第七話の裏 : 彼は最後まで勇気を出せなかった

※ 残酷な描写があるのと、回想形式なので時系列がずれます。注意要








 ――その年の、その日の、その時間。



 晴れてG7サミット(主要国首脳会議)の仲間入りを果たし、G8として新たに主要国首脳会議の一員となった私は……いや、我が国は、初めてとなる首脳会議への出席を果たそうとしていた。


 私の記憶が確かであり、それが事実であるならば、それは間違いなく……我が国の歴史に残る、非常に重大であり偉大な瞬間だと思われる。


 何故なら、我が国は様々な問題を抱えており、とてもではないがG7の仲間入りを果たすだけの国力を有していなかったからだ。


 若年層の有効求人率の低さ、移民問題から発展した差別と自国民の貧困問題、社会福祉の脆弱さに加え、近隣国家から押し寄せた無理難題の数々。


 それらは今も、解決の目処は立っていない。だが、私たちは何一つそれから目を逸らさず、一歩ずつ前進してきたという自負がある。



 少しずつ、本当に少しずつ。



 私たちの手から零れ落ちた人たちは大勢いただろう。けれども、救えた者たちもいる。

 少なくとも、10年前に比べて求人数は増え、貧困の割合も減少し、以前よりも福祉への手続きが簡略化され、少子化も少しばかり改善傾向にある。


 それは、けして私の努力が実を結んだわけではない。国民一人ひとりが出来る事に尽力し、国の為にみんなの為にと心を傾けてくれたからこそ成し得た事である。


 故に、私たちは選ばれた。


 まだまだ問題は山積みだが、ついに……我が国はサミットへの出席が許されたのである。私は、この時ほど我が国を誇らしく思い、わが国民たちを誇りに思ったことはない。


 だからこそ、私はサミットに参加するに当たっての心構え……いや、此度の議題の内容を、国連の事務員より伝えられた時。



 ――私は、今の今まで長い夢を見ているのではないかと、己の正気を疑った。



 何故か……それはこの書記に目を通している君も分かっていることだろう。あるいは、我が国の言葉を知らない者が目にしているのか……いや、違うか。


 ……だって、考えてもみてほしい。『地球人と接触している宇宙人について』等と、事務員の口から飛び出した時の……私の気持ちを。



 私だって、SFは好きだ。いや、SFだけに限らず、そういったサブカルチャーは大好きだ。



 幼い頃はフットボールに熱を上げる傍ら、テレビの向こうに居るルークの雄姿と勇気を目にして、親にライトセイバーの玩具をおねだりしたものだ。


 しかし、それはあくまでサブカルチャー……物語の出来事であって、テレビや漫画の向こうで起こっている話でしかない。


 少なくとも、私はそう思っていたし、私のパパもママも、妹も弟たちも、そう思っているだろう。それが普通で、フィクションはフィクションでしかないと……私は、考えていた。



 その私に、事務員は言ったのだ。



 此度のサミットでは、『1年以上前から接触している宇宙人についての対策』という議題が有る……と。呆けている私を他所に、まるでガンを告知する意志のような真剣な眼差しで……私に告げたのだ。


 ……正直、新参者に対する性質の悪いジョークだろうと、当時の私は考えていた。


 何せ、その後に続いた言葉は、私が想定したモノでしかなかったからだ。誰が何時に到着するか、会場は○○で、部屋の広さやセキュリティに関する注意事項など、当たり前といえば、当たり前の事ばかり。


 結局の所、サミットはあくまで話し合いであり、正式な条約なり何なりが決まるというわけではない。もちろん、この場の話し合いで決まる事柄もある……とは聞いている。


 それぐらいは、我が国の諜報も把握している。だからこそ、私は……事務員が語った先ほどの言葉を、上手く呑み込めなかった。



 ……。


 ……。


 …………だが、心の何処かで……それがジョークではない可能性も、私は少しばかり考えていた。



 というのも、当時、伝聞の又聞きが如き真偽不明のあやふやな情報ではあるが……私の耳に届いていた、とあるシークレットな噂が有った。



 それは――『地球外知的生命体と思わしき存在が、秘密裏にアメリカと接触している』……という大して面白くもないジョークのようなシークレットだ。



 もちろん……という言い方も何だが、当時の私は気にも留めていなかった。いや、正確には、信じるだけの根拠が乏し過ぎて、信じるに値しなかった……という所だ。


 何故なら、その噂の根拠となるのが……僅か十数秒程度の映像記録であったからだ。


 そんなモノを、いきなり全面的に信じろという方がおかしいだろう。実際、それを手にした諜報部隊の一人は、『凄腕のクリエイターが作ったCG映像』だと思ったらしい。



 私も、同じ気持ちだった。



 心の何処かで、『本当なのでは?』と思う気持ちは僅かばかりあった。だが、子供の頃とは違う。現実的な思考が当たり前になっていた当時の私にとって、所詮は淡い気持ちでしかなかった。


 アメリカが……あるいは間に入った他の大国が、私を含めた各国の諜報機関を混乱させる為に、あえて荒唐無稽な話としてでっち上げたシークレットだと……当時の私は考えていた。




 ……だが、違った。そうでは、なかった。




 あの日、あの時……私は今も、昨日の事のように覚えている。


 初めてのサミット会議は、ドイツにて行われた。会場は……まあ、これを呼んでいる君も御存じだろうし、調べればすぐに分かることだから、そこらへんの詳細は省こう。


 案内された会議室は、そこまで広くはなかった。だが、隅々まで手入れが行き届いており、あらゆる面でのセキュリティが強化されているのが一目で分かった。


 そこで……そう、覚えている。9時に開始され、予め決められていた議題を元に、前年との細やかな違いを元に対談をしていた……その時だ。




 ――時刻にして、11時23分。その時……やつは、いきなり私たちの前に姿を見せた。



 そう、いきなりだ。


 何の前触れも無く、いきなり現れた。まるで、Japan animeのDORAEMONみたいに、何も無い所からいきなり出現した。


 当時のやつの姿は……君たちも何度か目にしているであろう、『本体』だった。人の皮を被っていない、冷たい機械で構成された『本体』だ。


 やつは……驚き硬直する私たちを尻目に、まるでマニュアルに書いてあるからと言わんばかりの、抑揚のない声色で語った。



 『君たちに合わせたやつはあるけど、信頼を得るには私自身が応対した方が良いだろうと判断した』



 後年、どのような記述が成されているか、これを書いている今の私には分からないが……おそらく、後年になってもやつの本心など分からないだろう。


 ……で、だ。


 当然、その時の私たちは面食らって何も出来なかった。そんな私たちを他所に、室内の隅にて控えていた秘書官の緊急コールによって突入して来たSPたちが、一斉にやつへ銃口を向けた。


 しかし……やつには通じなかった。



 銃弾は、発射された。何発も、何発も。けれども、一発も当たらなかった。


 弾丸は、確かにやつの身体を貫く射線上にあった。でも、到達しなかった。



 何故なら、やつの身体へ着弾する前に……まるで、見えない壁で隔てられているかのように全ての弾丸が潰れて、その場に落ちて転がったのだ。



 ……いったい、どのような方法によってそうなったのかは不明で、おそらく、これが読まれている今も、それは不明なままなのだと思う。



 とにかく、私たちは突然の侵入者を前に抵抗しようとした。


 だが、結局、やつには私たちの一切が通じないまま、『……落ち着いたか?』と、問い掛けて……ああ、恐ろしい。


 私は、今でも思い出すのだ。


 あの時、やつが私たちに向けた……あの、どこまでも無機質な眼差しを。レンズで構成されたカメラではない、もっと無味無臭な……透明な眼を。


 あれほど恐ろしい眼差しを、私は今でも見た事がない。家畜を……いや、もっと矮小な、意識の片隅にすら残らない何かを見るような冷たさを、私は二つと知らない。



 ……。


 ……。


 …………話を戻そう。



 とにかく、あの場はその一言で一旦は治まった。抵抗の一切が通じない相手だと悟った我々は、SPたちその場に待機させたまま……やつの言葉を待った。


 そうして、やつの口から語られたのは……まあ、今更言うまでもないだろうが、やつなりの自己紹介だった。それも、調べればすぐに分かるだろうから詳細は省く。



 ……やつの目的は、ただ一つ。それは、このサミットを通じて要求があるということ。



 その中身は、やつが事前に接触してきた者たち(あるいは、組織)への、不必要な干渉を止めろというもので。


 つまりは、『聞きたい事などがあるなら自分に聞け、無関係なやつにちょっかいを掛けるのはやめろ』というものだった。





 ……。


 ……。


 …………それを聞いた時、私は……当時の私は、愚かな事に『やつには心がある』と、一瞬ばかり考えてしまった。


 冷静になって考えれば……いや、今になって考えれば、所詮は心があるフリをしているだけに過ぎないと分かることなのに……当時の私は、愚かな事を考え……同時に、愚かな欲望も抱いてしまった。



 ――上手くやれば、やつを御する事が出来るのではないか、と。




 情に訴えてもいい。


 罪悪感に訴えてもいい。


 男でも女でも子供でも何でも、適当なやつを召し上げればいい。



 とにかく、自分がなんとかしないと悲しむ者がいると思わせれば、心にくさびの一つでも撃ち込めれば、交渉次第で様々な利益を引き出せると……その可能性を、考えてしまった。


 ……少しでも立ち止まって考えれば、これが如何に危険で無謀な判断であったのか……だが、当時の私たちは、それを考えずにはいられなかった。


 何故なら、やつから得られる利益は……噂が本当であるならば、我が国が抱えている様々な問題を一挙に解決してしまう事が可能な事に、思い至ってしまったからだ。


 それが危険な賭けであることは、分かっていた。


 だが、それだけのリスクを背負ってもなお、余りあるリターンが期待できる。上手く行けば、我が国はこれから先30年……世界に食い込み続ける事が出来るだろう。



 もちろん――それは、他国も同様であった。



 一つ間違えれば国が破たんするだけでなく、世界恐慌を引き起こしかねない劇薬だ。しかし、御する事が出来れば……パワーバランスは一瞬で崩壊し、世界の頂点に立てる。


 その麻薬のような誘惑に、誰もが……私が見た限りでは、誰もが……少しばかり、欲に目がくらみ掛けていた。私とて例外ではなく、非道な手段を幾つも想像し、実行した場合を妄想した。


 ……でも、そうはならなかった。少なくとも、あの国以外は。


 やはり……相手が未知であるというのがネックだったのだ。


 自分たちの想像の範疇に収まる相手であれば、話は違っただろう。私だけでなく……いや、軍事力を持つ国ほど、様々な手を使って懐柔しようと動いていたはずだ。


 だが、現実は違う。リアルはどこまでもリアルであり、そこに甘い希望を挟むとろくな結果にならない事を、私たちは知っている。


 私たちが相手にしようとしていた存在は『未知の塊』で、有している力は私たちの想像をはるかに凌駕している。そして、私たちはその力に対抗する手段を持ち合わせていない。


 そのリアルを前に、私たちは腰が引けた。しかし、あの国だけは……そう、あの国だけは、甘い希望に飛び付いてしまった。



 ……今でこそ後悔している。私は……私だけでも、早まるなと声を掛けておくべきだったと。



 もちろん、たとえ私が過去に戻ったとしても、それが出来ないのは重々承知している。所詮は、こうして一方的に後悔するだけの、老人の戯言だ。


 当時、あの国が持つ力は、我が国の力を大きく上回っていた。名目上では対等の立場ではあるが、実情は違う。痛手を互いに被っても、受けるダメージが圧倒的に多いのはこちら側だった。



 故に、当時、居合わせた者たちの反応は二つに分かれた。



 一つは、遅れてなるものかと、惜しむ気持ちを滲ませた者。その気持ちは、私も分かっていた。


 何故なら、今でこそ違うが、あの国は国際ルールを逸脱した行為を多発し、利益を得る為なら法を作り変え、大勢の人達を苦しませるやり方を幾度となく行っていた。


 その結果、あの国は急速に国力を伸ばしていた。伸ばした国力に見合う利益を確保する為に、さらに増長し……その影響力はどの国ですら無視できないほどになっていた。



 だから、危機感を抱いた。



 リスクを覚悟の上でリターンへと手を伸ばす無謀な勇気を羨ましいとは思いつつも、これ以上に力を付ければ、それこそ取り返しのつかない状況になると……誰もが不安に思ったからだ。



 そして、二つ目は……影響が、自国にも来るのかという不安を最初に抱いた者。これは、全体としては少数派だった。



 何せ、国の規模が違う。その影響が一国に収まるとはとうてい思えず、宇宙人に対する脅威よりも、そちらへの危機感を第一に考える者が居るのは……まあ、当然だろう。


 どちらにせよ、既にサイは投げられた。私たちは、出遅れたのだ。


 おそらく、あの国のトップは管理出来ると思ったのだろう。今となっては知る由もないことだが、振り返ってこちらを見た時の表情から……そう思っていたに違いない。


 呆然とするしかない私たちを他所に、あの国のトップは、意気揚々とした様子でやつとの対話を始め……サミットが終了した時も、一緒の飛行機に乗せて、自国へと戻ってしまった。



 ……。


 ……。


 …………それからは……そう、とても平穏だった。



 最初の頃は、警戒していたのだ。


 様子を探ろうにも内政不干渉を盾にして他国からの干渉をシャットアウトしていたからこそ、余計に私たちは気ばかりが焦ってしまっていた。


 だが、ひと月が経ち、ふた月が経ち……半年経ってもなお、かの国に動きが見られなかったのだ。


 そう、全く見られなかった。宇宙人との交流など初めから幻であったかのように、変化らしい変化が見られなかった。各国に張っている網にも、新たな情報が掛かることはなかったのだ。


 新しい技術が作られたという話を聞くこともなく、領空を犯したという話も一切聞かない。まるで、閉じ籠った貝のように、沈黙を保ち続けたのだ。



 ……今だからはっきり言おう。気にしなかったといえば、嘘になる。私だけでなく、事情を知る者の大半は、薄気味悪さを覚えていたことだろう。



 だが、何時までも、かの国にばかり気を取られている場合ではなくなった。災害に見舞われ、オリンピックの誘致、鉄道の整備など、取り組まなければならない仕事が有ったからだ。


 それに、こういっては何だが……動きが読めずに不気味に感じてはいたが、それまで幾度となく繰り返されていたルール違反が鳴りを潜めた分、むしろ……喜んでいる者の方が多かったのかもしれない。


 おそらく、各国……情報を入手している国のほとんどが、似たような事を考えていたのだと思う。


 下手に強引な干渉を行うと無用な不評を買う恐れもある。網を絶えず張ってはおくが、目立った動きが無いのであれば、静観するしか取れる手がないのが当時の現状であった。





 そうして月日は流れ、気付けば……521日後。





 ……。


 ……。


 …………正確には、サミットから521日後の、午前11時43分。その日のことは、今もはっきり覚えている。



 その頃……というより、その日、その報告が私の下に届くまで、私はやつの存在をすっかり忘れていた。


 何せ、サミット以降、新たな続報が何一つ無かったのだ。かの国に向かった……その後の事を、何一つ掴めていなかったのだ。



 ……で、だ。


 回りくどい言い回しはやめよう。君たちも御存じの通り、521日後の……5月19日。この日、私だけでなく、かの国から、世界各国へと緊急通信が送られてきた。



 そう、運命の日(Xデー)だ。



 かの国の最後のトップとなった、あの者がなけなしの正気を燃やして送って来たそれには……あの日、やつが、自らの国へと招き入れてからの日々が記されていた。


 内容については、出来る限り記すつもりだが……当時の私たちは、それを表には出すことなく封じた。人々の目に触れるようなことだけは避け、関係者一同へ固く口止めをした。


 ……賢明な君たちは、どうして封じたのか、その事について疑念を抱いているだろう。これを書き記している今、その姿が手に取るように分かる。


 だが、その疑念も……これから記すモノを読み進めるにつれ、私たちが感じていた恐怖を理解し、私たちに憐憫の言葉を向けてくれると信じている。


 何故なら、その中身は……もはや二度と会う事は叶わないであろう、かの国を動かしていた者たちの断末魔であったからだ。






 ……。


 ……。


 …………まず、始まりを語ろう。かの国に渡ったやつ(便宜上、以後は『彼女』とする)は、かの国との間に幾つかの取り決めを行った。


 詳細は長くなるので省くが、かの国が彼女と交わした約束は大まかに分けて三つだ。



 一つ、かの国と彼女との間に交わす約束は絶対厳守であり、どんな理由であろうと違わない。


 二つ、『取引』という形でのみ、関わる事。如何なる理由であろうと、それ以外の目的で接触を図る事はしない。


 三つ、意図的にこちらをかく乱し、『正常な商売を妨げる行為を禁止』を始めとした、幾つかの禁止事項の制定。



 それが、かの国が彼女と締結したルールであった。


 このルール自体は、特に揉めるようなことはなかったらしい。



 おそらく、それまで自国や他国でやっているのと同じ感覚で、どうにでも出来ると思っていたのだろうが……まあ、話を戻そう。



 ……最初に、かの国が彼女に求めたのは、汚染した水源の回復だった。



 当時、かの国は経済発展が著しく、高度経済成長期を迎えていた。だが、同時に、深刻な公害が発生しており、それがそのまま自国を蝕む病であり、悩みの種になっていた。


 私たちも……当時の私たちも、程度の差こそあるが、そういった経済活動の負の面に関して、頭を悩ませていた。何せ、私たちもまた、通って来た未知なのだから。


 私たちの……少なくとも、私たちが確立している機械技術と科学技術では、かの国の水質の改善だけでも十数年……経済活動をギリギリにまで落としたうえで、それだけ掛かるだろうと考えられていた。


 もちろん、やろうと思って出来る事ではない。


 何の対策もせずにそれをやろうとすれば、国中に失業者が溢れ、貧富の差は一気に拡大するばかりか、間違いなく治安も悪化するだろう。


 綺麗事で問題が解決するのは、スクリーンの中だけだ。


 そして、そんな綺麗事を声高に叫ぶやつの身綺麗な生活を支えている者たちこそ、そういった綺麗事の割りを食う事になる。


 故に、何処の国も分かってはいるけど手が出せない。言い換えれば、それを解決出来れば……経済的な面で非常にプラスに働くのは、考えるまでもない。



 だからこそ、かの国は彼女に依頼し……それを、彼女は容易く叶えてしまった。



 そう、彼女は叶えたのだ。曰く『浄水機と思われる大型の機械』を使用して、かの国にて問題視されていた水質を改善させた。しかも、たった2週間足らずで、だ。


 その事に、最初はかの国のトップたちも喜んだ……らしい。


 何せ、金額にすれば数兆ドル。時間を入れれば10年単位で考えなければならないだけでなく、経済活動にも影響が出る特大な問題を2週間で解決してくれたのだ。


 単純な利益だけを考えれば、未曽有の利益だ。何せ、それだけの損失分が一気に解消したのだ。私が彼らの立場になって、そこだけを思えば、もろ手を挙げて喜んだのは間違いない。


 だが、それも。彼女が要求を提示する、その時までの話だが。



 ……。


 ……。


 …………彼女の、そのときに示した要求は、二つ。



 一つは、新鮮で健康な人間を50000人。用途は不明だが、彼女なりに実験したい事があって、その為に5万人ぐらいのモルモットが欲しいとのこと。


 モルモットの内訳に関しては、そこまで厳しくはなかったらしい。年齢性別が偏っていなければよいだけで、そこに身分等は含まれておらず、死刑囚でも構わないと……一度には無理だが、5万人の目処は立てたらしい。



 そして、二つ目は……かの国の一部の土地の使用権だ。



 別の目的が有るのかは不明だが、曰く、『いちいち連れて行くのが面倒』らしい。こっちに設備などを置いた方が、色々と効率が良いとのことで……理屈は通っているように思えた。


 もちろん、かの国もただ要求を通す事はしない。


 様々な理由を付けて施設内見学の許可を得た、(許可自体は、すぐに出したらしい)かの国の調査団は、たった10日間で完成したという施設の中に、最初の100人を連れて中に入り……。



 そこで……地獄を見た、らしい。





 ……。


 ……。


 …………私も、そこで何が行われていたのかを詳しくは知らない。その部分に関しては、検閲を恐れていたのかは定かではないが、断片的かつ曖昧な言葉で記されていたからだ。


 けれども、分かる部分はあった。それは、物資として送られていた5万人の使い道に関してであり……5万人が辿った末路に関してであった。




 ……。


 ……。


 …………簡潔に言おう。5万人もの命は、彼女が口にしていたとおり、実験材料として例外なく使用され、処分されたのだ。


 ある者は生きたまま解体され、人体の構造を隅々まで確認されていた。


 それに伴って生じる感覚をデータとして収集し、死を懇願する者には目もくれず、使い終われば例外なく粉砕機に掛けられていった。


 ある者は大脳の機能を調査され、取り外された大脳を目視で観察されている者がいた。


 そいつは、悲惨であった。


 自分の頭の中身が空っぽになっているというのに感覚は薄く、けれども生存している。なのに、眼前にて実験している己の大脳を刺激されれば、存在しない空っぽの頭部より激痛が走ると、生きたままそいつは答えたらしいのだ。


 いったい、それがどういう感覚なのか……私には想像もつかない。想像はつかないが、想像出来ない程の恐怖と絶望を誰もが味わっていたのは、間違いない。


 その中でも、最も幸運なのは……経過を観察するとかで、投薬のみで命を落とした者だろう。何故なら、彼女曰く『投薬実験は、特に苦痛を感じないようにしている』と零していたらしいから。



 ……ただ、それはあくまで苦痛に限る。



 痛みを感じないだけで、感覚は残るのだ。自らの肉体が内側から変化してゆく感覚が、遺伝子レベルで作り変えていく感覚をリアルタイムで認識出来てしまう。


 ……そう、彼女は語ったらしい。何の気負いもなく、まるで、明日の天気を語るかのような気軽さで。




 ……。


 ……。


 …………その恐怖を、彼女は理解出来ない。生物が持つ根幹的な恐怖を、認識でない。彼女にとって、そういうものだというデータの一つでしかないのだろう。



 ……。


 ……。


 …………私は、恐ろしい。心の底から、彼女が恐ろしいのだ。



 その通信を読み終える前から、私は彼女を恐れていた。しかし、ソレを見た時……私は初めて、主を呪った。このような怪物が存在することを許した主に、恨み言を零したくなった。



 だが……今にして思う。それは、非常に自分勝手な事であると。


 違う、違ったのだ、私は勘違いをしていたのだ。



 私が本当に恐ろしかったのは、今にして、それ以上に恐ろしく思えてならなかったのは……そんな彼女の要求に首を縦に振った、かの国のトップと官僚たち……同じ人間に対してだった。


 何故なら、彼女はその行いこそ非道かつ残虐ではあるが、それは私たちの感性が導き出した結論に過ぎない。そして、それを許したのは、間違いなく我々人間なのだ。


 5万人もの命を使い潰したのは事実だが、彼女は、何処までも理性的であり、一度として契約に反する行為を取った事はなく、自分から攻撃を仕掛けたことはなかった。



 何時だって、彼女は応える者であった。


 何時だって、求めたのは……人間であったのだ。


 彼女から得られる宝玉に目が眩み、それに見合う対価を支払い続けた。



 その結果、かの国は……表向きには分からなくとも、内部は致命的な事態に陥っていた。その事に国のトップたちが気付き始めた時にはもう、全てが遅かった。


 2年も掛からず……そう、たった2年間。それにすら満たない間に……かの国の国民たちの、およそ20%近くが、やつの生み出す数多の『商品』とやらの虜になっていたらしいのだ。



 ……その中でも一番厄介なのは、『食品』だったらしい。



 というのも、やつの『商品』は、一見するだけだとただの食品にしか見えない。検査をしても麻薬などの物質は一切検出されず、ただ栄養価の高いフルーツとして販売され、瞬く間にファンが増えていったらしい。



 ……しかし、それはフェイクだ。



 アレは、『食品』等という生易しい代物ではなかった。まだ、麻薬の方がマシなのかもしれない。一度口にすれば破滅は避けられない、悪魔の罠であった。


 しかも、ただ虜になるわけではない。やつの『商品』に憑りつかれた国民たちは、それを得る為なら如何なる手段にも手を染め、如何なる苦痛にも気に留めなかった。



 ……想像出来るか? その者たちは、身体に十数発の弾丸を受けても向かって来るのだ。『商品』がもたらす、快感を得る為に。



 大人も子供も関係ない。男も女も関係なく、足腰の悪い老人ですら、それを得る為に悪魔になった。村全部がグルとなって、都市部より調査に来た役人を監禁し、偽装の報告すら行っていたところもあったらしい。



 ……。


 ……。


 …………気付いた時にはもう、遅かったのだ。



 自分たちの検査技術を疑うべきであった。相手は、人知を超えた存在であると、私たちの予防策など何の意味もないのだと、最初に認識しておくべきだったのだ。


 あのフルーツ……果物の名を被ったおぞましい何かの販売許可を出した時点で、全ては遅すぎたのだ。


 結果、かの国は機能不全に陥った。武力で排除しようにも、戦力は彼女単独だけでも全てにおいて上。何度か秘密裏のミッションが実行に移されたらしいが、全て失敗に終わったらしい。



 ……結果は、何時も同じ。



 作戦を命じた者、作戦を実行した者、作戦に関わった者。


 その線引きの基準は不明だが、ギルティと判定された者たちは例外なく命を落とした。それも……人体をバラバラに引き裂かれるという惨い殺され方で。



 何をやっても、彼女を排除する事は出来なかった。



 デマを流して民意を作り出し、デモを偽装して追い出そうとしても無駄だった。彼女にとっては政府も国民も同じ価値でしかなく、そこに優劣などなかった。


 相手が洗脳された幼子であろうが、周りに流されているだけの娘であろうが、家族を人質に取られている父親であろうが、何の違いもない。等しく、排除すべき羽虫でしかなかった。


 百人殺そうが、千人殺そうが、一万人殺そうが、彼女は表情一つ変えない。夥しい死体の山の上で、『それがどうしたのか?』と小首を傾げるだけだ。



 ……故に、そのやり方ではどうにもならないことに気付いた者たちは、更に彼女に縋った。彼女の機嫌一つで暴徒化する国民たちから身を守る道具を、取引したのだ。




 ……それは本末転倒だろうって?




 いや、間違ってはいないのだ。彼女は、約束(契約)を守る。どんな些細なモノであっても、『取引』が成立した以上は守る。


 特権階級の者たちは、国民を切り捨てたのだ。生活を維持したまま自分たちだけが助かるように、ありとあらゆるモノを彼女に捧げ、自分たちの延命を図った。


 結果、かの国は小さな楽園を手に入れた。望めばだいたいが手に入るだけでなく、文字通り、生まれた時から死ぬまで遊んで暮らせる、自分たちだけの楽園を手にした。



 ……その代わり、彼らは二度と……その楽園から出られなくなった。私が断末魔と称したのは、それが理由だ。



 何せ、彼らは小さな楽園を手に入れてしまったが為に、全てを彼女に捧げてしまった。比喩ではなく、文字通り、あの国はもう、彼女の国になってしまった。


 暴徒化(あくまで、可能性の一つに過ぎなかったのに)するかもしれない国民を恐れるがあまり、人の出入りが難しい内陸に楽園を作ってしまったのが仇となってしまったのだ。


 彼らが自由に行き来出来るのは、小さな楽園の中だけだ。そこから一歩でも外に出ればもうそこは、彼女の国であり、彼女が得た土地である。


 如何な理由であろうと、そこに入るには彼女の許可がいる。他の国に入るのにパスポートが必要なのと、同じ事だ。


 だが、許可を出すメリットを提示しない限り、彼女はおそらく許可を出さない。そして、許可なく入れば……彼女は一切の慈悲を見せないだろう。


 故に、彼ら彼女らはもうあの楽園から出られない。生まれた時から死ぬまで、そこから出る事は叶わない。



 ……。


 ……。


 …………だからこそ、かの国は、かの者は、通信を送って来たのだろう。『我が国は、彼女によって侵略行為を受けている』、と。



 おそらく……かの国の者たちは、私たちの介入によって現状を打破しようと考えているはずだと……そう、当時の私たちは考えていた。



 ――確かに、見方を変えれば、この行為は侵略と取れなくもなかった。



 法に従って国を売り渡したとはいえ、やっていることは、町一つを囲って出入りを封じているのと同じ。規模は大きいが、監禁を行っている……と、取れなくもない。



 ……だが、それがどうしたというのだろうか。



 当時、私が抱いた率直な感想が、それであった。だが、その事について私はかの国を侮蔑するつもりはないし、見下すつもりもない。



 所詮は、明日は我が身なのだ。



 これを記している現時点では、まだ我が国は持ち堪えている。しかし、それも時間の問題だろう。いずれ、彼女は『商売』の範囲をかの国から、他国へと広げ始めるだろう。


 そうなった時……世界は大きく変わる。それが良いのか悪いのかは私には分からないが、人類史が大きく動き出すのは間違いない。



 彼女には『差別』は無く、『平等』だ。



 言い換えれば、強者や弱者の違いはなく、感情論の一切入らない無機質な正論と何処までも冷徹な合理性を持って動き、いずれは接触を図りに来るだろう。


 いや……来るのではない。いずれ、私たちも彼女に交渉を持ちかけるだろう。


 それ程に、彼女が持ち出して来る『商品』は魅力的なのだ。そうなれば、我々に彼女を止める手段はない。かの国ですら、彼女を止めることは叶わなかった。


 如何なる詭弁や建前や綺麗事や道徳や泣き言は、彼女には通じない。そして、それらを守る為に『商売』を邪魔する者に対し、彼女は絶対に引かない。



 暴力に訴えるのであれば、訴えれば良いだろう。

 彼女は、欠片の罪悪感も憐憫も抱くこともなく、全てを蹴散らすだろう。


 情に訴えるのであれば、訴えるが良いだろう。

 彼女は、数多の泣き言を前に表情一つ変えず、君の頭を吹き飛ばすだろう。


 彼女に挑んで、その結果は、考えるまでもない。かの国のような……いや、対価を支払えない者が辿る末路など、考えるだけで背筋が凍る。



 ……どうか、早まってくれるな。



 必要でないのならば如何なる理由であっても撃鉄を引かない彼女だが、必要であれば相手が乳飲み子であっても構わず撃鉄を引く存在であると……己が命を持って知る覚悟があるのならば。



 彼女に対し、戯言で挑めば良い。



 だが、もし挑むのであれば覚悟しなければならない。60億の味方を集めたところで、彼女にとっては何の意味もないのだということを……その命を持って。

 










 ……。


 ……。


 …………眠るように、心臓が役目を終える。皺だらけの顔から、力が抜ける。ふう、と吐かれた空気を最後に、吸われる事は二度となく。


 最後のエンドマークへと視線を滑らせていた瞳の動きは止まり、ゆっくりと瞼が落ちる。一拍遅れて、くたりと力が抜けた腕が、ぱたりとベッドに沈む。



 ……。


 ……。


 …………異変を察知した看護師が病室を訪れるまでの、僅かな時間。心臓が停止し、酸欠によって大脳機能が低下し、瞬く間に意識が混濁し始めている……その最中。



 「――、――、――」 



 とある国の、とある期間、国のトップを務めたその男は……今際の言葉を三度呟いた後、静かに……息を引き取ったのであった。


 ……その胸元には、最後の最後まで表には出せなかった……かつての後悔を書き記した、十数枚の紙切れが散らばっていた。


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