マンドラゴラは喋らない
灯翅
1
あんなふうに接していたって、結局私は彼を利用するんだ。
それを引き抜こうと茎に手をかけたとき、私はそんなことを思ったけれど、もうこうする以外他にないって、自分に言い聞かせるしかなかった。
ごめんね、ドラゴ。私の命で許してね。
ポケットの
私は掴んだ手に力を込める。きっと痛くしてしまうね。遠慮せず泣いていいから。
◼️◼️
おれの本当の名前はマンドラゴラと云うらしい。「先生」と呼ばれるそいつの話でそれを識ったと同時に、彼女のネーミングに合点がいった。マンドラゴラだから、ドラゴなんだ。
「ベル、あなたには才能があるのかもしれませんね。あなたが世話係になってから、植物室は見違えたように思えます」
「そ、そうなんですかね? 私、大したことをした覚えはないのですが」
彼女の喋り方は普段と違って、硬い感じがする。「先生」が一緒にいるからだろうか。
「観察用の植物ということで、あまり手をかけてはこなかったということもあります。しかしそれを加味してもこの生育ぶりは目覚ましい」
「よかった。授業の役に立てそうですね」
それ以上のことですよと「先生」は言うと、おれに触れたようだ、葉が揺れる。彼女はこんなにつめたくない。
「あなたの報告を聞いても俄かには信じられませんでした。けれど、本当にマンドラゴラは花をつけたのですね」
「そうなんです。とても綺麗な花を咲かせてくれました」
どうやらおれは咲いているらしい。土の中じゃあそんなことすらわからなかった。わかるのは彼女が来ると気分がいいというくらいだ。
「滅多にあることじゃないんですよ、まともな設備も無しに花が咲くというのは」
「え、そうなんですか。ドラゴには、そのマンドラゴラのことなんですけど、よくお喋りの相手になってもらっていたんです、そのおかげなのかな」
また葉が揺れたのを感じた。このあたたかさは彼女に違いない。
「喋るんですか? マンドラゴラが?」
「いえ、もちろん返事はないから私のひとりごとなんですけどね。でも、滅多に咲かない花が咲いたってことは、すくなくとも迷惑ではなかったんですかね」
彼女はそんなふうに思っていたのか。おれは相槌も打てない自分を初めてもどかしく思った。
「しかし、気をつけなければいけません。花が咲いたってことは、しっかりとした根ができているってことですから」
「引っこ抜こうとすると、死んじゃうんですよね」
「はい。根が悲鳴を上げて、それを聞いた者は死んでしまいます」
人を死なせる? おれが? 彼女を死なせるのだけは嫌だと、咄嗟に思った。
「そう、引き抜かれるのが痛くて叫んじゃう、っていうのを聞いたことがあります」
「そういった説もありますね。マンドラゴラと意思疎通ができた記録はないので、真偽のほどが不明ですが」
できれば知らないでいたいことだな。
「だから私、ドラゴとお喋りしたくなったんですよね」
「だから、と言うと?」
「痛みを感じる心があるなら、喜びを感じる心だってあるはずじゃないですか」
それでおれにばかり話しかけてくるのか。彼女の言うことが正解なのかはよくわからないけれど。
「……その理屈にはいまいち賛同しかねますけどね」
「えー、そうですか?」
「下手にかかわれば命を落としてしまう、危険で警戒すべき薬草だと考えます」
「つめたいなー……。そういえば、マンドラゴラってどんなお薬になるんですか?」
薬、ってことは病気をよくすることができるということか? 死なせたり治したり、よくわからないやつだ、おれは。
「そうですね、特に魔力に対して強い効能があるので、解呪薬の材料として重宝されています」
でも薬になる、ってことはおれではなくなってしまうのかな。それはちょっと嫌だな。
「痛くて叫ぶのだとしたら、お薬にするときも叫ぶんでしょうか? 刻んだりするんですよね」
「いいえ、彼らの根は外気に弱いので、土から出すと動けなくなるんですよ。悲鳴は、そのことに対する防衛策だと云うのが一般的な見方です」
外に出てもいけないらしい。
「そうなんですかねえ」
「とにかく、花をつけてしまった以上、取り扱いには注意してください」
「あ、あの、危ないからドラゴを処分する、なんてことはないですよね?」
「それはしないことを約束します。珍しい例ですし、あなたの努力は尊重されるべきだ。人が近寄らないよう注意喚起をしましょう」
「ありがとうございます……でも、そうしたらドラゴ、どうなるんでしょう? ずっと危険物扱いになるんですか?」
「ここには収穫の設備もないから、無害化するのを待つしかないですね。枯れてしまえば根も萎んで、危険ではなくなります」
「……そうですか。じゃあ、私にできるのは、そのときまで育ててあげることだけですね」
「はい。しっかり育ててあげてください」
彼女を死なせてしまうことがあるのかもしれないという心配は、必要ないみたいだ。
では私はこれで、と「先生」は言うと、足音がひとつ去っていった。
「ドラゴ、聞いてた? 先生の話」
おれにかける彼女の声は、「先生」に対するそれと違って柔らかい。
「花って、滅多に咲かないんだってね。もしかして私のために咲かせてくれたのかな、そうだとしたらありがとうね」
いつのまにか咲いていたものに感謝をされても困ってしまうが、感じたことのないむずがゆさが湧いたのもまた確かだった。
「でも、それがドラゴにとっていいことだったのかどうかわかんないや。先生、ドラゴのこと危険物扱いするし」
彼女がおれを引き抜くことが無いのなら、別に問題無い気がするけど。
「いや、具体的に何かが変わるわけじゃないんだけどね、今まで通りお世話もさせてくれるみたいだし」
うん、彼女がまた来てくれるのならそれでいい。
「でもさ、悲しいよ、友達が危険物扱いされるのはさ」
……友達。おれが。
「それに私、マンドラゴラの実物をみたことがないから、みてみたかったなぁ、ドラゴがどんな姿をしているのか」
彼女の声色が肌寒さを帯びる。
「マンドラゴラって人型で、顔もあるらしいね。お喋りはできないまでも、ものをみるくらいはできるのかなあ?」
おれにわかるのは、仮に目がみえるのだとしても彼女の姿をみることは叶わない、ということだけだった。
◼️◼️
彼女がする話は、その日の授業のことだとか、友達と遊んだことだとか、バイトの愚痴なんかが大半だったけれど、最近はその大半を「クロノくん」というやつが占めていて、今日もその例から漏れず話題にはそいつが登った。
「今日はねえ、クロノくんとお買い物に行ったの」
彼女はおれに水をくれながら話す。
「クロノくん、今日がお誕生日だったから。欲しがってたアクセサリー、買ってあげたらすっごい喜んでくれてさ。おかね貯めた甲斐があったよ」
そのために彼女はバイトを続けたと話していた。文句もかなり言っていたが。
「クロノくんって、不思議なひと。あのアクセサリーのためだー、って思ったらバイトも頑張れちゃったもの」
不思議なのは彼女のほうだ。そいつが喜ぶなら、垂れていた文句も帳消しになるらしい。
「一緒にいるとなんだか、それだけで気分がいいんだよね、なんでだろうね? リザに話したら『ははぁんそれは恋ですなあ』とか言われちゃった、そうなのかなあ」
恋。それはいったいどんな気持ちなのだろう。嫌なことに押し勝ってしまうなんて、土の中しか知らないおれにはとんと想像がつかなかった。
「あんまり楽しいから来るの遅くなっちゃったんだけど……でも、ドラゴのこと、忘れたりしないから安心してね」
うんともすんとも返せないのがやはりもどかしい。
「……あー、もうこんな時間だ。ごめん、今日はもう帰るね」
ガサガサと荷物をまとめる音がする。
「なんだか最近物騒らしくって、はやく帰れって言われてるんだよね。強盗がまだ捕まってないんだって。出くわさないうちに早く帰ろ」
ばいばい、と言って彼女は去っていった。
おれもなにか、彼女にできることはないのかな。静かになってふと、そんなことを考えた。
自分の力という気はしないけれど、花が咲いて、彼女はあれだけ喜んでくれた。彼女のためになにかができたなら、もっと喜んでくれるかもしれない。
返事もしないおれを友達とまで言ってくれた彼女に、なにかをしたい。ほかにできることもないおれは、ずっとそんなことを考え続けていた。
◼️◼️
その「強盗」に出くわしてしまったのは、彼女じゃなくて「クロノくん」のほうだった。
「あげたアクセサリー、取られちゃったんだって。もしかして、私の所為、なのかな。あれを持ってなかったらクロノくん、狙われなかったかも」
普段は来ない時間にいきなり現れた彼女の声はとても震えていて、それを聞いたおれはとても嫌な気持ちになった。
「クロノくん、全身が麻痺する呪いをかけられてしまって、凄く危ない状態なの。治すにはマンドラゴラのお薬が必要らしいんだけど、病院には無くって」
こんなに崩れそうな彼女の声は初めてだった。
「もし私の所為で狙われちゃったんだとしたら、私が助けてあげないといけないよね」
おれの葉が揺れる。あたたかい、彼女の指がおれをつかんでいる。
「私の所為で、ドラゴまで巻き込むことになっちゃうね」
おれを獲りにきたということは、つまり。
「ごめんね、ドラゴ。私の命で許してね」
強く、引っ張られるのを感じた。おれが持ち上がる。同時に持ち上がらないところがあって、それでおれは自分のかたちを識った。
そして烈しい痛みがあって、それは土にしがみ付くのをやめられなかった部分がおれから切れ離れたせいだった。おれは衝動に駆られる。
叫びたい。
でも、叫んでしまったら、きっと彼女は。
◼️◼️
おれが初めて、そして最後に目にしたものが、彼女に違いなかった。
涙を流す目はまんまるで、口だっておなじくらいぽかんと開いていた。
目はみえたのだと驚く暇なんかなくって、彼女の姿をみられたことが、ただ嬉しかった。
◼️◼️
集中治療室に横たわる彼の姿は、まるで眠っているようだ。だが現実はそうではなく、彼は生死を彷徨っている。
対策が整う前に、生徒の犠牲が出てしまうとは。教師としてこれほど不甲斐ないことはない。おまけに特効薬の供給が間に合っていないなんて、後手後手にも程がある。
いや、薬の材料ならあるのだ。学校の植物室に、ひとつだけ。しかし、手にするなら更なる犠牲が出ることになる……。
そう逡巡していた矢先、治療室の扉が開いて、そこに立っていたのはベルだった。
「先生、これを」
そう言う彼女は、マンドラゴラを手にしていた。
「ベル……どこでそれを?」
「これは、ドラゴなんです」
「……あなた、なんともないのですか?」
「なんともないんです。ドラゴは叫びませんでした」
「叫ばなかった……?」
「はい。私、死んでもいい覚悟で引っ張ったんです。でもドラゴ、叫ばなかったから、死にませんでした」
「……そうですか」危険を冒した彼女を叱るのは、後回しにすべきだろう。「でも良かった、これでクロノは助かります」
「はい。先生、お願いします」
ベルは私にマンドラゴラを手渡すと、クロノに寄り添った。
「クロノくん、もう大丈夫だからね。ドラゴが助けてくれるから」
手渡されたそれは、ピクリとも動かない。しかしその顔のように見える部分は、なんだか穏やかな表情を形ち作っていた。収穫されたマンドラゴラが、そんなふうに見えたのは初めてだ。
「……」
彼女が育てて、マンドラゴラは花をつけた。そしてそのマンドラゴラは、彼女の命を奪わなかった。
もしも。もしもだけれど、彼らの悲鳴が本当に、痛苦によって発されるものであるとすれば。
「彼はあなたに、恋していたのかもしれませんね」
「え?」
「いいえ、なんでもありません。はやく治療にかかりましょう」
それは流石にロマンチズムに過ぎた考えだとはいえ、彼らは只の薬用植物であるという認識は、改める必要があるのかもしれない。そんなことを頭の片隅で思いながら、私は看護師を呼んだ。調薬室の拝借をお願いしないといけない。
「あの、先生」
調薬室までついてきて、ベルは私に言った。
「どうしました」私は準備の手を止める。「クロノについていてあげなくてよいのですか」
「いいんです、助けてくれるって信じてますから。それより、お願いがあって」
「なんでしょう?」
「お薬って、根っこぜんぶが必要なわけではないですよね?」
「そうですね、ある程度でこと足ります」
「でしたら、すこしだけとっておいてくれませんか。お薬としてじゃなく、ドラゴのことを残しておきたいんです」
「……わかりました。そうしましょう」
彼に心があったのか、もうわかることはない。けれど私は、人型に見えるそれの左胸部だけを取り除いて置いた。
マンドラゴラは喋らない 灯翅 @aka_ha_ne
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