一枚の花弁をのせる白鳥

藤泉都理

一枚の花弁をのせる白鳥

「俺と姉さまは血の繋がりがあるから仕方がないとしても、おまえと同じ境遇にいるのは間違いない。全く以て不本意だが、振られた者同士。俺がおまえの手料理を食べ続けてやる」


 意味がわからない。

 出会った時から、彼の印象は変わらず。

 付き合いきれない。

 それはもう悲しかったけれど。

 彼の兄の結婚が決まってこれで縁が切れるのかとも思ったのに。



「これからずっとな。光栄に想え」


 逃げ切れない。

 魂魄を吐き出せば逃げ切れるだろうかと莫迦みたいな考えが浮かんだ。







 




 お腹が空いた。お腹が空いた。お腹が空いた。

 なら食べればいいって?

 無理です。道路に倒れて動けないから。

 理由は勿論、空腹のあまり。

 お金が無くて食べ物買えてないんですよ。

 まあ、空腹な理由は貧乏なのともう一つ理由があって。

 

 高校生ですし、うちの学校アルバイトOKですし、変わった高校で週4ですし。

 お金稼げるだろうって思うでしょう。

 はい、そうですよ、稼げますよ。

 勿論、アルバイトしてますよ。

 三日くらいで即クビになりますけど。


 いえいえ、私が悪いって言うのはわかっていますよ。


 若者は言われた事しかやらないとか非難されるのがムカつくんで、自分なりに考えて、言われた事プラスαでやれば逆効果。しかも、気が短いのが相乗効果を見せまして。失敗方向に。


 自分が悪い。非は認めよう。

 だからって。こんな風に倒れている人を見捨てるなんて。

 いいですいいです見捨てても。

 でもせめて警察に電話して。

 そしたら今日生きていけるから。

 きっとご飯をめぐんでくれるか、出世払いだってお金貸してくれるから。

 警察はそういう組織だって信じているから。


「大丈夫?」

「大丈夫、ではない、です。ごはんを」


 でも、警察に連れ込まれる前に、とても親切な人が声を掛けてくれた。

 女の人。

 恵んでくださいと、声が出なかったけど通じた。

 お姉さんは私の身体を起こして、おむすびを手渡してくれたのだ。


 この時はとてもこの幸運に感謝した。

 この後に待っている不幸を差し引いても、幸運の方が勝っている。

 

 どれだけ振り子がチックタック揺れ動こうとも。

 それが真実である。






 柔らかい。ふかふかしている。お日様の匂いに包まれている。

 寝ている?

 そっか。夢か。道路に倒れている夢を見てたんだ。

 空腹なのは現実だけど。

 今もぐーぐーお腹鳴っているし。

 夢の中じゃやっぱりだめか。

 すごく美味しいおにぎりだったのに。

 ほかほか。優しく握られているのがわかる固め具合。いい塩梅の塩加減。具の鮭。

 あ、よだれが出た。

 まあいいや。夢でも現実でも。どうせ家だし。


「!?!????」


 何か柔らかい物で顔面を思いきり叩かれた感触に、すわ、母親が気が狂ったのかと思い、カッと目が見開いた。

 それなら応戦しなければと、瞬時に鞄を探し中から催涙スプレーを取り出しまき散らす。

 気が動転、していたのだとも思う。

 そんな事はしない母親だったから。

 いや、ちょっと。ほんの少し。大丈夫かなとも思いもした事はあるけど。


 催涙スプレーをすべて使い切るまでまき散らし、そうしてやっと冷静に状況を把握した私は、顔を真っ青にした。

 自分の家の中ではないという事。

 目の前に悪魔が居て、隣に夢の中の天使(女性)が居た事。

 道路で倒れ、おにぎりを恵んでもらった事が夢ではなかった事。

 思い出したのは。

 おにぎりを一つ食べ終えて、安堵したのか何なのか気を失った事。

 どうやら、他人様の家にお世話になりながら、天使の家を汚したばかりか、天使の身内にその攻撃を直撃させてしまったらしい。


「ごめんなさい!!」


 瞬時に土下座した。


 さっさと出て行かせるべきだと悪魔は責め立てているが、天使がそれをやんわりとたしなめている。

 天使に弱いのだろう。仕方がないですねと答えた悪魔は頭を上げろと言ってきた。


 やばい。関わってはいけない。

 自己防衛反応が脳に伝令を送っている。

 しかし身体が追い付かない。

 動け。動くんだ。


「世話になっておきながらこんな真似して逃げるわけないよな」


 地獄の底から轟くような声。

 だめです。逃げられません。

 身体は脳に逆らいます。


 これが一生付き合っていく事になる四十万和樹しじまかずきとの出会いでありました。






「さあ。今日はじゃあ、お鍋で炊いた白米でおにぎりと、お味噌汁を作ってみましょうか」


 出会った天使は、うちの高校の家庭科臨時講師でした。


 お世話になりましたから出来得る限りの事はしますと、悪魔に口頭で誓い。

 いつでもご飯を食べにおいでと、天使に優しく見送られてから次の日の出来事。


 そう言えば、先生が何か事情ができたから一か月ほど臨時講師に変わってもらうとか言ってたよな、と、調理実習室で椅子に座りながら、その臨時講師の登場を待っていたら、天使が現れました。


 自分でできる事はやってみよう。がうちの学校のモットーで、力を入れているのが家庭科。

 普通の学校です。現国古語漢文数学化学生物物理世界史日本史現代史情報美術もきちんと習います。

 ただし、大学受験に勤しむ人たちも、問答無用で家庭科に力を入れてもらっているだけです。

 入学当初はこんな事はなかったのですが、二年に上がって、校長先生が何を思い至ったか知りませんが、実施する事になったわけです。


 私は、賛成です。

 特に、調理実習に至っては、諸手を挙げて賛成しています。






 これが普遍の味なんだろうなあ。

 ちょっと焦げ目の入ったほかほかごはんの、しんなりのり巻きスッパい梅干しおにぎり。

 煮干しと味噌の出汁に、しゃきしゃきわかめとほっこりお豆腐、彩とアクセントを担う小葱のお味噌汁。


 うちの、あの形容し難い味とは全然違う。

 母と同じ味覚なら飢えに苦しむ事もなかったと後悔した事もあったけど。

 違うって事が分かるのが、今は嬉しい。


「ちょ、そんなに泣く事?」


 同じ班のまきちゃんがドン引いている。

 うんうん。いいんだ別に。

 おいしんだもん。

 涙くらい自然に出るさ。




 料理をする時。何かを付け足す習慣がどうしたってあった。

 美味しくなくなる時がほとんどであったのに、止められなかった。

 母も独創的な料理創作かつ味覚を持っていたので、まともな料理と言えば、コンビニの品物くらいだった。

 美味しいとは、思わなかった。

 これがまともな味だと思った。


 美味しい味を欲していた。


 天使先生のおかげだ。


 この臨時教師としての一か月、そして、一か月を過ぎても自宅で料理の基本を辛抱強く教えてくれたから、こうして美味しい料理が作れるようになった。

 最初は受け入れてはくれなかった母でさえ、今では私の手料理を美味しいと口にしてくれるようになり、私が母に教えて、母は新しくできた彼氏の家で仲良くやっているらしい。


 天使先生は、私の憧れの人だった。


 だから、天使先生が結婚すると聴いた時は、確かに。

 一抹の寂しさが込み上げた。

 結婚相手に独占されるんだって。


 この気持ちが恋なのかは、正直分からずじまいだったのだ。


 四十万和樹は恋だと決めつけ、そして冒頭の言葉を言い放った。











 それから十五年後。三十一歳になった。


 どうしてこんな事態に陥っているのか。


 皆目見当が付きますが、疑問が消える事はありません。


「あいなまま。明日のお弁当はなに?」


 念の為。勘違いされてはいけません。

 あいな、は私の名前ですが、見上げて来る可愛らしい女の子の母親ではありません。

 この子、ほのりちゃんの母親は今は悪戦苦闘して洗濯物を畳んでいます。

 名前を小南こなんさん。四十万和樹の妻。おっとりしていて、家事全般が超苦手な同じ年の女性です。

 ほのりちゃんは、小南さんと四十万和樹の血の繋がった子どもです。

 小南さんは表立って、四十万和樹は素っ気なくも、愛情を注いでいます。


 では、何故私がほのりちゃんにままと呼ばれているか。


 答えは、私がこの四十万家の家政婦的な存在だからです。

 本人から聴きました。

 まあ、正確には、小南さんの補助的存在です。

 奉仕の精神ではありません。

 高校の時に交わした約束、及び、賃金の発生する関係上、このような存在になっています。


 天使先生が結婚して以来。四十万和樹は私と母が住むアパートに入り浸り。

 大学生になってからは一人暮らしを始めた私のアパートに入り浸り。

 大学生中に、会社を立ち上げて社長として舵を動かしながら、電撃結婚もしたくせに、何故か二人そろって私のアパートに入り浸り。一か月も経たずに、狭いからと一戸建てを一括で買って、漸く出て行くのかと思っていたら、連れ出されて、一緒に住む羽目になった。

 無論、抵抗はした。したけれど、ほのりさんの一緒に来ての懇願を拒否できる事はできず。

 

 今に至る。


 今に至っちゃいました。


 出て行こうと思いました。

 就活に成功すれば出て行けるはずでした。

 いえ。成功はしました。内定はもらって、受かった会社に行きました。

 何故か解雇されました。

 一生懸命やりました。

 一生懸命、自分には何ができるか考え、なおかつ、指示にも忠実に応えられたはず。

 どうして、解雇されたのか。今でさえいまいち把握できていません。


 まあ、いいや。最初は楽観的でした。


 次に行こうと。


 何故解雇されたかわからない人を雇うわけにはいかないと、袖にされ続けました。


 しょうがない。現実を見ようと思いました。

 パートで家政婦でもやろうと。

 料理を除けば、家事は大体好きだったから、これなら大丈夫だろう。そんな理由で。


 結局は家に住み続けていた私がそう言えば。

 なら俺たちが雇ってやると四十万和樹が言いました。


 今に至る。


 いえ。名誉の為に言っておきますが、他の家にも行っていますよ。

 それで、家も出て行こうと思いましたよ。


 出て行くの?


 小南さんのかなし気な表情にやむを得ず。



 まあ、いいかな。先生だって、担任と副担任が要るくらいだもの。

 母だって、実母と補助母が居たっていいんじゃない?

 だって、小南さん、家事に超苦手だし。

 頑張ったって、どうしたって、できないことだってあるもの。

 甘やかしているわけじゃない。

 うん。小南さんもほのりちゃんも可愛いし、四十万和樹は横暴だけれど、それなりの長い付き合い。付き合い方もそれとなく解かっているし。


 ただ、御免被る事が一つ。たった一つ。


 小南さんと噂好きな近所の奥様方に尋ねられる質問に、いつも血反吐が出る事です。


 四十万和樹を愛していますね。


 愛していません。


 穏やかに言います。

 下手に早口になったり、若干苛ついたりしながら言う事は、彼女たちにとっては肯定と同義語ですから。


 本当に腐れ縁なんです。ほんっっっとうに。


 しょーがねーやつだな。くらいです。


 天使先生が結婚した事が相当に堪えているようでしたから、同情心です。

 すみません。半分は、面白がっていました。

 あまりに落ち込んでいたので。

 今でさえ、酒の席に、俺の姉上がと管を巻きます。小南さんが優しく慰めてくれていますが、どうやってこんな天使を落としたのか。やはり大悪魔にならないようにとの天の采配でしょう。悪魔に天使はつきもの。天使に天使はつきもの。


 その報いだったのでしょう。


 先日、怖気も走る夢を見てしまいました。


 私は死に際に居ました。そこに三十一歳、今の四十万和樹が現れます。

 彼はにっこり笑います。いつもの悪魔の笑みです。

 そして囁くように告げます。

 愛していると。


 それが原因で死にたくはなかったのですが、弱っていた心臓が耐えられる事はなかったのです。


 即座に封印しましたので、これを最後に思い出す事はないでしょう。




 私自身、結婚したい気持ちとこの家族を見守っていきたい気持ちが交じり合っています。

 両方叶えればいい話。

 婚活していますが、どうにもうまくいきません。

 

 まあ。うまくいかなくても。

 赤の他人と一つの家族。

 交じり合った新しい家族があったっていいじゃないかと、思っていますが、みなさんはどうでしょうか? 


 あ、やっぱり、嘘です。結婚したいです。



「日本が重婚を認めているなら、四十五の空白の後の四十七番目に妻として迎えてもいいが?」

「gふ。冗談でも血反吐が」

「ふん、莫迦め」







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