002 『はんにゃりとした少女』

上終かみはてくん、腕の具合はどやろか?」


 如宮きさみやが失踪する少し前。

 具体的には夏休みに入る少し前、七月十五日のことだ。

 夏本番といった気温の中、如宮きさみやのですわブームは終わったようで、今度は多分京都弁と思われる口調ではんなりと尋ねてきた。

 僕の姿で。

 いや、この言い方では語弊がある。

 少し長めの金髪に、切れ長の目。整った顔立ちに細身ではあるが筋肉質な身体。

 上終かみはて和音。

 半年、いや、もう––––八か月前か。

 前の高校に居た時の僕の姿をしていた。

 確かにこう見ると、以前、如宮きさみやが言っていたように、女の子に見えなくもない。

 特に前髪がパッツンなのがヤバい。

 なんでパッツンにしてたのか、今でも謎だ––––ハク様かよ。

 冗談はさておき。

 僕はリハビリを終え、快調となりつつある腕をぶるんぶるんと振り回してみせた。


「腕立て伏せとか、そういうのはちょっと危ういけど、日常生活を送る上では問題は無くなったよ」

「ほならうちも安心や、上終かみはてくんも中々にしんどい思いをしてはったんやろ?」

如宮きさみやがよくしてくれたからな、大丈夫だったよ。本当にありがとうな」


 本当に世話になった。

 最初期なんか、ドアも開けられなかったしな。

 しかし、京都弁か。

 しかもかなり祇園ぎおんよりの京都弁だ。

 姿を変えている間は"代償"として、標準語を話せない如宮きさみやだけれど、そういう方言でもいいのか。

 僕の姿で流暢な京都弁を話す姿には違和感しか覚えないが、僕のおじいちゃんは京都の出身だと言っていたので、血筋的には間違ってなかったりもする。


「まあ、夏休みの前によくなったのは良かったと思うよ。母さん心配しちゃうし」

上終かみはてくんは、マザコンさんやからなぁ」

「ちゃう、ちゃう」

「…………」


 え、なんで?

 なんでそこで黙るの?

 ちょっと僕も真似しただけじゃん、なんでそんな白い目で見るんだよ、ていうか、僕自身になんでそんな目を向けられにゃならんのだ。


如宮きさみや、そろそろ僕の姿をするのはやめてくれ」

「ほなら、上終かみはてくんの好きな––––」

「母親もダメだ」


 僕は先回りして、如宮きさみやの悪事を止めた。


「せめて、猫とかにしてくれ」

「しょうがあらへんにゃあ」


 と。

 如宮きさみやは猫になる。

 クルンと反った耳に、青い目が特徴的な白猫。


「ちょー可愛い」

上終かみはてくんは、ほんに猫さんがお好きどすなぁ」

「実家の猫に会いたくなってきちゃったよ」

「夏休みはどないするん? 帰省するんやろか?」

「どうしよ……草壁の件も片付いたし、そうしようかな」

「まあ、えぇんとちゃいます? ここの所、せわししなかったからなぁ、ゆっくりと羽を伸ばして来はってもええと思いやす」

如宮きさみやはどうするんだ?」

「何がやろか?」

如宮きさみやはその……帰省したりとかはしないのか?」

「うちが?」

如宮きさみやが」


 ちょっと気にはなった。

 如宮きさみやの両親とか、家族とかが。

 うちの母親と如宮きさみやは面識があるのだけれど、僕はそういうのないし。


「うちは、両親がおらへん」


 如宮きさみやは淡々とした口調で、今日は朝食を食べてない––––くらいの口調でそう言った。


「うちが生まれてすぐに亡くなったそうなんや」

「……そうか、なんか悪いこと聞いちゃったな」

「かまへんよ、うちも顔も知らない両親のことなんて覚えてへんし、ナデちゃんにはようしてもらったしな」


 ナデちゃん。

 如宮きさみやはナデシコ・ダイワのことをそう呼ぶ。

 僕もそう呼ぶようにナデシコ・ダイワに強制されたのだけれど、歳上の女性をちゃん付けで呼ぶなんて気が引けるので、僕はナデシコさんと呼んでいる。


如宮きさみやはナデシコさんの世話になってたのか?」

「そうや、数年前まではうちもアメリカにおったんよ〜」


 如宮きさみやは、当たり前のように英語が出来る。

 英語の場合の"代償"は、リヴァプール訛りを話す。

 標準語を話せないという"代償"は、如宮きさみやにとってなんのかせにもなってない。

 しかもそこで楽しんでいる節さえある。


 超能力者にとって"代償"というものは、苦しむもので、大体は厄介なものだけれど、如宮きさみやだけは、それで楽しんでいる。

 もちろん、如宮きさみや自身の"代償"が軽いという前提条件はあるのだけれど––––通常語が話せない、か。


「ところで、上終かみはてくん」


 如宮きさみやは唐突に、どこからか本を取り出した(猫の手で出したのはさておき)。

 僕がトイレタンクの中にビニールを被せて隠してあるお宝本と同じ表紙の本を取り出した。


「この、けったいなもんはなんやろか?」

「知らへん」

上終かみはてくんの所にあったんやけどなぁ」

「気のせいじゃないでしょうか」


 ダラダラと。額から汗が吹き出してきた。

 いかん、あれは、間違いなく僕のやつだ!

 なんで見つかる⁉︎ トイレタンクの中だぞ⁉︎

 そんなところ見ないだろ、普通!

 なんとかして、誤魔化しつつ、取り返さないと。


上終かみはてくんのものやないんなら、捨ててもかまへん?」

「いや、僕のものでは無いけれど、捨てられてると持ち主が困ると思うので、僕が一時的に預かっておく––––ということでどうでしょうか」

「いい加減にせんと、やいとするで」


『やいと』という単語が何を指すのか僕には分からないけれど、きっと『せっかん』とか、そういう感じの意味だ。


「それか、上終かみはてくんのお母様に言うで」

「それはご勘弁を」


 それはシャレにならない。


「それにしても、ネットでこないなもん見放題な時代に、こやって紙媒体にお金をはろうて、わざわざ卑猥な本をうてくるなんて、上終かみはてくんは中々に真面目なお人どすなぁ」


 卑猥な本を買って、真面目な人とはどういうことだ。

 いや、ちゃんと理由があるんだよ、聞いてくれ。

 以前は僕もそうやって画像フォルダとかにさ、なんかいい感じの画像とかさ、保存とかしてたんだけどさ、ある日如宮がさ、


「この『巨乳』って書いてあるフォルダはにゃんにゃのかにゃ?」

「いや待て、ロックはどうやって解除した」

「指紋認証って、鍵がすぐ近くにあるから、意味がにゃいにゃ」


 と如宮きさみやは僕の指を見た。

 寝ている間に、勝手に開けられて、中身を見られた。

 ここは「おい勝手に見るなよ」とか、「プライバシーの侵害だぞ」とか、そういうことを言って抗議する場面だったとは思うけれど、巨乳フォルダを見られたからには、何も言えなかった。

 なので、スマホの中は逆に危険だと思い、紙媒体を購入したのだけれど、こうもあっさりと見つかってしまうとは思わなかった。


「まあ、これはうちの方で処分させてもらいましょか」

「お慈悲を、どうかお慈悲を」

「ほなら、うちのお願いを一つ聞いてくれるやろか?」

「何だ、なんでも言ってみろ、僕は今だけはどんなお願いも聞いてやるぞ」

「天井、植木鉢の中、タンスの底、本棚の裏、この場所に何でもえぇから思い当たることを教えてくれへんやろか?」

「…………」

「ベッドの下なんていう王道な場所を選択しないんは一定の評価をしてもえぇけど、流石においたが過ぎると思いますえ」

「…………」

「よう気張ったとは思いやす」


 こうして、僕のお宝本は全焼却された。

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