ホワイトライオンと僕

新原つづり

ホワイトライオンと僕

 僕がホワイトライオンに出会ったのは、街中が秋の匂いに満ちた夕暮れ時のことだった。

 僕はとても落ち込んでいて、授業が終わっても家に真っ直ぐ帰る気にはならなかった。だから学校の近くをぶらぶら歩いていたんだ。すると、気付いたら大きな公園の入り口に来ていた。

 少し気味が悪かったよ。だってそんな大きな公園、このあたりにはなかったんだから!

 でも、ちょっと気になって、公園に入ってみることにした。それでベンチに腰掛けているホワイトライオンを見つけたってわけ。

 ホワイトライオンって言っても、動物園にいるあの「ホワイトライオン」を思い浮かべないでね。僕が出会ったホワイトライオンは、あんなリアリティのあるライオンじゃなくて、もっとこう、ぬいぐるみみたいなやつなんだ。しかもたてがみがない! だからはじめは、大きな白い猫のぬいぐるみが置いてあると思ったんだ。

「君は、だれ?」

 僕はおそるおそる尋ねてみた。その白いぬいぐるみみたいな変なのは、紙にせっせと何かを書いていたけれど、僕のことに気が付いて顔を上げた。

「ぼくはホワイトライオン」

「ライオン?」

 僕は驚いて聞きかえす。猫にしか見えないんだもん。

「そうだよ。ちなみにオスさ。きみは、ぼくにたてがみがないことを不思議に思っているんだね?」

 僕は何も言わなかった。真っ白な毛が夕日を反射している。

「暑いからね、そっちゃったの」

「でも、もうすぐ冬が来るよ?」

「冬はいいねぇ。快適だねぇ」

 ホワイトライオンはしみじみしている。

「ところでホワイトライオンくん、君は何をしているの?」

 僕はちらっと彼が持っている紙を見た。何やら数字が書かれているようだった。

「ああ、これね。計算をしているんだ。ちなみにホワイトライオンでいいよ」

 そう言うと彼は紙を僕に見せてくれた。七たす一、四たす三、二たす一……。これなら僕にもできるぞ!

「でも、何で計算なんかしてるんだい?」

「それはこっちが聞きたいよ! 何で人間は計算なんてするんだ!」

 ホワイトライオンは少し怒っているようだ。僕は仕方なくランドセルから今日返されたテストを取り出して、ホワイトライオンに見せた。

「あちゃー、ひどい点数」

 そりゃそうだろう、クラスでビリだったんだから。

「こんな点数をとってるんだ。僕に聞かれてもわかるわけないだろう?」

「そりゃそうだ」

 僕とホワイトライオンは笑った。

「じゃあ、こんなものは捨てちゃってさ、遊ぼうよ」

 そう言うとホワイトライオンは、僕のテストと自分の計算用紙を丸めて、ゴミ箱に投げ入れた。

「遊ぶって、何して遊ぶの?」

 この公園は大きいだけで何もない。ブランコも、すべり台も。

「ひなたぼっこでもどう?」

「それ、遊ぶっていうのかな」

「いいからいいから」

 僕はホワイトライオンに促されるままに、芝生に仰向けになった。ホワイトライオンも隣に寝転んでいる。

「それにしても、よく見ると空って高いんだね」

 僕は言った。オレンジ色。久しぶりに空を見た気がする。冷たい空気が気持ちよかった。

「そうだねぇ」

 ホワイトライオンはしみじみしていた。今にも寝てしまいそうだ。

「ぼくがいた世界の空も、これくらい高かったのかなぁ」

「君はこの世界の人……ライオンじゃないの?」

「たぶん。気が付いたらこの公園にいたんだけれど、どうしてここに来たのか、ここに来る前は何をしていたのか、思い出せないんだ」

「不思議なこともあるんだね」

「きみはここに来る前は何をしていたの?」

 ホワイトライオンは言った。僕は突然聞かれたから、少し考えてしまった。

「特に何もしてないのかな。学校に行って、家に帰って、毎日そんな感じだよ」

「それって、楽しい?」

「いつもは楽しいよ。ただ、今日は悲しいことがあってね」

「テストの点数のこと?」

「まぁ、それもあるけど、テストの点数はいつもあんな感じだから」

 ホワイトライオンは笑った。僕もつられて笑う。

「大好きな友達が突然転校しちゃったんだ」

「そうなんだ……」

「僕は親友だと思ってたんだ。だから、せめて転校することを教えてほしかった」

「それはさみしかったね」

「うん」

 気が付くと、辺りは暗くなっていた。空にはたくさんの星が浮かんでいた。僕はやっぱりここは僕が住んでいる街ではないと思った。こんなにも星が綺麗だったから。

「ホワイトライオンは、ここで何をしているの? 今日みたいに計算をしてるの?」

「そうだよ」

「どうして?」

「うーん、何でだろう」

 ホワイトライオンは少し考えて、答えた。

「よく覚えてないんだけれど、昔、ぼくはこんなふうにしゃべれなかったし、何かを考えることもできなかった気がするんだ。それが、なぜだか今はできる。だからぼくは計算をするし、宇宙や命について考えたりする、のかも」

 僕はすごいなと思った。だけどホワイトライオンは何だかさみしそうだった。

「ホワイトライオンは……」

 僕はゆっくりと言葉を選ぶ。

「君は、家族や友達のことも覚えてないの?」

「そうだね。覚えてないよ」

 ホワイトライオンは悲しんでいた。そんな姿を見るのは、僕もつらい。

「本当に大切なことを、ぼくは忘れてしまったんだ……。もしかしたら、それが本当の理由なのかもしれないね」

「理由?」

「計算したり宇宙や命について考えたりする理由さ」

 僕たちは空を見ていた。怖いくらい綺麗だった。

「ぼくはどうして生まれてきたんだろう。ここはどこなんだろう。あの星は本当にあるんだろうか。どうして計算するんだろう」

 僕はホワイトライオンを見た。彼は泣いているのかもしれない。

「どうしてぼくは何も覚えていないんだろう」

 それから僕たちはもう少しだけ星空を眺めて、ゆっくりと起き上がった。

「きみはそろそろ帰らなくちゃいけない」

 ホワイトライオンはすべてわかっているような、そんな表情をしていた。

「また会えるかな?」

 僕は聞いた。

「もちろん。きっと会えるさ」

 ホワイトライオンは笑っていた。


「ちょっと考えたんだけどね」

「何を?」

「きみの友達のこと」

「聞かせて」

「……やっぱり、何でもない」

「そっか」


 僕たちは公園の入口に来ていた。真っ暗な公園に、僕とホワイトライオンだけがいた。

「僕もちょっと考えたんだけど……」

「何かな?」

「君はきっと思い出せると思う。そして、また皆に会えると思う」

 根拠はなかった。だからすごく無責任な言葉でもある。だけど、そんな気がしたんだ。

「ありがとう」

 ホワイトライオンは笑った。

「じゃあね」

「うん、さよなら」

 それから何が起こったのかはよくわからない。僕は気が付いたら家の前にいた。外は暗かったけど、星は数えるほどしかなかった。



 僕は今でも、ときどきホワイトライオンのことを思い出す。それはチョコレートをかじったときだったり、電車のホームに立ったときだったり、女の子が泣いているのを見たときだったり、いろいろだ。

 僕の記憶の中でホワイトライオンは、笑っていたり、泣いていたり、しみじみしていたり、ときどき計算していたりする。

 ホワイトライオンを思い出すと、僕はうれしくなる。そして思うんだ。

 君は思い出せたのだろうか、ってね。


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ホワイトライオンと僕 新原つづり @jitsuharatsuzuri

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