第29話

 外に出ると、太陽は西に大きく傾き、群青色と橙色が混じり合う。


 そんな光景を見ていると、ふと子供の頃に食べた知育菓子を思い出す。


 1の粉と2の粉があり、水を入れて混ぜると練り物のような駄菓子になり、もう一方の粉を混ぜると色と味が変わる。そして、パチパチと弾ける飴をつけて食べるのだ。幼い頃に萌香と分け合って食べたことを思い出す。


 この色を見ると、いつも心臓がザワザワと疼いてくるが、どうしてそうなるのかいつもわからないまま、只々陽が沈んでいくのをみていることしか出来ない。


 やがて、空は深く薄い青紫色になり、本格的な夜の色へと移り変わっていく。


 これは、いつもの風景だ。パレットに描いたような鱗雲が段々と見えなくなっていく。しかし、いつも通りでないものが私の方に寄りかかっている。

 それも、「すー……すー……。」と気持ちよさそうに寝息を立てながら。

 私の脳味噌は、意識しなくても今日の出来事をフラッシュバックのように再生していく。朝に駅で待ち合わせしたこと、電車に揺られながら楽しく会話できたこと、そして、水族館での出来事……。


 今でも夢だったのではと疑ってしまうような、萌香の熱の篭った瞳。

 今日の出来事が、全て夢の中のことだったのではと疑ってしまいそうなほどにいつも通りの風景と、「ガタン、ゴトン」と規則正しく鳴る車輪の音。

 でも、確かに存在する体温に、ここは現実であると突きつけられる。


 しかし、萌香のことを突き飛ばしてしまった後からの記憶がほとんどない。暗い水中をただボヤッと歩いていたような感覚だけが残っている。私は、ちゃんと萌香を楽しまあせていただろうかという不安が押し寄せてくる。


 向かいの席には水族館の帰りであろうカップルが座っている。年齢は20代前半くらいで、緑がかった黒縁のメガネの男性と、ロングヘアの茶髪の女性だ。意識をしなくても、会話が聞こえてきてしまう。


「イルカショーすごかったね」


「うん、あんなに水かけられるとは思ってなかったけど」


「ほんとよ、次はもう少し後ろの席にしましょう」


「えー、一番はしゃいでたのに?」


「まあ、あれはあれで楽しかったけど」


「大丈夫だよ。次もその次も僕が守るから」


「たっくん////」


 なんだか、聞いているこっちが恥ずかしくなってくる会話だ。でも、馬鹿みたいな会話を聞いたおかげか、かかっていたモヤみたいなものが少し晴れた気がする。

 もう一度空を見上げると、空は漆黒に染まりいくつかの星が瞬いていた。中には教科書やテレビでよく見知った北斗七星も見ることができた。

 雲の切間からは半月が顔を出したり隠れたりしている。


 電車が駅のホームに停まり扉が開くと、先ほどのカップルが手を繋いで下車していった。

 扉から入ってきた風は、4月とはいえ肌寒さを感じるほど冷たかった。空気の冷たさと反比例するように、肩に寄りかかった萌香の体温がより感じられて、私の体温まで上がった気がする。


 扉が閉まり、再び電車が発進すると、暖房の影響で車内の温度が上がる。しかし、一度意識してしまうと萌香の体温や匂いにしか気を回すことができない。車内を見渡すが、壁の至る所に貼られているポスターは一通り目を通してしまったし、車内にはもう私たち以外の乗客はいなかった。さすがに他の車両にはいるだろうが、地方線の休日らしく乗客は少なかった。

 夜空を見ていても萌香の腕の柔らかさにばかり気になってしまう。

 女の子同士なのに、萌香のことをこんなにも意識してしまうのはどうしてなんだろう。ふと萌香の左手が目に留まり、無意識に手を重ねる。ハッとして萌香が起きていないか確かめる。人形のように可愛らしい顔に薄くて綺麗な唇。とても気持ちよさそうな表情で眠っていた。

 萌香の表情を見ているだけでこんなにもドキドキしてしまうのは、異常なのではないだろうか。今まではそんなことはなかった様に思う。記憶の中を探るが、遊びの中でキスをした時でさえこんな気持ちにはならなかった。

 それは、自分が子供だったからなのだろうか。だとしたら、今の自分がキスをしたらどんな気持ちになるのだろう。好奇心が働き、いやそれは単なる口実だったのかもしれないけど、私は萌香に顔を近づけた。

 あと数センチで唇通しが触れ合うかというときに、萌香の瞼がピクリと動いた。


 私は、驚きから思わず身をひいてしまう。


 すると、私に寄りかかっていた萌香は、必然的に私の方に倒れてくる。しまったと思い、萌香のことを抱き止める。さすがに萌香も目を覚ましたようで、胸の中で身じろぎをする。


「うーん……。あれ、あたし寝っちゃってた?たまちゃんごめん。」


「ううん、歩き回ったから私も疲れれちゃたし、大丈夫だよ。」


「今日はありがとう。昔みたいにたまちゃんと遊べて楽しかったよ。」


 萌香は昔と変わらない太陽みたいな笑顔で笑いかけてくれる。


「萌香、渡しそびれちゃったんだけど、これ。」


 そう言って、私はカバンからラッピングされた箱を取り出す。


 萌香は一瞬ポカンと口を開けていたが、思い当たったようで両手で口を塞ぎ驚きを表現する。


 オーバーリアクションだなと笑いながらも、「萌香、お誕生日おめでとう」と言って箱を差し出す。


「たまちゃんありがとう。本当に嬉しい。」


 萌香が本当に嬉しそうにするから、こっちまで照れてしまう。


「大したものじゃないんだけどね。本当は水族館で渡そうと思ってたんだけど、なかなかタイミングがなくて。」


 照れ隠しのせいで、言い訳めいた言葉しか出てこない。本当はちゃんと祝いたかったのに、自分の意気地なさに呆れてしまう。


「ううん、たまちゃんが私のこと考えてくれただけで嬉しい。

ね、これ今開けてもいい?」


「うん、もちろん」


 萌香は大切なものを触るように包装を解いていく。


「わあ、シュシュだ。可愛い〜〜。たまちゃんありがとう。早速使ってもいい?あ、でも使ってたらボロボロになっちゃうし飾るべきかな。」


 萌香は踊りだすのではないかというくらいに、喜んでくた。これだけ喜んでくれたのなら、プレゼント選びで悩んだ甲斐があったというものだ。


「気に入ってくれてよかった。髪留めなら、気に入らなくても家で使えるしいいかなって思ったんだ。でも、折角だし使ってくれると嬉しいな。」


「うん、分かった。絶対に大事に使うね。」


「ありがとう。」


「え〜、お礼を言うのは私のほうでしょ?ありがとう。」


「ふふっ、そうだったね。どういたしまして。改めて、誕生日おめでとう。」


「嬉しい。」


 萌香と目が合う。夕日はとっくに沈んでいるはずなのに、萌香の頬にはほんのりと赤みが差している気がした。


 何度見ても綺麗な瞳だと思う。日本人の瞳の色なんて変わり映えしないものだと思うけど、萌香の瞳には他の人にはない煌めきが備わっていた。漫画やアニメで見るような夢を持った少女の煌めきだ。私は吸い込まれそうなこの瞳を見ていると、時々萌香だどこか遠いところにいる気がして怖くなる。


「ねぇ、たまちゃんにつけてほしいな。」


 プレゼントのシュシュを目の前に掲げて萌香が言う。


「え、いいけど……今?」


「うん、今つけて欲しい。」


「分かった。後ろ向いて。」


「うん。」


 萌香が今つけてる髪ゴムを解いて、後ろを向く。


 髪を解いた萌香を久しぶりに見たが、髪を縛っているときの明るい感じとは違い、少し大人っぽく見えてドキッとする。


「じゃあ、髪触るね。」


「ん……。」


 言ってから、萌香の髪に触れる。


 セミロングの髪を指で梳くと抵抗なくするりと流れて、ふわりとシャンプーの匂いが香る。春を思わせる桜のような香りだ。


「いい匂い」


「え?そ、そう?なんか、恥ずかしいな。あはは。」


 萌香は顔をパタパタを仰ぎながら言う。後ろを向いていて顔は見えないが、動揺しているのが分かる。


 あれ?もしかしていい匂いって口に出してた?やばい、気持ち悪い奴って思われたかもしれない?どうしよう、どうにか弁明しないと、もう二度と髪を触らせてもらえないかもしれない。


 しかし、いくら考えても弁明する方法が思い浮かばない。沈黙の時間が経つにつれて、弁明をするような雰囲気ではなくなっていく。こう言う時、他の人だったらどうやって切り抜けるのだろうか。湊だったら冗談ぽいことを言って笑い話にしてしまうだろうし、史乃なら同じことを言っても気持ち悪く感じないかもしれない。


「ねぇ、たまちゃん。あ、あの……いつまで……。」


 呼ばれて、意識を戻すと私は萌香の髪をずっと弄んでいたことに気がつく。


「あ、ごめん。つい気持ちよくて。」


 しまった、また気持ちの悪い発言をしてしまった。どうもぼうっとしていると思っていることを口に出してしまうらしい。


「え!?そうなんだ……、そうなんだ!だったら、もっと触っててもいいよ?」


「いいの!?」


「うん、たまちゃん触られるのなんだか気持ちいいし……。」


「そ、そっか……。」


 私も顔をパタパタと仰ぎたくなるくらいに熱くなる。


 なんか、もうどうやって会話を続けたらいいか分からない。


 気を紛らわせるために、萌香の髪を手早くまとめるとプレゼントのシュシュで縛る。萌香に会うだろうなと思って花のような形をした白色のシュシュを選んだが、私の予想に違わず萌香に似合っていた。萌香の着ていた私服ともよく似合っていて、さながらお姫様のようだと思った。


「出来たよ。」


「ありがとう。」


 萌香はカバンから手鏡を出すと、シュシュを見ようといろんな角度から覗き込んでいた。


「ぬぬぬ、ちょっとしか見えない〜〜。」


「写真撮ろうか?」


「その手があったか、たまちゃん天才。」


 萌香はサムズアップを決めて撮って〜と後ろを向く。今日は萌香の後ろ姿をよく見るなぁと思いながら、写真を撮ろうと思って思いとどまる。


「人はいないけど、電車内だし降りてからにしようか。」


「あ、そうだった、早く見たすぎて忘れてた。」


 萌香はてへっ、と自分の頭をこずく真似をする。こんなことをしても似合ってしまうのがずるいと思ってしまう。私がやったら完全に痛い人になるんだろうな。


 少し落ち着いて今までの言動を思い出すと、車内に他の乗員がいなくて本当によかったと思う。でも、休日の夕方にこんなに乗員がするなくて、運営は大丈夫なんだろうかと少し心配になる。


 しかし、そんな心配は関係なく、私の恥やトラウマや萌香の誕生日や水族館のお土産を乗せて電車は走って行く。

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想日出 海星 @hitode120

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