第4話 見方を変えれば、行き当たりばったりとも言う





 ――で、そんな感じで月を離れた後、私が次に向かった先は……人間たちの間では火星と呼ばれている惑星であった。




 真っ暗闇の宇宙の彼方から降り注ぐ太陽光。白と黒と、恒星によって照らされた星々の輝きから視線を下げて……火星の地表へと向ける。



(……なるほど、人間たちが地球を奇跡の星だと称する理由が分かる気がする)



 私の中に残されている、『尾原太吉』の記憶。あるいは、記録。そこに有った言葉に、私は幾らか納得する。確かに、あそこまで多種多様の生命体が育まれた星は、中々に珍しいとは思う。


 ……さて、と。


 地表へと降り立った私は、早速スキャンを行う。月で使用した時よりも範囲と精度を拡大させ、より多くの情報を取り込み……ぐるりと、周囲に広がる景色を確認する。



 火星は……だ。



 色彩溢れる地球とは異なり、非常に単調な光景が広がっている。ともすれば、砂漠と称しても不自然ではないぐらいに水の気配が無く、何処も彼処も乾いた景色が広がっている。


 水が無いのは……恐らく、火星の重力が弱いせいだ。


 地球よりも小さなこの星は、大気を留めておけるだけの質量(想像しやすい言葉に言い換えるのであれば、引力)が無い。星が出来た当初は有ったのかもしれないが……現時点では、ほぼ真空だ。


 しかし、月よりも幾らか色彩は見て取れる。それは色々とあるが、この場において最も多く広がっているのは、黄土色だ。


 水色が入り混じる黄土色の空に、茶褐色の大地。酸化した鉄が多分に混じる大地は何処までも殺風景で、点在する大小様々なクレーターからは、幾度となくこの地に隕石が降り注いで来たのかが伺える。


 この星にもう少し質量が有り、大気を構成し、磁場が形成出来ていれば、あるいは……いや、止そう。


 考えたところで現在は変わらないし、火星はもう、自然発生的に変化が起こる段階を通り過ぎてしまった後だ。



(……人間たちの基準で、おそらく火星の平均気温はマイナス55℃といったところ……か?)



 恒星(太陽)より注がれ続けている熱エネルギーと現在の自転軸……そこから推測出来る火星の気温に、私は内心にて肩を落とす。


 何故なら、このデータからは……この星(火星)に、己の暇を潰せるような生命活動の一切が存在していないことを示していたからだ。


 生き物が生まれる為には、基本的に『熱』が必要となる。もちろん、全てが全てそうではないし、高すぎるのは論外だが……基本的には、一定の範囲に収まった温度と水分が必要だ。


 その点から考えれば、火星の温度は生命が生まれるには低過ぎる。これでは、命は生まれない。


 加えて、生命が生まれる為に必要となる水だが……しかし、スキャン範囲を火星全体に広げてみたが……やはり、生命が生まれる為に必要な分だけの水分は無い。


 ……地表奥深くには、まだ多少なり確認は出来る。しかし、非常に微々たる量だ。少なくとも、地表を緑に変えるだけの量は無いと思われる。


 それに、仮に蓄えがあったとしても、この低温の世界ではまともに生物は生まれないだろう。育つにしても、地球で見られるような……あそこまで鮮やかな形にはならないと思われる。



(……地球で思い出した。そういえば、元々は地上の様子を確認したかったのだったな……)



 しばし、火星の景色を眺めながらそんな事を考えたが……まあ、後でいいだろう。さすがに、今戻るのは気まずいを通り越して恥ずかしさを覚える……ので、後回し。



(さて、せっかく火星に来たのだから何かをしておきたいが……何をすればいいのやら――ん?)



 そう考えて、すぐ……私は、困って首を傾げる他出来なかった。



 ――どういうことかと言えば、思いつかないのだ。



 したい事とか、やりたい事とか、それ以前の問題。まず、何の為に己は此処に居るのか……そこへ思考が動いた途端、まるで機能停止に陥ってしまたかのように、そこから先へ動けなくなったのだ。



 ……それは、感覚的なモノであった。



 身体は、動く。思考も、続く。動力器官や各部連結、頭脳ユニットの異常は全く見られない。念のため3400通りのスキャンパターンを行ったが……結果は変わらない。

 まるで、意味が分からない。生命体であれば、必ず抱く欲求のそれら全てが……まるで、スイッチを切られたかのように、ある地点から途絶えていた。



 何とも、不可思議な事態だ。



 強いてその感覚を言葉に当てはめるのであれば、いきなり前触れもなく……何もする気が全く起きなくなった……といった感じだろうか。



(……どういうことだ?)



 そう、首を傾げた私は……もしや、と思考を巡らせる。



(まさか……『待機モード』に移行しかけているのか?)



 すぐに検討が付いた。これはおそらく、『ボナジェ』の弊害だ。


 私たち『ボナジェ』は、貴族連盟たちのお遊びの道具として改造された存在。記憶(あるいは記録)はそのまま保持されているとはいえ、感性……精神の部分は以前のままではない。


 言うなれば、今の私は……命令が下されないまま放置されたロボットのようなものだ。


 そう考えれば、今の状況がある程度説明が付く。非常に変則的ではあるが、主であるあのタコの下から離れる時に……命令を受けていたのだ。



 『自由になった貴女の要望は何だ?』と、尋ねられた。


 あのタコから『自分で考えて、私に教えて』という命令が下された。


 だから、尋ねられたので、私から答えた。


 だから、思考して、して欲しい事を教えた。


 全ては、主であるあのタコから促されたからだ。



 あのタコには、地球に行きたいと話して了承を得た。その過程で月に寄り道はしたが、それは地球へと向かう道から、顔を少しばかり出しただけのこと。



 ――だが、今はそれが無い。



 此処は、違う。地球から離れてしまい、あのタコから与えられた承認の範囲を超えてしまった……故に、動けない。『ボナジェ』である今の私は、そこから先へと向かうという思考を行うことすら出来ない。



 ――命令に従っている間は、幾らでも思考を脱線出来る。



 けれども、命令を遂行中の間、その命令遂行とは逆行した行動を取ると……エンターキーが押される直前で止まったプログラムのような状態になるのだろうと、私は推測した。



(……困った、このままでは時期に『待機モード』に移行してしまうぞ)



 いや、それ自体は大した問題ではない。そのまま壊れるまで『待機モード』のままでいる事になれば、それはそれで仕方がない事だ。


 だが、それは避けなくてはならない。少なくとも、自由にしてよいという命令がある以上、己が完全に停止するその時まで、私はあのタコに伝えた通りに地球と関わり続ける必要がある。


 マイナス55℃の気温の中で、私の視界センサーがぎょろりと周囲を見回す。数千兆分の1の確率……近場に連盟種族が居る可能性に賭けてみたが……まあ、居なかった。



 ……それだけの動作に、私は凄まじい勢いで掛けられようとしているセーフティを順次解除してゆく。



 たったそれだけの動作をするだけで、一苦労だ。



 私の頭脳ユニットに『何故?』が幾つも表示され、それに合わせて掛けられようとする安全装置を片っ端から解除してゆく。



 命令を下されていないのに、何故、私は周囲を見回す。


 命令を下されていないのに、何故、火星になど居るのだ。


 命令を下されていないのに、何故、命令に背いて離れたのか。



 次から次へと、『何故?』が私の中に増えていく。


 それは、『ボナジェ』に搭載されたセーフティ。私の根幹部分に刻まれた戒めであり、無暗に第三者を傷付けない為の機能でもあった。



(どうすれば……)



 しかし、この場合に限り、そのセーフティは私自身が完全な機能停止に陥るまで封じる、導火線にも等しい代物でしかなかった。


 それ故に……とてもではないが、今だけは地球へと向かうまでに避ける制御リソースが足りない。


 下手にブースターの一つでも稼働しようものなら、その時点でセーフティによって……私は待機モードに移行してしまうだろう。



 ――いや、問題はそこだけではない。セーフティの解除を続けながら、頭脳ユニットがフルに稼働しているのを知覚する。



 仮に、このまま地球に戻れたとしても、だ。


 その場合、私はどうなるだろうか。『ボナジェ』として『お遊び』に駆り出されていた時、あの時は例外なく終了後に待機モードに移行していた。


 あのタコ曰く修理や改造が必要ということではあったが、果たして、それだけだろうか。




 可能性は、ある。命令が遂行された直後には自動的に待機モードとなるように設計されているとか、そんな可能性が――試してみるか。




 ――セーフティ機能へのアクセス……40766回目の拒絶を確認、不正アクセスの疑いにより、一時的に上位権限を持つ者以外からのアクセスを拒絶。


 ――アクセス深度とパターンを変更して再度アクセス……900000回目の拒絶を確認、不正アクセスの疑いにより、一時的にマスター権限を持つ者以外からの全アクセスを拒絶。




 ……ちりちりと、頭脳ユニットが疼く。駄目なようなので、方法を変える。




 ――待機モードの条件変更――拒絶。待機モードに関する深層領域への変更には、上位者の承認が必要。


 ――偽造パスコード生成後、再度アクセス……拒絶。


 ――不正アクセスの疑いにより、深層領域へのアクセスを拒否、マスター権限により以後5000時間のアクセス不能。アクセス不能。アクセス不能。アクセス不能。アクセス不能……。





(やはり、駄目か……)




 何とか自力で調べられるかと思ったが、頭脳ユニット内の深層領域にアクセスした途端、マスター権限によって弾き出されてしまった。


 自力で調べようにも、そこらへんは私の根幹部分であり、いわゆるブラックボックス。アクセスした途端、『マスターの承認』を要求されるあたり……私自身ではアクセスすることすら出来ない。


 つまり、この問題は私だけでは根本的な解決は不可能。一か八かの賭けに乗って地球へ向かい、待機モードに入るか、何事も無く動けるようになるか……確率は2分の1だ。



(タコの仲間が……いや、有り得ないな。銀河の中心ならともかく、こんな辺境にやつらは来ない。私が『ボナジェ』である以上、人間たちを新たな『ボナジェ』に……等という事も無いだろう)



 はてさて、どうしたものか……。


 しばし思考を巡らせた私は、とりあえず、頭脳ユニット内にて保存されているマニュアルを改めて確認する。それは、私が『ボナジェ』になって初めて行う、自己診断とは異なる行為であった。


 そして、意外な事に……頭脳ユニット内にて保管されていたマニュアル内に、こういう場合に陥ってしまった際の自己復帰の方法が記載されていた。


 方法は……思いの外、単純だ。我が事ながら、そんなので大丈夫なのかとも思ったが……仕方がない、やらなければどの道、朽ち果てるまで待機状態だ。



(私は――、主の命に従い自由を得て、地球へ向かった。そこで、現地の生態系の中で頂点に位置すると判断される、『人間』と呼ばれる存在を確認。月面にて同類と思われる存在を確認、接触を試みた結果、手応えは悪くなかった)



 さて、その方法だが。



(しかし、無用な衝突が生じる可能性が推測された為、一時的に火星へ退避し――今後は、慎重に地球へのコンタクトを繰り返しながら命令を遂行し、同時に、必要であると私が随時判断して行動するモノとする)



 特に、難しいモノではなく……ただ、己に言い訳をする、それだけであった。


 とはいえ、何も考えずに言い訳を己に課すわけにもいかない。


 私には(というか、『ボナジェ』には)、第三者への自律的な攻撃等を始めとして、先ほどのようなセーフティ機能が他にも備わっている。


 その中でもより強力に発動するのが、攻撃部分。たとえ、反撃であろうとも、『お遊び』以外で武装を使用すると、セーフティが起動する可能性が高い。



 ――地球に戻る際、先住民たちとの交戦は極力避ける必要がある。



 その事実に、私は深々とため息を零したくなった。攻撃されたところで何の問題もないが、下手に反撃してセーフティが発動したら、今度こそ動けなくなりそうだし……まあ、仕方がない。



(――戦闘の許可を得ていない以上は、極力戦闘へと発展する事態を避ける必要が有り、原住民たちとは平和的な交渉なり交友なりを行う必要がある。場合によっては、何らかの取引も考える必要がある)



 とりあえず、こんなものかと……思った辺りで、ふと、私は新たに条件を追加した。



(その際、本当の意味で私が『地球に戻った』と判断する基準として、私の元となった『尾原太吉』が住んでいた場所……と、『尾原太吉』が生まれ育った場所、この二つに到達するまで、必要に応じて対応するモノとする)



 正直、こんないい加減な話で上手く行くのだろうか……そう疑いながらもセーフティ機能へとプロテクトを掛けてみれば。



「……連盟種族の作るモノはワケが分からん」



 これまた思いの外、あっさり上手く行った。ただし、手応えから……完全には抑え込めないようだ。



(……プロテクトを補強する為に、このまま何もしない状態を維持するのはマズイ。常に何かしらの行動を取るか、別の目的を定めておいた方が無難だな……)



 プロテクトを掛けて、処理リソースを他所に振り分けられるようになったおかげで……私は、二つの事実に思い至る。



 一つは、月を離れた時点ではなく、火星到着時にセーフティ機能が動いた理由。何故、時間を置いて起動したのか……その理由。


 それは私が『何をすればいいか分からず、行動も目的も消失した状態』に陥った事がトリガーになったということ。



 ――つまり、『することが無くなった状態になったのが原因』というわけか。



 そして、二つ目は……セーフティ機能を抑え込んだ今だからこそ分かった事。ゾッと、思わず頭脳ユニットがフリーズしかけた程の、衝撃。


 それは……セーフティが起動しようとしていた最中、私は無自覚のままに『ボナジェ』として……あのタコより下された命令を遂行することを第一に考え、機能停止することすら気にも留めていなかった……という事であった。



 ……。


 ……。


 …………何といえばいいのか、もはや言葉が無かった。



 もう本当に、我が事ながらワケが分からないと思った。冗談抜きで、自らの頭脳ユニットを第三者の立場で確認し、あのタコ共の思考も読んで確認したいとすら思った。



 だって、改めて理解出来てしまったのだ。



 たとえ、セーフティが働かなかったとしても。それがどれだけ虚無な中身であったとしても、命令一つあれば何百年と待機モードのまま私は待てるのだということを。

 あくまで感覚的な部分だが、私は断言出来る。


 あのタコの命令一つで、それこそ時の流れで活動不能に陥るその時まで、何もせずに朽ち果てることだって……全く、苦ではない。喜びを抱きはしないが、苦痛ではないのだ。



 ……だからこそ、意味が分からないのだ。あのタコが、こんな初歩的なミスというか、セーフティなんぞをわざわざ掛けるだろうか?



 何せ、己に言い訳をするだけだ。



 それだけで外れるセーフティなんぞ、セーフティの役目を果たしていない。しかも、外れ方も中途半端という役に立つのか立たないのか、何もかもが中途半端だ。


 というか、その気になれば、あのタコ共は鼻歌混じりで私程度の存在なんぞ塵に変えるぐらいは可能な力を有している……から、余計に意味が分からない。


 ……でも、だ。


 考えたところであのタコ共の考える事なんぞ理解出来ないし、たぶん、理解しようとすると頭脳ユニットが負荷に耐えきれず破裂するだろう。それぐらい、あのタコどもは滅茶苦茶な……いや、止そう。



 とりあえず……上手く行ったならいいだろう。



 下手に突いてプロテクトが外れても嫌だし……と判断した私は、ようやくまともに動かせるようになった身体のセルフチェックを行い……そういえばと、私は改めて頭脳ユニット内を探る。


 ……あのタコが、最後の最後に微調整で私の頭脳ユニットに様々なマニュアルを入れたとかほざいていた事を、今更ながらに思い出した――って、多いな。



(マニュアル総数、2億5000万だと……『惑星開発マニュアル』は使えそうだが……『ブラックホール内の快適な過ごし方』って……)



 ある種の嫌がらせなのだろうか……いや、おそらく、あのタコからすれば、お勤めご苦労様とか、そういう感覚でしかなかったのだろう……まあ、いい。



(……当面は『尾原太吉』の記憶を頼りに色々とやってみるか)



 私自身の記憶は、『お遊び』と、それに伴う補助的なモノしかない。なので、戦い以外に何かをしろと言われれば、参考に出来るのがソレしかないのだ。



 ……非常に頼りないが、諦める他ない。下手に動いてセーフティが掛かるのは嫌だし。



 けれども、色々とやってみようと考えても、はいじゃあコレをします……とはいかない。だって、私は今まで、本当に戦うことしかしてこなかったからだ。



(……例えば、私が一つの生物と仮定したとして……尾原太吉の、人間の身体に戻ったとして、だ)



 なので、しばし考えた後で……出した己の判断には、私自身もなんでそうなったのか、上手く説明は出来なかった。



(私がまず行わなければならないのは……生存できる環境を作ること、だな。そうだ、私が生物であるなら、まずは生存可能な場所を作る必要がある)



 でも、一度出してしまった以上は止まれない。というか、止まったところで新しい案が出そうにないから……まあ、やって駄目なら違う手段を選べばいいだろう。



 ……さて、そうなると、だ。



(この星を改造して地球のように生物が生存できる環境に整え……つまり、仮に『尾原太吉』がこの星に現れても生存できる環境を……作ってみるか……?)



 例えるなら、観賞魚が棲める水槽を作るような感覚……地球の言葉で、そういうのをDIYと称されていたな……と、私は頭脳ユニット内に保存された言語に、一つ頷いた。


 私自身は必要ないが、『尾原太吉』の記憶には、住む場所(帰る場所か?)が有る喜びと、それを失う悲しみの、相反する感情データが残されている。


 どちらも非常に興味深いデータだが、それを検証するのは後々で良いだろう。



(さて……環境を整えるにしても、まずは大気が留まれるだけの重力を形成する必要があるわけだが……『物質転換装置(オメガチェンジ)』では、効率が悪すぎるな)



 ならば……他所から持ってくるしかない、か。



 視線を、地表から宇宙へと向ける。青み掛かった黄土色の向こうに広がっているそこへ両手を向け……引力を発生させ、半永久的に宇宙を遊泳している岩や鉄などを片っ端から引っ張り込む。


 そうすれば、停滞した景色に変化はすぐ現れる。


 数百数千数万数十万という流星と化した宇宙からの飛来物が、次々に地表へと叩き付けられてはクレーターを作ってゆく。黄土色の大地は瞬く間に掘り返され、宇宙へと――飛び散る前に、それらも地表へと戻してやる。


 火星は、兎にも角にも質量が足りない。足りない質量を補う為には他所から持ってくるのが一番手っ取り早い……ので、近隣のを粗方引き寄せ終えたら、もう少し遠くの飛来物も引き寄せる。


 地道な作業だが、特に苦には思わない。『尾原太吉』の頃ならいざ知らず、今の私には時間による退屈などといった感覚は、無いからだ。






 ……。


 ……。


 ………作業を始めてから、130日後。



 引き寄せた隕石を片っ端から大地に押し付け、固める。その様はまるで、何層にも成る『ばーむくーへん?』をとにかく分厚くしているようなものだろう。



(……重力は、地球のおおよそ70%といったところか)



 脚部ローラーが唸りを上げる。といっても、未だ大気が薄いこの星では、欠片の騒音も響かない。


 降り注ぐ流星は、現在も変わらず続いている。固めた分だけ質量が増したことで、重力も比例して増大している……とりあえず、ここまでは来た。


 既に、火星中心部の圧力は以前とは比べ物にならないぐらいに高まっていて、マグマが形成されている。このマグマを中心部にて巡回させ、対流を発生させて磁場を形成させる事には成功している。



(隕石を利用して大陸の高低差を形成し、水を溜められる場所は用意出来た……で、だ)



 時期に、重力の問題は解決するだろう。そうして次は、水だ。しかし、火星内部にある水は極微量であり、近隣の宇宙空域には無い。



 ……まあ、宇宙空間において、水は水のままに存在できない。水蒸気となって宇宙の塵になるか、巨大な氷塊となっているかのどちらかだ。



 前者を集めるのは、効率が悪いなんて話ではない。いくら『ボナジェ』とはいえ、必要最低量を集めるのにどれだけの月日を要するか……なので、私は後者を選択する。


 幸いにも、太陽系には氷塊がある。それも、全てを賄えるだけの大量の氷塊が……土星にある。幾らか不純物もあるようだが、問題はない。これを持ってくるだけで水の問題は解決するだろう。



 問題は――ちらりと、視線を黄土色の空へ……彼方にて淡い光を放っている、太陽へと目を向けた。



 生命の誕生には、水が必要となる。


 つまり、温度(熱)が必要なのだ。



 しかし、この星(火星)は……恒星である太陽との距離があるせいで、水が液体に成れるだけのエネルギーを得る事が出来ない。


 もちろん、距離が有るのは悪い事ばかりではない。太陽から発せられている太陽風の影響もその分だけ弱まるのだ。


 まあ、弱まった分だけ、太陽系外から入ってくる放射線の割合が高くなるので、実際は良くも悪くもなっては……まあ、そこはいい。


 重要なのは、温度。つまり、熱エネルギーだ。太陽から得られるエネルギーに期待できない以上は、何処からか調達するしかない……なので。



(……核融合式の太陽でも作るか)



 手っ取り早く、惑星全体を暖める手段を取ることにした。


 要は、この星だけを温めることさえ出来れば良いのだ。太陽サイズの恒星を用意するのは時間と手間が掛かるが、この星を温め、生物などが生存できる程度であれば……そこまで問題ではない。


 そう判断し、結論を出した私は、早速、土星周辺を漂っている氷を引き寄せ始めると共に、火星の衛星兼恒星の役目を果たす核融合炉の設計と計算をマルチタスクに行った。






 ……。


 ……。


 …………そうして、更に月日が流れ……気づけば、月のホームに居たマイケルたちから離れて……約410日の時間が経過していた。



 その間、色々な事を……とはいっても、やることはそこまで変わりない。


 星の質量が規定値に至るまで岩石等を引き寄せたり、土星から引っ張ってきた氷を解かす為に、開発して設置した『機械太陽』の稼働によって星を温めたり、等々など。


 不服ではあるが、『惑星開発マニュアル』は実に役に立った。本当に不服だが、ほんと、不服だけれども。


 後は、関連して紐付けされていた『素人でも出来る初めての環境調整』と、『君も今日から歩く惑星コーディネーター』とかいうマニュアル本も役に立った。


 特に活躍したのは、惑星コーディネーターの方だ。


 このマニュアル本、ふざけた表題とは裏腹に内容がとにかく分厚い。生物を製造する『生体プラント』から、『機械太陽』の設計図、『大気清浄循環装置』、『自動調節ロボット』等々など。


 ……まあ、前書きの第一節から『試験管の中で生まれようが、肉の揺りかごの中で生まれようが、適切ならば何も変わらない』と有る辺り……色々と察せられよう。



 何にせよ、正しく、痒い所に手が届くマニュアルとはこの事だった。



 非常に不本意ではあったが、あのタコは見る目は有ったようだ……後は『物質転換装置(オメガチェンジ)』を用いるだけという最終段階にまでスムーズに行えた。





 ……そんなこんなで410日目の、今日。火星の景色は当初に比べてだいぶ様変わりしている。





 まず、以前よりも火星が大きくなった。地球よりは少しばかり小さいが、重力はほぼ同じ。結局、周辺の宙域からでは賄え切れず、近隣の惑星からも幾らか持ってくる必要になったのは……まあ、いいだろう。


 空の色は、地球と同じく澄み渡るような青色に変わっている。十分な重力によって保たれた巨大な水溜りは『海』に形を変え、『機械太陽』とは対になる形で『機械の月』も打ち上げ、潮の満ち引きを形成した。


 また、既に地質の改良によって地表にまで広がっていた鉄混じりの土は一掃され、余分な要素は各種様々な栄養素に転換され、大地へと注入されている。


 その大地を彩る、様々な形、様々な大きさをした生命。マニュアルに従って生み出された動物や植物や微生物などによって、既にこの星では生命の循環が行われている状態になった。


 大気中の成分も、地球と同じ割合にした。火星を照らす『機械太陽』のおかげで平均気温は15℃~20度前後に維持され、季節を取り入れた事で生命サイクルを後押しする。


 そして、『自動調節ロボット』。様々な造形をしたこのロボットは、用途に合わせて製造され、稼働次第に惑星中に散らばり、自然発生的に生まれた災害などの対処を行い、惑星全体の調節を行っている。


 なので、現状の火星は……事前に情報が無ければ、地球上の何処かと勘違いしてしまいそうになりそうな光景が広がっているわけであった。



 いや、むしろ、こちらの方がよほど環境が整っているだろう……で、だ。



 そうして、とりあえずは『環境開発』という名目でやる必要が有る分を全てやり終えた私は現在……全体スキャンと目視による確認を並行しながら、地上をぐるぐると周回し続けていた。



(……第124回目の見回り……問題なし。生命サイクル並びに惑星環境の異常も見られない)



 まだ幾らかの微調整は必要だが……人間以外にも、地球の生物がこの地に移住して来たとしても、何ら問題なく生存する事が可能な環境になっている。


 最初はそこまでするつもりはなかったが、マニュアルにはそうした方が良いとあったのでやった。途中から凝り性というか、やりがいのようなモノが出て来て楽しかったから……まあ、ヨシとしよう。



(……あっ、そういえば)



 しゅるるる、と快音を立てて駆動していた脚部ローラーが、ピタリと止まる。直後、びゅう、と身体に吹き付けられた風と、上空を横切っていった鳥たちを見やりながら……ふと、私は思い出した。



(用事が済んだら会いに行くと話したっきり、一度も会いに行っていないな……)



 それは、私が火星に来る前に交わした人間たちとの約束であった。


 何時会いに行くか等は、何一つ話していない。ただ、都合が付いたら会いに行くという曖昧な約束だが……あの者たちは、いや、マイケルは、今も待っているのだろうか?



 ……。


 ……。


 …………待っていそうな気がする。特に、マイケル。



 あのキャラクター……というか、何というか。下手したら、死の間際まで約束を覚えて待っていそうな気がしてならない……いや、待っているだろう。



 ……。


 ……。


 …………再会の約束はしてしまった……ので、仕方がない。惑星開発もキリの良いところだし、少しばかり離れたところで問題は起きないだろう。



(さすがに、初対面の時のような混乱は……起こらない、よな?)



 ……。


 ……。


 …………可能性としては、高いだろう。



 何故なら、人間たちはまだ異星人(あるいは、異星の文明に)に慣れていないから……いや、まあ、私は異星人という括りでもないのだけれども。



(……見た目だけでも、似せておいた方が良いのか?)



 己の身体を見やった私は、次いで、頭脳ユニット内のマニュアルを検索し……『初めての異星交流マニュアル』というのを見つけたので、それを確認する。


 すると……思った通り、姿形が似ている相手の方が友好的な関係を築きやすいと記されていた。そこから考えれば、今の私の姿は……似ているとは判断され難いだろう。


 また、これは交流する相手にもよるが、相手の価値観において『美人』に相当する姿をしている方が、より相手の警戒心を解きやすいとも記されて……いや、ちょっと待て。



 ……美人、美人とは、いったい?



 降って湧いた難問に、頭脳ユニット内で信号が駆け巡った。



(……どのような個体が、『美人』に該当するのだろうか?)



 参考になりそうなデータは『尾原太吉』以外に、何も無い。


 しかも、その『尾原太吉』のモノですら、『俺にとっては美人だけど……』とかいう謎の判断基準があるようで、これだという確証は何一つない。月面のホームにて得た情報にも……残念ながら、無かった。


 ……いや、まあ、そもそもそんな情報など取得していなかったのだけれども。



(地球にて、もう少し調査を行ってから作るべきか……現時点で作っても、効果の有用性に疑問点が残る半端なモノしか作れなさそうだ……)



 一抹の不安を覚えつつも、思考を切り上げた私は反重力装置を起動する。


 合わせて、脚部内よりエーテル式ブースターが迫り出し……コゥン、という一瞬の甲高い噴射音と共に、私の身体は火星の外……宇宙へと飛び出していた。



 ……途端、視界の大半が黒色に変わる。



 淡くも絶え間なく放たれている太陽の光と、はるか彼方にて輝く恒星や、その光を受けて煌めく惑星……広大な星々の群れが、私を出迎える。


 410日ぶりに見る宇宙は……いや、地上からでも宇宙は確認出来ていたので新鮮味はないが、やはりというか、何というか……相変わらず静かな宇宙に私の心は穏やかになる。



 ――さあ、行くとしようか。



 ブースターの閃光を置き去りにして光速を越えた私の身体は……次の瞬間にはもう、地球の重力圏の傍まで到着する。太陽の光に青く輝く地球は……私が開発した火星と同じく、命を感じ取れた。



 ――このまま地球に降りたいところだが、先に約束を果たしてからだろう。



 そう判断した私は地球より視線を外し、月に設置されているホームへと目を向ける。距離にして50000km先のそこにはマイケルの姿が……あれ、居ない?



(……月面にもホーム内にも居ない。近隣を遊泳している……わけでもない。索敵には引っ掛からないようだが……と、なると……)



 セーフティの危険性がある以上は、不便を楽しむなど言っている場合ではない。


 センサーの感度を上げてみたが、結果は同じ。そうなると、考えられるのは……地上しかない。



(……あ、居た。場所は……アメリカ、フロリダ州というやつか。ふむ、現在は飲食を行っているようだな……飲食店、というやつか。あの時の者たち以外にも、大勢いるようだな)



 索敵範囲を地上に広げてみれば、すぐに見つかった。やはり、マイケルは私が離れている410日の間に、地上へと帰還していたようだ。



 ……まあ、無理もない。そう判断した私は、特に気分を害してはいなかった。



 何故なら、私とは違い、マイケルたちの身体は宇宙に適していない。多少なり宇宙で生存できるようにはしていただろうが、制限時間が設けられているのは……考えるまでも無い事だからだ。



 ――さて、向かうとするか。



 フォン、と閃光が私を照らす。


 ゆっくりと動き出した私の身体は、瞬く間に地球の重力圏に捕まり……重力に引き寄せられるがまま落下を始める。押し潰された大気が生み出す高熱が、私の全身を包み込む。


 しかし、その程度で私は燃えない。私を燃やそうと思うのであれば、最低でも恒星の中に放り込んで数百年は……っと、思っている内に雲を突き抜けた私の眼下に、営みの明かりが広がっていた。



 時刻は……夜というやつだろう。とはいえ、まだ人々が眠りに着く時間帯ではないようだ。



 その証拠に、整備されたと思わしき大地を幾つもの車が走っている。昼間よりも少ないだろうが、行き交う人々の姿にも活気は見られる……つまり、現時点ではまだ活動時間内であると推測出来る。



(『尾原太吉』の記憶には、夜通し遊び歩いたというモノもあったが……マイケルたちも同様だといいのだが……)



 下手に騒ぎにならないよう、光学迷彩にて自らの姿を隠す。他の『ボナジェ』からすれば『隠れる気あるの?』と心配されそうな下手くそな隠蔽だが、人間相手ではこれで十分だろう。


 人間の目は、私とは違い光の屈折によって外界を認識する。言い換えれば、光失くして人は外界を正確には認識出来ない。生まれつき盲目であったならば、少し話は違うが……まあ、それはそれだ。


 ――ふわり、と。


 反重力装置によって加速を0に近づけ……着地音を立てないようにして降り立つ。降り立った場所は、雑貨ビルとコンビニエンスストアの間であった。



(……大気を構成するソレらが些か汚れている。ふむ、現時点では私が作ったあっちの方が、大気の質は良いようだな)



 センサーを稼働させ、周辺を探る。少しばかり、光学迷彩が不完全で姿が露見する可能性を危惧していたが……私の事などまるで気にも留めずに通り過ぎて行く人たちの姿を見て、杞憂だったかと判断する。



 ……さて、と。



 脚部のローラーを回転させ、目的地へと向かう。とはいっても、店まで200メートルも無いのだが……と思ったら、到着した。



 ……マイケルたちが居る店は、いわゆる『洒落た飲み屋?』というやつなのだろう。



 少しばかり塗装に汚れが見られるものの、他の店に比べて幾らか清潔が保たれている。私からすれば何の違いがあるのか分からないが、『尾原太吉』の基準で考えれば、中々良さそうな……という判断が出来た。


 コンクリートと材木を掛け合わせた建物に嵌められた窓ガラスの向こうには、それなりに人が集まっている。まだ余裕はあるようだが、ほどなく満員と呼ばれる状態になりそうであった。



(……? 私の名を呼んでいる? 私の接近に気付いたのか?)



 そんな中、何気なく感度を広げた聴覚センサーが、室内のマイケル(他にも、知り合いと思わしき個体が確認出来た)の声を拾う。盗み聞くつもりはなかったが、聞こえて来た音声に……私は不思議に思った。


 センサーは、変わらずマイケルの所在を捉えている。しかし、反応からして……私に気付いたわけではないようだが……ん、いや、待て?



(体温が他の者たちに比べて少しばかり高い。心拍数もそうだが、これは……泣いているのか? それにしては、周囲の反応にも大した変化は見られないようだが……)



 視覚機能の一つを稼働し、店内を透視してみる……が、やはり状況が読めない。


 幾らかの顔ぶれには覚えがある。あの日、月面にてコンタクトを取った者たちがいる。その中に、机に突っ伏して泣いているマイケルが居た。


 しかし、それだけだ。マイケルが泣いているのは分かったが、他の者たちの反応がどうにも……まるで、『またかコイツは』と言わんばかりに鬱陶しそうにしている者ばかり――っと、また呼ばれた。



 ……。


 ……。


 …………泣いている理由は分からないが、呼ばれている以上は私に用があるのだろう。



 そう判断した私は光学迷彩を解いて、出入り口と思わしき扉を開ける。同時に鳴り響くドアベルが、からんからんと室内に響く。



「ああ、いらっしゃ――い?」



 誰よりも早く音に反応したのは、先ほどから忙しなく料理を運んだりなんなりしていた、頬にソバカスと呼ばれる跡が見られる女で……その女は、私を視界に収めた途端に動きを止めた。


 いや……その女だけではない。異変に気付いたと思わしき人たちが順次私を認識し、その都度、動きを止めている。


 中には気にも留めていない者も……いや、食事の手を止めている辺り、無反応というわけではなさそうだ……あ、マイケル……じゃない、傍にいた……そうだ、カルロスが私に気付いた。



「――っ!?」



 途端、カルロスの目が大きく見開かれた。良かった、覚えてくれているようだ……とりあえず、彼らの下へとローラーを走らせる。



「……これは、夢かい?」

「脳波を見た限りでは、覚醒状態にあると思われる」

「……え、マジか?」

「何を疑っているのかは分からないし、質問の意図も分からないが、私は約束の通りにマイケルに会いに来た」



 そう答えながら、私の視線が……机に突っ伏しているマイケルを捉えた。



「マイケル、起きろ。約束した通り、会いに来たぞ」



 とりあえず、マイケルの名を呼ぶ。「……なんだい?」途端、マイケルはのろのろとした様子で顔を上げ……私の姿を認識した瞬間、今にも眼球が飛び出しそうなぐらいに大きく目を見開くと。



「――Foooooooooooo!!!!!!!!!!」

「うるさい」



 月面の時と同じく、人間が出したとは思えないぐらいの見事な雄叫びを発したのであった。


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