003 『日影の草壁』

「おい、草壁、散歩の時間だぞ」

「私、犬じゃないんですけど……」


 如宮きさみやにお宝本を焼却処分された日の午後、僕は草壁の部屋を訪れていた。

 この引きこもりをそろそろ外に連れ出すためである。

 口調が少し荒々しいのは、決してお宝本を焼却処分されたからではなく、甘やかしているとダメだと分かったからだ。


「買い物に行くって約束したの忘れたのか?」

「忘れてはいませんけど……」


 草壁は言いづらそうに下を向く。


「やっぱり、急に外に出るのはちょっと……」


 こんな感じで、腕が完治して以降、僕は草壁を外に連れ出すために試行錯誤しているのだけれど、中々上手くいかない。

 だけど。

 今日は秘策があった。


「そうか––––」


 僕はワザとぽい口調で言う。


「なら、苫小牧とまこまいと行––––」

「行きます」


 即答だった。まさか、こんな単純な手に引っかかるとは思わなかった。

 なんか、勉強をしない子供からゲームを取り上げる系の作戦で、上手くいった。

 この場合のゲームはまさに僕自身なのだけれど。


「じゃあ、今から行くから早く支度してくれ」

「えっ、今からですか?」

「ああ」

「それはちょっと無理ですよ」

「なんでだ、別に予定なんてないだろ?」


 草壁はこちらを見て、


「女の子には、色々準備があるんですっ」


 ピシャリと言った。

 準備ねぇ。

 まあ、僕も女心の分からない男じゃないしな。


「なら、明日はどうだ?」

「明日なら、大丈夫ですっ」

「じゃあ、明日の十時とかに迎えに来るから」

「分かりました、楽しみにしてますねっ」


 なんとか約束を取り付けることに成功した。

 まあ、一歩前進かな。


「えと、ところで、どこへ行く予定なんですか?」

「そうだな……」


 一応当初の予定では、街へ向かい、ニット帽を選んでもらおうと思っていたのだけれど、僕の髪は割と生えてきたので、正直要らない。

 僕はこう見えて、髪が伸びるのが早いタイプなのだ。

 普通一か月に伸びるのは約1センチ程度と言われているのだけれど、僕は3センチちょっと伸びるので(多分育毛剤と、如宮きさみや特製亜鉛たっぷりご飯のおかげだ)、今はベリーショートくらいの長さになっている。

 坊主だった頃は、如宮きさみや苫小牧とまこまいによく頭を撫でられてストレスを溜めていたのだけれど(手触りが良かったらしい)、思い返せばアレはアレで良かった気もする。

 涼しいし、洗うの楽だしね。

 将来髪が無くなったら、そうやって強がる事にしよう。

 閑話休題かんわきゅうだい


「まあ、適当にブラブラして、なんか気になったら見ればいいんじゃないかな」

「初デートがノープランなのって、女の子としてはちょっと抗議したいところがあるのですけれど、上終かみはて先輩なので許しますっ」

「なんで上から目線なんだよ」

「上目遣いだから?」


 と。

 草壁は僕にズズいっと近寄り、上目遣いで僕を見つめる。

 胸がよく見える。とてもよく見える。

 Iカップ。バストサイズ95の圧倒的な存在感。  

 バスケットボールくらいあるぞこれ。

 Iカップという文字の響きもいい。

 それに、『I』という文字を平仮名表記にすると『あい』となり、両方母音になるしな。

 母音母音ぼいんぼいんだ。


「揉みますか?」

「揉む!」


 反射的に。

 そう答えてしまった。

 いや、違うんだって。揉むってその、肩をだよ、肩を。そう、肩とかさ、凝ってるんじゃないかなってさ?

 ほら、重い物ぶら下がってるしさ?


上終かみはて先輩って、本当におっぱいが好きなんですねっ、真彩ちゃんの言った通りです」


 真彩ちゃん。

 いつの間に仲良くなっちゃってまぁ。

 草壁と苫小牧とまこまいは、何故かある話題で妙に盛り上がったらしく––––それ以降、苫小牧とまこまいは頻繁に草壁の部屋を訪れるようになっていた。

 苫小牧とまこまいが誰かと仲良くしている所など僕には想像も出来ないけれど––––友達が増えるのはいいことだ。

 それにしても、盛り上がった話題ってなんなんだろうね。


「あ、そういえば、真彩ちゃんスマホ持ってないんですって」

「マジで?」


 初耳だった。

 今時小学生でも持ってるっていうのに、アイツは……。


「今まで特に必要が無かったから––––って、言ってましたよ」

「アイツ、友達いなかったもんなぁ」


 連絡する必要のある相手がいないので、必要無い。苫小牧とまこまいらしい合理的な考え方だ。


「スマホねぇ、多分連絡手段としか考えてないんだろうな」

「私も、自分のスマホを見せて、色々教えてあげたのですけれど」

「どうだった?」

上終かみはて先輩がサッカーしている動画を、やたらと見てました」

「意外とミーハーだなぁ」

「かっこいい……って声が漏れてました」


 なんか友達ヅテで、〇〇ちゃんがお前のこと好きなんだってさ––––と言われた時と同じ気持ちになった。

 ふぅん、としか言えない。

 それはさておき。


「まあ、現代人は電子機器を扱えないとダメだからな。今度上手い感じに勧めとくよ」

「私も何度かトライしたのですが、ダメでした」

「具体的には、どんな感じで勧めたんだ?」


 草壁は「そうですね……」と口にしてから、


上終かみはて先輩が出ているドラマとか、映画とか見れますよって」

「うん、見れるけど、その勧め方ばちょっと違うかな」

「画像検索で、『上終かみはて和音』とやると、色々な上終かみはて先輩が見れますよ、とか」

「とりあえず、僕から離れない?」

「あとは、カメラが付いていますので、上終かみはて先輩を写真に収めたり出来ますよって」

「それ、隠し撮りだからな」


 なんか、色々残念な勧め方だった。尖っていた。

 そうだな、無難に他のフィギュアスケート選手の演技とか見れるよ––––でいいんじゃないかなとは思うけど。


「うーん、今度僕がスマホ買い替えるからさ、そのお下がりを苫小牧とまこまいにあげてみるよ」

「お下がりスマホってやつですねっ」

「そうそう」


 お下がりスマホ。

 親とかが子供に、使わなくなったスマホをあげる事だ。

 Wi-Fiでしかネットに繋がらないので、外では使えないが、家の中でなら親の目も届くし、ある意味最初のスマホとしては、よく出来ているとは思う。

 保護フィルターとか––––無いよりはマシだけれど––––無意味だし(これは僕がよく知ってる)。


「なんか、ソシャゲの『無料で遊べます』に近い宣伝方法ですねっ」

「言い得て妙だな」


 最初はスマホをタダであげ、その楽しさや便利さを理解してもらい、さらに便利なスマホ––––つまり、外で電話出来たり、ネットが出来るスマホを買わせる。

 うわ、商売上手だな、僕。


「あの、上終かみはて先輩……」

「なんだ?」


 ここで草壁は、少し言いづらそうに、何度か何かを言おうとしては、やめてを三回くらい繰り返してから、


「……今更な質問になるんですけど、私のこと––––怒ってませんか?」


 と訊いてきた。

 まあ、あの件だろう。思い返せば、あれ以降、こうやってこの話したことはなかったな。


「怒ってるか怒ってないかと言ったら、怒ってるし、お前はイケないことをしたと思ってるよ」

「なら、どうしてこうやって今でも仲良くしてくれるんですか?」

「それは––––」


 なんだろう。

 自分でもよく分からないけど、僕は草壁から好きと言われたのが嫌ではなかったし、草壁のやった事は行き過ぎたことだったけれど––––僕のお宝本の漫画の中に、そういう話は結構あったし。

 フィクションと現実は違うというけれど、事実は小説よりも奇なりって言うし。

 いや、待てよ。

 まさか、いやいやいやいや。

 やっぱり僕は如宮きさみやの言った通り、草壁にそうされて嬉しかったのか⁉︎

 ドMだったのか⁉︎

 逆レイプされそうになって喜んじゃうドM野郎だったのか、僕は⁉︎

 いや違うないないないない、それは無い。

 無いぞ、上終かみはて和音。落ち着け。


「あの、上終かみはて先輩?」


 草壁が心配そうに僕の顔を覗き込んで来ていた。


「あ、いや、ほら、人間誰しも間違いは、あるっていうか、その間違いを自身が認めたなら、許すのも、ほら、大事じゃん?」


 適当に言った言葉ではあったものの、草壁は何かしらか思う所はあったようで、


「……私、次はちゃんとしますね」


 と言って。


「今度はズルなんてしませんから」


 にっこりと。

 いつもの草壁スマイルを浮かべた。

 砂糖菓子のように甘いスマイルである。

 その顔を見ていると、僕はなんだか毛恥ずかしい気分になり、その気持ちを誤魔化すため、ちょうどいい位置にある草壁の頭にチョップを喰らわせた。


「あたっ……何するんですか、上終かみはて先輩っ」

「これで許してやるから、明日は遅れるなよ」


 甘いのは草壁スマイルではなく、僕ではないか。

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