約半世紀前の数学オリンピック問題

 数学研究部の部室では、数多くの数学書や難関大学の問題集で溢れかえっている。

 成宮は相変わらず難関大学の入試問題に取り組んでいた。おそらく東大や京大あたりだろう。


「成宮君よくやるよね。和人は何の問題解いてるの?」

 

 愛華はそう言って、俺のノートを覗き込んできた。顔の距離は3センチもない。思わずのけ反った。


 nを任意の自然数とするとき、6つの自然数

  n、n+1、n+2、n+3、n+4、n+5

 を2組に分けて、おのおのの積を等しくすることはできないことを示せ。


「これどこの大学?」

「大学入試じゃない。1970年に国際数学オリンピックで出題された問題だ」

「国際?」

「ああ。数学オリンピックとひとくちに言っても、日本数学オリンピック、日本ジュニア数学オリンピック、そして国際数学オリンピックと複数あるんだ」


 日本が国際数学オリンピックに初めて参加したのは1990年。つまり、この問題をリアルタイムで解いた日本人はいないということだ。


「1970年とか、もう50年以上も前じゃん」

「国際数学オリンピックは第1回が1959年だから歴史は結構長いんだ。この問題は数式なしで示すことができる」

「計算しなくてもいいの?」

「計算で示すこともできるが非効率だ。『2組に分けて』だから3つの自然数の積を求める必要がある」


 n、n+1、n+2、n+3、n+4、n+5から3つの自然数を選ぶとき、選び方は6_C_3=6・5・4/3・2・1=20通り。

 根気強く計算すれば誰でもとは言わないが、正解することはできるだろう。でも、仮に制限時間が10分だとすると、1組あたり30秒以内で求めなければならない。

 

「問題を解くヒントは素因数の数だ。ある数の倍数が何個あるかに気付ければ、容易に解ける」


 愛華は案の定、訝しげな表情で首を傾げた。あまりはぐらかしても時間がもったいない。


「愛華、この6つの自然数に5の倍数は何個ある?」

「5の倍数? そんなの分かんないよ」

「nに適当な数字を代入していけば分かるはずだ」


 n=1のとき、

 (n、n+1、n+2、n+3、n+4、n+5)→(1、2、3、4、5、6)

 

 n=2のとき、

 (n、n+1、n+2、n+3、n+4、n+5)→(2、3、4、5、6、7)


 n=3のとき、

 (n、n+1、n+2、n+3、n+4、n+5)→(3、4、5、6、7、8)


「1つだけだね」

「この事実を利用すれば題意を示すことができる。6つの自然数を2組に分けるんだから、どちらか片方の積は5の倍数で、もう片方の積は5の倍数ではない」

「でもさ、nが5のときは5の倍数が2つになるよね。上手く分ければ等しくできるんじゃないの?」


 n=5のとき、

 (n、n+1、n+2、n+3、n+4、n+5)→(5、6、7、8、9、10)


 俺は額を手で押さえた。こういうケアレスミスは試験では命取りになる。視点を変えて考えてみるか。


「そうだな……もし、2組の自然数の値が等しいなら、6つの自然数の積は平方数になるはずだ」


 これが真なら2組の自然数の積をNとして、Nは2、3、5しか素因数を持たないことになる。

 

「Nが平方数であるためには素因数2、3、5の個数がそれぞれ偶数でなければいけない。けど、6つの自然数のうち奇数は3つだから、2はともかく3と5以外に別の奇素数が必要だ」

「奇素数?」

「素数かつ奇数。素数は2もあるから」


 話を戻すと、項数は6つだから3の倍数は2つ、5の倍数はひとつ。愛華が指摘したようにnが5の倍数のときは2つ。


「ってことは、nは5の倍数じゃないと偶数にならないから駄目じゃん」

「nが5の倍数でも駄目だ。さっきも言ったけど6つのうち3つが奇数。そして、そのうち3の倍数と5の倍数はせいぜいひとつしかない。つまり、3つのうちひとつは3も5も素因数を持たない」


 よって、6つの自然数には7以上の素因数を持つ数が少なくともひとつは存在する。


「だから項数をいくつ増やしても、2組の積が等しくなることは永遠にない。厳密ではないが一般化して証明することも可能だ」


 任意の自然数をnとおいて、k個の自然数

 n、n+1、n+2、……、n+k-2、n+k-1のk/2+1個目からk個目までの自然数に、1つも素数がないと仮定する。

 この仮定が真であるならば、素数は有限個ということになる。しかし、素数は無限個あるため仮定と矛盾する。

 よって、k/2+1個目からk個目までの自然数に、少なくとも1つは素数が存在する。したがって、k個の自然数を2組に分けたとき、おのおのの積を等しくすることはできない。 


 ノートに記した証明を愛華に見せると、彼女は苦笑いして言った。


「えーと、背理法なのはなんとなく分かるんだけど……意味がよく分からない」 

「数学の証明はどうしても抽象的になるから、理解できなくても無理はない」


 そもそも、数学は用語自体が難解なのだ。自然数、正の整数のように類義語も多いしな。その分、理解できたときの達成感は大きい。それもまた数学の魅力でもある。

 

「そうだ、素数が無限個あることもここで証明しておこう。この証明は『素数が無限個ある』ことを前提に証明したが、前提が間違っていたらすべてが破綻する」


 素数が3つだけと仮定して、3つの素数の積に1を加えた数をNとする。

 Nは合成数だから3つの素数のいずれかで割りきれるが、どれで割っても1が余り矛盾。よって、素数は無限個である。


「4つ以上の場合は考えなくていいの?」

「数をどれだけ増やしても、やり方は同じだから考える必要はない」

「証明ってやっぱり難しいなぁ。もっと簡潔にできたらいいのに」


 愛華はそう言って渋面を作った。数学に王道はない。

 

 参考文献

 小島寛之 『数学オリンピック問題に見る現代数学(ブルーバックス)』講談社 1995年


 問題文は本書から引用しました。ちなみに、国際数学オリンピックの問題は公式サイトからダウンロードできますが、2006年以前の問題は日本語版がありません。そのため、基本的に問題文は全て英語です。翻訳があるのは助かります。

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