014 『バカリン』

 僕は目を開く。

 何時間寝たのかは分からない。

 目の前では、下着姿の草壁が、こちらを見ていた。

 止まって、こちらを見ていた。

 僕は眠る前に。

 寝落ちする前に。

 

 分かっていれば。

 睡眠薬を盛られると分かっていれば。

 回避するのは造作もない。

 

 シンプルでベターな回答だ。

 力というのは、直接的な強さが大事なのではなく、使い方が大事だ。

 それが例え、超能力であっても。


 "代償"となる髪はズラで隠した。

 苫小牧とまこまいの時とは違い、長時間の使用となると目に見える範囲で無くなるからな。髪が減ってると、超能力を使ったってバレてしまう。

 なので、髪は切ったのではなく、無くなるのを隠すためにヅラを被ってるだけだ。

 能あるハゲはヅラで隠すってな。

 はははっ、ウケる。

 冗談はさておき。

 僕は目を閉じて、寝てるフリをする。

 

 そして、能力を解除する。

 足音が聞こえる。

 したりしたりと。

 草壁がこちらに近付いてくるのが分かる。

 草壁が僕に抱き付いてきた。

 大きな胸がこれでもかと押し付けられ、僕は抱き枕のようにその一方的なバグを受け入れた。

 草壁の吐息が近付いてくる。

 胸元、首筋、顔の前。

 いい匂い。甘い香り。

 草壁のしようとしていることが分かる。

 マウストゥマウスで。

 好きの裏返し。

 キスをするつもりだ。


 僕は目を開き––––

 


「……えっ、なんで……」


 驚きの表情を浮かべる草壁。

 青ざめたというよりかは、マーブルに近い血の気の引いた表情だった。

 それはそうだろう。眠っているはずの僕が起きており、使えないはずの腕が動いたのだから。

 驚くのは当然だろう。


「まあ、とりあえず服を着たらどうだ?」

「どうして動くんですか、それに……」

「睡眠薬が入ってることは分かってたし、ちゃんと飲んだよ。でも––––。この意味、分かるよな?」

「……っ! で、でも腕は!」

「怪我なんて、? この意味も分かるよな」


 これはハッタリだ。

 いくら時間経過で怪我が治ると言っても、一日やそこらで治るわけがない。

 治るまで使ったら、"代償"の髪が先になくなる。

 右手はギプスを取っただけであり、草壁を突き飛ばした時も、手首に力を入れないように細心の注意を払ってやっただけだ。

 ただ、動くというだけに過ぎない。

 でも、それで十分だった。

 騙すのは嫌いだが、

 動くように見せる、問題ないように見せる、治ったと見せる。

 僕にとっては、造作もないことだ。

 驚愕の表情を浮かべる草壁を他所に、僕は右手でヅラを取り、丸坊主になった頭を見せた。

 如何にも、超能力を使い時間を止めて、怪我を治しましたよ––––と言わんばかりに。

 演技のために丸坊主にするなんて、よくあることだ。


「草壁、お前のやろうとしていたことや、やったことは全て分かっている」


 草壁は何も言わない。


「悪いことだってことくらいは分かってると思う」


 草壁は何も言わない。


「超能力がコントロール出来ることも、それを隠していた理由もだ」


 草壁は何も言わない。


「僕は怒らないし、ちゃんと話も聞いてやる、だからまずは––––」

「そうやって、優しいから! 優しくするから、私はっ! 私はっ……!」


 草壁は僕の話を遮るように大声を出し、こちらに向かってキッと強い視線を向ける。


「優し過ぎるんですよ、上終かみはて先輩はっ! 素敵過ぎて、カッコよくて、私にいつも優しくしてくれて……自分が悪いことをしたって分かってますよ!……でも、でも! しょうがないじゃないですか、止められないんですよ、この想いを……!」

「なら、そう言わなきゃだめだろ」

「……っ!」

「好きなら、まずはその想いを伝えないとダメだろ」


 苫小牧とまこまいの破水発言ってわけじゃないけど、順序がデタラメだ。

 そういうことをする前に。

 まずは想いを伝えることからしなきゃダメだ。


「それともまさか、身体の相性を確かめてから––––なんて言わないだろうな?」

「相性もなにも……初体験ですよ、こっちは……そういうのは分からないですよ」


 ただ、僕の言いたいことは分かったようで、


「でも……でももし仮に、そう言ったとして、それで振られちゃったら、私はどうすればいいんですか?」

「振られるのか?」

「だってそうでしょう? 上終かみはて先輩は、女の子が男の人を家に上げて二人きりでも何もしてくれないし、頑張ってオシャレしても褒めてくれるだけだし、バイアグラを盛っても––––」

「ちょっと待て、それは知らないぞ」

「昨日のプリンに盛りました」


 草壁はあっさりと白状した。

 ああーだからか。妙に身体が熱いと思ったんだよ。


「もう、早く襲ってくださいって感じでしたのに、全然手を出されませんし……私、結構可愛いと思うんですよ、それに胸だってありますし……」


 それは僕がこの世界で一番よく知っている。

 よーく知っている。


「なのに、上終かみはて先輩は全然知らんぷりで。よく胸を見ているので、好きなのかなって思って押し付けたりしても無反応で……」

「ウン、ボクハオッパイセイジンジャナイカラネー」

「…………」


 呆れられていた。いや、事実だし。


「なので、好かれてないって分かっちゃいました。そんな状況で告白しても無駄でしょうし、だったら、せめて……って」


 せめて。

 攻めてはいたと思うけど。

 それは間違っている。


「草壁はさ、恋する自分でいたかっただけだろ」

「……っ!」


 草壁はハッとした表情を浮かべた。

 自分でも分かってはいないけれど、言語化したら認識出来たという感じだ。


「恋愛脳ってわけじゃないけど、誰かを好きでいるのはきっと幸せだよな、アイドルとか二次元のキャラとか。その気持ちがずっと続くなら幸せだろうし、好きな人のことを考えれば、毎日が楽しくて、嫌なことも忘れられて。草壁はずっとそうしてたかっただけじゃないのか? 安全な場所から、安全な恋愛がしたかっただけじゃないのか?」


 まあ、実際。

 僕はテレビの向こう側の人間だったわけだし。ある意味、本当の意味でそういう対象だったとも言える。

 違いがあるとすれば、草壁にとって僕は、テレビの向こう側の人間じゃなかった––––ってことくらいか。

 良くある話だ。仲のいい恋愛関係にない男女が居て、今の関係が心地良くて、でも更に深い関係になりたいけど、相手に断られたらその関係さえも破綻しかねない。

 ジレンマ。

 その関係のまま、草壁は自身の欲求を満たそうとした。

 それはズルだ。


「……かもしれません。私は、そうやって逃げていただけです、前の学校の時も、上終かみはて先輩への想いからも」

「…………」


 僕はこれ以上、彼女にかける言葉を持ち得ない。

 優しい言葉をかける事は出来るけれど、それじゃダメだ。


「でももう……終わりです。上終かみはて先輩に知られてしまいましたし、そもそも私は好かれてなんて––––」

「お前にとって好かれているというのは、性的に見られることだけなのか?」


 草壁の判断基準は、全てソレだった。

 不自然なほどに。


「だってそうでしょう? 私は外見くらいしか取り柄がありませんもの」


 確かに、それは草壁にとって最も大きな武器だ。

 だかな、大きな武器だけで成り立つ戦いはないんだぜ。


「草壁、白状するとな、お前は可愛いと思うよ。とっても魅力的だ。その大きな胸をちょっと揉んでみたい––––って考えたのは一度や二度じゃないんだぜ?」

「なら––––」


 草壁の言葉を遮り、僕は話を続ける。


「好きと性欲を切り離して考えるのは、難しい。男性は無理と言ってもいいレベルにそれが出来ない。綺麗な人がいたら名前を知らなくても見惚みとれれちゃうし、おっぱいの大きな人が居たら、とりあえず揉んでみたいって思うどうしようもない生き物だ。だからこそ、自制する。僕はお前の事を、で見ないようにしていた」

「……私はでもいいです」


 私は上終かみはて先輩の性欲の対象でもいいです––––と草壁は言い切った。


「私に会いに来てくれるなら、それでもいいです」

「……はははっ」


 僕はもうバカバカしくなり、思わず笑ってしまった。

 本当はここから別の展開を考えていたのだけれど、やめだ。

 可哀想だからの次は、性欲の対象だと? バカにするな。

 僕はそういう思いで、そういう考えで、お前に会いに来ていたんじゃない。


「僕はな、お前と一緒にお洋服を見に行きたいって思ったことはあるんだぜ?」

「えっ……」


 キョトンとした表情を浮かべる草壁。

 僕の言った言葉の意味が、よく分かっていないらしい。

 なので、僕は続けて言う。


「お前はとてつもなくオシャレだしセンスがいい、話していて楽しいし、一緒に出かけたいと思った。つまり、一緒に遊びに行きたいとは思ったんだ。デートに行きたいとか、思ったんだ」


 それは紛れもない僕の本心だ。


「お前はバカだよ草壁。バカリンだ。お前は僕が、お前のことを哀れんで会いに来ていると思っていたようだけれど、それは違うぞ草壁。僕とお前の関係はもうそんな"代償"がどうとか、そういう話じゃないんだ。僕はそんなの関係なしに、お前と話すのが楽しいから会いに来てたんだ。可哀想だからとか、寂しそうだからとか、そんなのは関係ない! 僕はお前という人間に会いに来てたんだ! 会いに来て欲しいだ? お前が会いに来いよ! 好きな時にくればいい、迷惑じゃないし、大歓迎だ!」


 シンプルな話だ。

 草壁は外見も勿論魅力的なのだけれど、それと同様に、中身も魅力的だった––––そういう話だ。

 ノリとか会話のテンポとか。

 そういうのが僕と草壁はとても合う。

 それは僕にとっても、如宮きさみや苫小牧とまこまいにいじられストレスを溜める僕にとっても、いい気晴らしになっていたんだ。


「だからな、草壁。そんな悲しいことを言う必要はないし、会いに来る理由なんて要らない! あえて言うなら、話してると楽しいから、それでいいだろ!」


 僕は右手を何とか挙げて、頭を指差した。


「だから、僕に似合うニット帽を選びに行くのに付き合え‼︎ この、バカリンが‼︎」

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