第十三話 古老の鯨骨
演者が他の歌手の顔を指すと歌が止み、広間から音楽が消えた。
我々を招いてくれた古老ソルカックは、最高の御馳走とされるセイウチの熟成肉をふるまってくれた。
真夏でも零度を超えることが少ないこの地でこれほどの肉を手に入れるのは簡単なことではない。セイウチを捕れるのは春の間だけで、熟成させるにはひと夏かかる。味に慣れてくると、この「イヒュアンナ」という熟成肉に新鮮な肉よりも深い味わいを感じるようになる。
ソルカック――「鯨骨」という意味の名をもつ彼は広間の中央でセイウチを斧で捌いた。一人一人が熟成肉を受け取ると、彼も座り込み静かに食事を始めた。イヌイットが言うには「食事と会話は別」だそうだ。胃の要求が満たされた後には舌の出番が待っている。
「古老の鯨骨」は部族の間で凄腕の熊猟師として知られている。しかし狩りの話をするよう彼を説得するのは難しい。
「誰も熊狩りの話をしてはならない」彼はかつてそう言った。「もし誰かが熊のことで頭がいっぱいになったなら、犬ぞりを駆って数頭しとめればいい。だが家の中の談話だったら?そうしたことは婆さんたちに任せておけ。おしゃべりに夢中で止めることがない。しかし男たちだったら?たちまち犬ぞりで狩りに出て、熊を狩ったらすぐ肉を全部鍋にぶち込んでしまうだろう。これ以上は何も言うまい」
「背中を見せてみろソルカック!」ある若者が大声で叫んだ。
「ガキくさい口ぶりだな」古老は朗々と答えた。「お前はいままでに険峻な雪山を見たことがあるか?引率が必要なガキが俺と同じような背中になるはずがない。熊は群れて狩りをする人間に襲い掛かったりしないからな」そしてやおら立ち上がると生肉を切り落とし、仲間たちに配った。
ソルカックは大の愛犬家で、知識豊富なブリーダーだ。彼はとくに黒い犬を好んだ。彼らを飼育することに身を尽くし、素晴らしい猟犬の血筋を生みだすことに心血を注いだ。クマの生息域に入ったとき、誰もソルカックの犬ぞりに追いつけなかったほどだ。
「クマの話はしない」
私たちが生肉を食べ終えると、彼はそう語った。
「その代わり私が一度だけ犬に仕返しした話をしよう」
そして彼は自分の冒険話を惜しげなく披露した。
北極の人々 戌亥修一 @OsamuInui
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