散としたものだ。隣の道路を走る車は大して変わらないけど。
明日の再テストに悩む赤城達を追い返した私達はその後更に一時間ぐらい屋台で過ごし、今は帰宅の徒へ着こうとしていた。
私は転送装置で要塞へ戻ればいいが、渚先生は基地内に居住してるのではなく、ごく普通の民家で生活している。
女性が一人で夜道を歩くのは危ないので、私は彼女を家まで送り届けようと同行しているのだ。
嘘、ごめん。実は屋台でお酒飲みすぎて少しばかり酔ったので渚先生の家でちょっと休憩しようとついていってるんだ。
さっさと帰ればいいだけの話だが、酔っ払って戻ったら馬鹿皇子にまた変な事言われるに決まってるのが容易に想像出来る。
「すいませんね渚先生……」
「大丈夫ですか? 家はすぐそこですから」
飲みすぎで千鳥足気味な私の腕を自分の肩に廻して半ば引き摺るように私を家に案内する渚先生。その歩調に乱れはなかった。
私の倍は飲んでいるのに彼女は殆ど変化がない。ザル通り越してうわばみというものであろう。それにしても強すぎる。
頬が赤みをさしているのが分かる。呼気も熱いし頭もクラクラしている。どう見ても飲みすぎだ。これでは明日は二日酔い決定だな。
まったく、ワルザードともあろうものが自棄酒飲んで地球人に介抱されることになろうとは情けない。
かつてこれ程情けない侵略者を私は知らない。皇子や博士ならそういうのに詳しそうなので知ってそうだけど私は知らん。
酔って半ばとろんとした目で夜空を見上げると、無数の星と一つの月が輝いている。
月の隣には、衛星軌道上に静止している要塞ワルスキーの姿が小さく見えた。
無数の星の中に、もしかしたら小さく、物凄く小さくでも我が母星クァークゴ星があるのかもしれない。
振り返ってみれば遠くへ来たものだ。そんな感慨が胸中に浮かぶ。
移動に二ヶ月。移動後は二年目になろうとしている。誰もがここまでこんな辺境の辺境に滞在するとは思わなかったであろう。
幹部は別として、要塞勤めの兵士達は超亜光速通信でのマメな連絡や、人事異動などにより母国へ帰る機会があるので、今のところ望郷の念を理由にしての不満や不安は湧き上がっていない。
今後の展開次第で「もう二年」となるか「まだ二年」となるか未知数だ。今日の私の作戦が成功していれば、地球滞在は過去形で語られる日が来ていたのだが。
いかん、思い出したらまた気分が下がったわ。
目元に落ちかかる前髪を掻き揚げながら私は視線を天上から地上へと戻す。ちょうど道路脇に設置された道路工事の赤いランプの光が飛び込み、伊達眼鏡のレンズで赤く反射した。
「雅先生は故郷に帰られたいですか?」
渚先生がそんな事を訊いてきた。どうやら私が夜空を見上げてるのを見ていて故郷に思いを馳せていたと思ったらしい。
地球人の同僚の問いに私は否と答えた。彼女は不思議がった。
「どうしてまた」
「別に。私は任務を途中で放棄して帰る気がないだけですよ。親には近況報告と称して手紙ぐらい送ってますし」
「あぁ、以前お話してくださいましたよね。ご家族のこと。お父様とお母様とお兄さんと、それに義理のお姉さんと生まれたばかりの姪御さんがいると」
「家族は私の昇進を素直に喜んでくれたのですが。さて、今は辺境にある辺境の惑星一つどうこう出来ないとは情けないとでも思ってるんじゃないんですかね」
「そんなことないですよ。きっと娘さんが頑張っているのをご理解して応援していますよ」
これが他の人間が言ったならば嫌味にしか聞こえてなかっただろうけど、彼女の口からそう言われると、案外そうなのかもと信じてしまいそうだ。なので私は「だといいんですが」と相槌を打った。
侵略軍の幹部と敵の副司令官とが酒を酌み交わし、肩を組んで他愛ない話をしている。
そんな光景に違和感を未だに覚えている。理性が必死に首を横に振って叫んでいる。
ありえない。変だから。どこかおかしいからそれは。
思いつつも、たまには悪くないと妥協してみたりする。お酒の所為にでもして、今日ぐらいは流されるままに流されるのもいいだろう。
「今日は帰りたくないですなぁ……」
私の呟きを聞いた渚先生が私の耳元に唇を寄せた。お酒の香りと彼女の匂いが混ざり合って、心なしか甘い香りが鼻腔を撫でる。
「では、今日は私の家に泊まりますか? お布団お貸ししますよ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。私は両親と同居していますし、それにお客様用の布団も用意できますから」
「いやそういう意味ではなくてですね……」
更に口を開こうとして、私は口を閉ざした。今日はなんだか色々あって疲れたから、これ以上ツッコミをするのも億劫になってきている。
なるようにしかならんものだ。
いつもの私は明日から復活させればいい。本来の姿であるワルザード・スルーは明日から再び地球侵略の策を練り実行し、同僚や上司を叱咤していくのだ。
だから今日は、仮の姿である源雅という一地球人として、普通の日常に身を置こう。
明日の自分の為に。
私が口を閉ざしたのを見て、渚先生が桜の花のような可憐な笑顔を浮かべた。
「決まりましたね」
嬉しそうな顔をする同僚に苦笑を浮かべたが、悪い気分ではなかった。
「夜分遅くで恐縮ですが、お邪魔しますよ」
そう言って、私は彼女の肩にさっきよりも寄り掛かり、自分の足で歩いているとはいえ、半分は彼女に身を任せる形となった。
渚先生は私が寄り掛かってきたのを嫌がらず、私を抱く腕に力をこめた。
心地よい温かさを感じながら、私は一歩ごとに近づくお風呂と寝床に思いを馳せているのだった。
あぁ今日もよく働いたなぁ。
前略、母さんへ。
そして父さんに兄さんに義姉さん。春の日差しも暖かく感じる季節、どう過ごしてるかな。私は相変わらず元気にしてるんで。
なんやかんやで二年目を迎えちゃったね。
まだまだ地球侵略するには程遠く、この手紙を書いている直後にまた負けちゃったよ。もう嫌んなっちゃうわ。
毎日同じ事の繰り返しで、この二年間は正直、何度も挫けそうだったわ。
泣きたいときや怒りたいときも、何もかも投げ出して故郷に帰りたいって何度考えたことか。自分の未熟さや非力さ、運の無さに気分が滅入ったことなんて数え切れないぐらいあったしね。
まぁでも、悪い事ばかりでもないわ。
あのね、今更報告するけど、現地の人間の友達が出来たのよ。その友達っていうのがどうしよもない天然で、掴み処がなくて、いつも笑っていて、ほんわかとして調子を乱される事がよくあって、色々な意味で頭の痛い人なんだけど、悪い人間でないのは確かなの。
そんな彼女の存在が今の私には非常に大切な存在というか。うん、まぁ、とても仲良くしてもらってるわ。今はそんだけよ。
そういう彼女や彼女を取り巻く人々に反発したり翻弄されたりと目まぐるしい毎日を過ごしていて、地球人も私らもそう変わらない存在なんだなぁと。こういう仕事してて気づかされるのも変な話だけどね、今の私の実感というか。自分でも何言いたいのか判らなくなってきちゃった。
まだ帝都に戻るには時間が必要になりそう。でも、その日を楽しみに待っててね。
今回はとりとめない近況報告だけにしとくわ。また今度手紙送るからいいよね。
そういうわけで、皆も元気でね。
帝国歴六七七年五月十六日 貴方らの自慢の娘でありたいと思うワルザーより
クァークゴ帝国地球侵略部隊はもうすぐ侵略を開始して二年目に入った。
戦いは、まだこれからであった。
【書籍化作品】雅先生の地球侵略日誌 直月秋政 @naotki-5
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