010 『プリンと現代文』

 次の日、六月二十六日のおやつ時。

 僕は今日も懲りずに草壁のもとを訪れていた。

 以前、「毎日来ると迷惑か?」と訊いたことがあるのだけれど、その返答は「明日はクッキーを焼いておきますねっ」だった。

「大丈夫ですよ」とか、「迷惑じゃないです」と言った場合、僕に対して、謙遜けんそんや遠慮してそう言っている––––と思われてしまうことを考慮の発言だろう。

 本当に出来た子だ。如宮きさみやも日本語が上手だけれど、草壁は日本人独特の、会話の間合いの扱いが非常に上手い。

 苫小牧とまこまいみたいなストレートな物言いも嫌いじゃないけど、草壁の奥ゆかしい感情表現は好感が持てる。


「今日はプリンを作ってみたんですけれど、食べますか?」

「貰おうかな」


 白のレースブラウスに、ベージュのフレアスカートを合わせたフェミニンコーデの草壁から、プリンを貰い一口頬張る。「あーん」って感じで。胸とか当たってるけど気にしないぞ、僕は。というか、当てないと手が届かないため、草壁も仕方なく当てているのだろう。

 ……二重の意味で美味しいプリンだ。

 柔らかいし、美味しい。

 まあ、それはさておき。

 草壁はこんな感じに、結構な頻度で手作りのお菓子を作り振る舞ってくれる。見た目がいいだけじゃなく、家庭的とか––––最強だよな。

 うちの母さんみたいだ。


「昨日は苫小牧とまこまいの奴が悪かった。草壁に会いたいって言うから連れてきたんだけど、なんか、帰っちゃって」

「大丈夫ですよっ、私もちょっと会えただけで嬉しかったですし、サインまで頂いちゃって……」


 この世に存在しないはずのサインがいきなり二枚も生成されたのだから、貴重と言えば貴重なサインとも言える。


苫小牧とまこまいさん、とっても綺麗でしたよね」

「いや、顔は見えなかったろ?」


 フルフェイスだったし。

 しかし、草壁が言いたかったのは顔では無かったようで、


「スタイルとか、手足が長くてモデルさんみたいでした」

「ああ、そっちか。身長あるからな、アイツ」

「それに比べて私は––––」


 草壁は自身の太もものあたりをフニフニと揉み、


「ちっちゃいですし、足も短いし、なのに胸だけ大きくて……アンバランスです」

「着れる服とかも、限られてくる感じか?」

「あっ、そうなんですよ! 丈は丁度いいのに胸が入らなかったり、胸は入るのにツンツルテンになっちゃったり、中々合う服が無くて、大変なんですよっ」


 不満そうだけど、楽しそうに笑うという器用な表情を浮かべる草壁。


「草壁はオシャレだよな、今日の服も可愛いし、似合ってるよ」

「本当ですかっ?」

「お世辞を言うような男に思えるか?」

「ふふっ、ファッション誌とかネットとかで研究した成果が出ましたっ」


 僕に言わせれば、可愛い草壁がオシャレを研究するなんて、鬼に金棒、弁慶べんけい薙刀なぎなた、虎に翼だ。


「でも苫小牧とまこまいさんみたいなスタイルだったら––––ってやっぱり思っちゃいますね」

「アイツ、びっくりするぐらい腰の位置が高いんだよなぁ。昨日もな、お風呂で––––」

「お風呂?」


 草壁の眉がピクッと上がるのが見えた。


「お風呂でどうしたんですか?」

「あ、いや、その……」

「なんですか?」


 少しキツめの口調で問いただす草壁。

 ……まあ、事情が事情だし、変に誤魔化すのもアレか。

 僕は昨日、苫小牧とまこまいに背中を流してもらうことになった経緯を簡単に説明した(ちなみに母親の姿の如宮きさみやに洗ってもらってるのも説明済みだ)。


「なるほど、それなら、まあ……仕方ないですね」

「僕は別にいいって言ったんだけどな」


 でも実際、有難いのは間違いない。


苫小牧とまこまいも練習があって大変なのにさ、そういうところなんかキチッとしてるって言うか、何というか」

「でも、それだけ感謝しているってことなんじゃないんですか?」

「別にいいのにな」

「私だって––––」

「うん?」


 草壁は何か言いかけて口を閉じる。


「なんだ?」

「あ、えーと、そうだっ、このブラウス新しいやつなんですよっ、どうですか?」


 なんだか露骨に話を逸らされた気もするが、特に追求せずに合わせる。


「いいと思うよ、涼しげだし、白って色もいい」

「やっぱりっ、上終かみはて先輩は白が好きなんですねっ」

「どうだろ、自分じゃ着ないから分からないけど、草壁には似合ってると思うよ」

「もうっ、褒めてもプリンしか出ませんよっ」


 にっこりと嬉しそうに微笑む草壁。

 草壁は笑った顔が本当に可愛い。

 可愛い子が多くなってきた現代だけれど、可愛いの一点突破が出来るような子は中々居ないと思う。

 モデルさんや、芸能人や、最近では女性YouTuberの人なんかは、みんな可愛いと個人的には思っている。

 当たり前のように可愛いし、それが最低条件と言わんばかりの可愛いの押し売りだ。

 英語が出来て可愛い人、スポーツ万能で可愛い人、料理上手で可愛い人––––とかとかとか。今あげた要素全てを持っていつつ可愛いという、ハイスペックな人も当然いる。

 まさに、可愛いのバーゲンセールだ。安売りはしてないけど。

 その中で、『可愛い』という一つの武器だけで頂点に君臨出来そうなのが、草壁凛子だ。

 それほどまでに草壁は可愛い。

 顔が可愛いというだけでなく、行動、中身、仕草、それにちょっとした表情の作り方でさえ、可愛さを感じてしまう存在だ。

 みんなに愛される存在だ。

 なのに、そうはなっていない。

 本当に冗談みたいな皮肉だ。

 神様が草壁のパラメータを間違えたから、その帳尻を合わせるために意地悪しているとしか思えない。


「草壁はさ、やっぱり出かけたりとかしたいか?」

「……うーん、最初はそうでしたね。なんで私だけ……って思わなかったわけじゃありませんよ」

「なら––––」

「でも––––」


 草壁は僕の言葉を途中で遮り、こちらを真っ直ぐに見つめながら言う。


上終かみはて先輩が居ますからっ、毎日楽しいですっ」


 そう言って、にっこりと笑った。

 裏表のない、草壁スマイル。

 そういえば、最近はよく笑うようになったな。


上終かみはて先輩が来てくれるだけで––––私、幸せなんですからっ」

「そんな事を言われたら、勘違いしちゃうからやめてくれ」

「……してもいいですよ?」

「へっ?」

「だから、勘違い……しちゃってもいいですよ?」


 それはえっと、どういうことだ?

 待て、落ち着け、上終かみはて和音。現代文は得意科目だったろ、落ち着いて考えろ。

 前後の文章から、この時の草壁の気持ちを考えろ。

 ……うん、僕の勘違いじゃなければ、これは草壁に惚れられてるな。

 こういう時に恥ずかしい勘違いをしちゃう可能性があるという事前情報を計算に入れても、高確率で好かれているな。

 草壁に好かれている。

 ……そのことを考えると、急に身体が暑くなるのを感じた。

 僕はそれを誤魔化すように、コーヒーを一気に飲み干す。

 ズズズっとね。


「あ、おかわりはどうしますか?」

「……じゃあ、貰おうかな」

「マシマシマキシマムですか?」

「じゃあ、それで」


 草壁は「了解ですっ」と微笑み、パタパタとキッチンへと向かって行った。

 良かった、話が一旦途切れた。

 このまま行ってしまうと、軽率な行動をとってしまう可能性が大いにあったからな。

 ……いや、ないな。うん、ないない。それはない。

 昨日も苫小牧とまこまいに言われたが、腕折れてるし。骨折してるし。

 精神的には知らないが、物理的には無理だ。

 安静にしてないとダメって言われてるしね。

 だけど、好かれているなとか、懐かれているなとは前々から思っていたけれど、そういう感情だとは思ってなかった。

 恋愛的な感情だとは考えてなかった。

 もちろん、それは勘違いで、僕が一人だけ浮かれている可能性も完全に消え去ったわけではないけれど。

 ただ、やっぱり気になることがあった。

 草壁が僕のことをどう思っているかはこの際置いておく。それは後だ。

 思考を切り替えろ。

 草壁はと言っていたけど、ずっとこのままというわけにもいくまい。

 それは現状に無理矢理満足して、妥協した答えなんじゃないだろうか?

 確証はないけど。

 人の心なんてものは永遠に分からない。憶測を立てたり、察するしかない。

 ただ、もしもそうだというのなら、僕の答えは決まっている。


 なんとかしてやりたい。


 この半年間、ずっと考えてきた。

 色々考えてきた。

 色々な人に相談もしたし、話し合いもした。

 全て無駄だった。

 でも、諦めなければそれは過程に過ぎない。

 僕は諦めない。


「お待たせしました、お砂糖ミルクマシマシマキシマムですっ」

「ありがと」


 テーブルの上に置かれたコーヒーは、なんだかいつもと違う雰囲気を感じた。

 不思議に思い見ていると、


「さっきと違う豆を使ってみたんです、お口に合うといいんですけど……」

「ああ、そういうことか」


 よくよく考えると、ミルクがたっぷりと入ったコーヒーで、豆が違うとはいえその違いが分かるほど僕はコーヒーに成熟してるわけでもない。

 ただ、ちょっと違和感を感じただけだ。


 僕はいつも通り、ストローに口を付けてコーヒーを飲む。

 ズズズっと。

 草壁は僕がコーヒーを飲むのをジッと見ていた。


「なんだ?」

「あ、いえ、味はどうですか?」

「うーん、申し訳ないけど、豆が変わっても僕の舌だとちょっと………………ふぁあ」


 途端に目がトロンとし始めた。昨日、寝る前に草壁の件を考えてたからかもな。夜更かしし過ぎた。


「どうしたんですか、上終かみはて先輩?」

「……すまん、ちょっと眠くて……寝不足かも」

「あ、でしたら少し横になってもいいですよ、ソファですし、今、何かかける物を持っ––––」


 ここで、僕の意識は途切れた。

 眠り行く目蓋まぶたの隙間で、草壁が微笑んだような気がした––––

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