プロポーズしたら、「結婚をする意味ってなにかな?」と言われました……
海ノ10
クリスマスパーティー
クリスマスイブの夜にはチキンとケーキを買って、二人でクリスマスプレゼントを交換するということを、同棲を始めてから5年間、彼女と僕で毎年続けている。一種のお決まりのようなものだ。
基本的に家でする仕事の僕は平日であろうとも関係なく時間は作れるし、彼女は早く帰りたい日は問題なく帰れる職場なので、こういうことができる。
「しかし……こうも毎年プレゼントを交換していると、そろそろネタがなくなるね。まぁ、悩むのも楽しいけどさ」
付き合い始めてしばらくは敬語のままだった彼女だが、今となってはその敬語も外れて大変ラフな喋り方になっている。そもそも同い年なのにのんで敬語だったのかが疑問なのだけれど。
「君、ネタがなくなってきたからって『クリスマスに相手にプレゼントを贈る風習は日本に一体いつからできたのでしょうか?』とか言い始めたことあったよね……?」
「あれはもう時効だから」
「なんだっけ。結局僕からプレゼントもらえなくなるのが惜しいとか……」
「時効だから!」
机の向こう側から手を伸ばして僕の口を塞ぐ彼女。その肉の油まみれの手で僕の口を塞ぐのをやめろ。顔中ベトベトになるだろうが。
まぁどうせ口の周りは汚れてるし、後で拭くから怒ったりはしないけどさ……
「まぁ、そろそろプレゼント交換と行こうか。はいこれ、今年の分です。お納めください」
「じゃあわたしも。はい、どうぞ」
手を拭いてから足元に置いていたプレゼントを渡すと、相手も足元からプレゼントを出して僕に渡してくる。
もらったプレゼントはその場で開けず、後で食事の片付けとかを終えてからゆっくり開けるのがいつものパターンだ。
普段ならお互いまた食事を再開するところなんだけど、一向に食べ始める気配のない僕を見て違和感を感じたのだろう。食べるのをやめて「どうかした?」と尋ねてくる。
「実は、渡したいもの……というか、お願いがあるんだ」
「お願い?」
「うん。家でムードもあんまりないけど、一番いい時期かなって」
僕はそう前置きしてから、ポケットに忍ばせていた小さい箱をテーブルの上に出して、それを彼女の方に近づけてからゆっくりと蓋を開ける。
中から出てきたのは彼女の細い指に合うであろうサイズの指輪。
付き合う時、告白してきたのは向こうのほうだった。だから、結婚の申し込みぐらいは僕からしたいと、そう思っていたのだ。(それに、初めて男女の営みをした時にも実質的に誘ってきたのはあっちの方だったし……)
でもムードを作るとか苦手だし、何より彼女はそういうのに流されるタイプではない。だったら、自分が一番緊張しない場所で実行しようと思った。
まぁ、今の僕は背中にとても嫌な汗をかいているし、手は微妙に震えているしで、平静とは言えないのだけれど。
「……
「っ、な、なに?」
普段ならこんなにビクビクしないのに、彼女の一挙手一投足に緊張してしまう。
死刑宣告を受ける直前の罪人のような、合格発表直前の受験生のような、なんとも嫌な感じだった。
……だったのだけれど、次に彼女の放った言葉があまりにも彼女らしくて、僕は緊張とかが全部吹き飛んでしまった。
「結婚をする意味ってなにかな?」
普通の人なら、遠回しに断られたと認識する場面だろう。でも、彼女と長年一緒にいる僕なら、それはマイルドに断ってあるのではなく、純粋に疑問なのだと分かった。
彼女によくこういう問いかけを投げられることはある。
世間話の中でだったり、ふとした行動からだったり、本を読んでいた時だったり。場合はその時々で様々だが、ある意味彼女から問いかけをーーそれも答えるのが難しいものをーーされるのは高校の文芸部の頃から日常的なことだった。
「事実婚という言葉もあるし、わざわざ結婚という契約を結ばなくてもいいと思うんだよ。
苗字も変えなくちゃいけない。どんな手続きをすればいいかもわからないし、それはなかなか大変だと思う。
しかも、結婚した状態になったらもし翔くんがわたしと一緒に住むのが嫌になっても簡単には別れられなくなる」
彼女の方が僕のことを嫌いになった場合を考えないあたり、彼女らしいと思いつつ、どこかその言葉選びは彼女らしくないとも感じる。
「それに、お金だって……」
「もしかして、怖いの?」
いつも僕に質問する時に、こんなにネガティブなことばかり言わない。僕がなにを聞かれているか理解できるだけの情報を伝えて、あとは僕が考えるのを待ってくれる。
でも、今日のこれはおかしい。
だからというだけではないが、僕は半ば直感的に、彼女にそう尋ねていた。
ややあって、彼女は俯いた状態で口を開く。
「……毎日同じ家に帰って、毎日同じご飯を食べて、同じテレビを見て、動画で笑って。
お風呂に入って、二人で布団に入って。
起きたらお互いの寝癖を笑い合って。
それだけで幸せなのに、結婚なんかしちゃっていいのかなって」
「……どういうこと?」
「人は幸せを追い求めたがる生き物。だけど、わたしはもう十分幸せで、これ以上の幸福なんていらないと思ってる。
そんなわたしは、やっぱり変わってるんじゃないかなって。だから、いつか翔くんがわたしのことを嫌になる日が来るから、それなのに、結婚してもいいのかなって。
もちろんプロポーズは嬉しいの。でも……」
その表情は俯いていて見えないけど、長年の付き合いから泣いているのは分かった。
だから、手を伸ばして顔の涙を拭ってやり、昔からやけに自己評価の低いパートナーにこう言ってやる。
「なにを今更、って感じだよ」
「え?」
「まず、大前提として僕が君を嫌いになることはないし、好きという気持ちが消えることはないよ。もう何年付き合ってると思ってるの? 別れるならとっくに別れてるね」
「でも……」
「それに――君は確かに変わってはいるけど、ちゃんとした普通の女の子だよ。
だって、要するに『いつか別れるのが怖いからこれ以上幸せになりたくない』って言ってるんでしょ? 確かに『幸せになりたくない』って部分だけ取ったらだいぶ変なこと言ってるけど、その前の文から考えるとそんなにおかしくないよ。誰だって将来不幸になりたくないって思うし、将来不幸になるってわかってるのに刹那的な幸福に身を委ねるのは怖いっていう感情は、誰だって持ち得るものじゃないのかな?」
例えば、“今の”幸せだけを考えるのなら今すぐ仕事をやめて趣味の本とかゲームとかを買いまくってやりまくって、美味しいものを食べまくればいいだろう。ただ、そうした場合すぐにお金は尽きてその後が不幸せになるのなんて誰だってわかるから、そうする人はほとんどいない。
だから、将来の不幸を回避するために今の幸福を諦める、という発想自体はそうおかしいものではないのだ。
「だったら……」
「でもさ、」
二人の声がぴたりと重なる。普段なら譲っているところだけど、今日は譲る気が起きなくて、僕は言葉を続けた。
「そんな心配は必要ないよ。だって、僕は君を嫌いになる気がしないもん。『いつか別れる』なんて、そんなこと起こりえない。だから、そんな心配はいらないよ」
「……でも、未来のことなんてどうなるかわからない」
「そんなの誰だってそうだよ。僕だっていつフラれるかひやひやしてるもん」
「そんなことしない!」
「でしょ? そういうことだよ。僕も同じ気持ち」
まぁ、一度不安に思った気持ちがこんな簡単に消えるとは思っていない。
それでも僕は彼氏で、今プロポーズしている側で、何も言わないわけにはいかないじゃないか。
「僕だっていろいろ不安なことはあるよ。自分自身のことだけでも精一杯なのに、他の人の人生まで背負えるのかとか、仕事を辞めなきゃいけないようなことが起きないか、とかね。
でもさ、老後も二人で同じ部屋で、同じ
そんな未来を考えたらさ、例え不幸になる可能性があったとしても、幸せが続く未来に賭けてみてもいいんじゃないかなって思うんだ。だから、こうしてプロポーズしてるんだよ」
――まぁ、プロポーズじゃなくて説得になってるけど。
という言葉は寸前で飲み込んでおく。
とりあえず言いたいことは、僕に言えることは全部言ったので、後は返答待ちだ。
数時間にも感じる長い時間俯いて何も言わなかった彼女は、袖で涙を拭いた後、僕がテーブルの上に置いていた指輪を手に取ってじっと見つめる。
一度目を閉じた後、手に持った指輪を僕のほうに突き出してきた。
僕がそれを反射的に受け取ると、恥ずかしいのかはたまた別の理由からか、目を逸らしながら、
「これ、翔くんが付けてください。
契約の証です。ずっとわたしのこと嫌いにならないんでしたよね?」
そんな、彼女
「仰せのままに。って言ったらいいかな?」
「……かっこつけるなら最後までかっこつけなよ。恥ずかしくなったからってふざけて言った体で誤魔化さないで」
「ばれたか」
「でも――ありがと」
彼女はそう言うと、自分の左手の薬指に嵌っている指輪をじぃっと見て、嬉しそうに――心底嬉しそうに、笑ったのだった。
プロポーズしたら、「結婚をする意味ってなにかな?」と言われました…… 海ノ10 @umino10
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