007 『上終わぉーん』

 次の日、日付にして六月二十五日の午後。

 僕は、スケートリンクで練習をしていた苫小牧とまこまいを迎えに来ていた。


「よっ」

「あら、昨日ぶりね」

「これから草壁のとこ行くけど、行く?」

「行くわ」


 というわけで、昨日話した通り、今日は苫小牧とまこまいも一緒に草壁の元を訪れることになった。

 草壁もきっと喜ぶぞ。

 僕達は一度、如宮きさみやに会ってからガスマスクを貸してもらい、苫小牧とまこまい如宮きさみやは二言三言言葉を交わし(内容は聞こえなかった)、こちらをチラッと見てから如宮きさみやはどこからか猫耳を取り出し僕に装着した。


「おい」


 現在、僕の両腕は動かない。

 ので。

 猫耳を取ることが出来ない。


「おい、なんだこれは、なんのつもりだ」

上終かみはてくん、そこは『おい、にゃんだこれは、にゃんのつもりだにゃ』でしょ」


 苫小牧とまこまいからダメ出しをされた。でも苫小牧とまこまいのにゃん語はポイント高い。とても可愛かった。

 だけど、それとこれとは話が別だ。

 僕は眉間にシワを寄せ、最大限の怒りを表明し、誠に遺憾の意を示したが、無駄だった。

 如宮きさみやは僕の母親の姿で上品に笑い(ムカつくくらいそっくりな笑い方だ)、いつの間かガスマスクを装着した苫小牧とまこまいの顔も、マスクの下は笑っているに違いない。

 全く。おもちゃじゃねーぞ、こら。怪我人をおもちゃにするとか、最低だぞ、こら。

 寝ている人に悪戯をする感覚で怪我人をもてあそぶなよな。

 ……まあ、これで草壁も笑ってくれるなら、道化にでもなるさ。

 

 今でも、涙くらいならすぐに出せる。僕は子役のことを涙早出し選手権だと思ってたくらいだからな。

 閑話休題かんわきゅうだい

 僕たちは如宮きさみやの部屋を後にし、草壁の部屋へ向かう。

 そして、僕は口呼吸に切り替える。


「一応、お前が来ることは言っておいたから」

「そう」


 味気ない返答。まあ、普段の苫小牧とまこまいはこんなもんだったな。

 僕はインターホンを押し、草壁が出るのを待つ。


「あ、上終かみはて先輩……それ、猫耳ですか? とってもお似合いですっ」


 インターホンのカメラを通して、草壁がクスクスと笑うのが目に浮かんだ。


如宮きさみやにつけられたんだ」

如宮きさみやさんは、悪戯にゃんこさんですねっ」


 悪戯にゃんこさんなんて可愛いものじゃない。あれは、悪魔だ。


「ふふっ、今開けますね」


 もう一度ほわんとした笑い声が聞こえ、数秒後、扉のロックが解除され、扉が開く。


「よっ」

「こんにちはっ、上終かみはて先輩っ」


 ふわふわとしたワタアメみたいなツインテールに(トイプードルみたいだ)、白いオフショルのブラウスに(肩が全見えだ……あと胸も)、黒のプリッツスカートを合わせた草壁が出迎えてくれた。

 これからデートですか? ってくらいお洒落な格好である。

 僕はマスクガールこと、苫小牧とまこまいを見て、


「この常時しかめっ面なのが、苫小牧とまこまい真彩、銀盤の女王だ」

「マスクをしているのだから、しかめっ面なのかどうかは分からないじゃない」


 確かに。分からない。

 如宮きさみやのガスマスク、フルフェイスなんだよな(宇宙人みたいな面相のやつ)。

 草壁は苫小牧とまこまいのガスマスク姿を見て、表情を変えはしなかったが、唇の端がほんの少しだけ、動いた。

 嫌––––ではないけど、思うところはある。みたいな感じだと思う。

 僕は、草壁と会う時にはガスマスクなんてものは付けないようにしている。

 だって草壁の気持ちになってみれば、自分に会いに来る人が、みなガスマスクを付けていたとしたら、それは分かっていても、自分が臭いからと分かっていたとしても、ショックなはずだから。

 自分はガスマスクを付けて、接するような存在だと、改めて認識するのは辛いはずだ。

 なのでせめて。

 僕はそんなものは付けないと決めた。


「あ、えと、草壁凛子です。オリンピック出場、おめでとうございますっ」

「……こんにちは」


 いや、そこは「ありがとう」じゃないの、苫小牧とまこまいさん。追求はしないけどさ。


「……とりあえず上がるか」

「あ、どうぞっ」


 苫小牧とまこまいを先に上げてから、僕は前回同様に、モゾモゾと靴を脱ぎ、後ろ向きに上がる。腕が使えないってのは本当に不便だ。僕の超能力がテレキネスとかだったら楽だったのにな。

 こう、食事の時とか箸とかをさ、ヒューンて浮かべて––––いや、それだったらご飯を宇宙で食事するように浮かせて––––

 なんて考えていると、草壁の困った表情が飛び込んできた。


「どうした?」

「あ、えと、その……スリッパが上終かみはて先輩のしかないので……」


 ああ、そうか。ここに来るのは僕しかいないので、来客用のスリッパは僕のしか存在しないのだ。

 だけど、苫小牧とまこまいは問題が無いようだった。


「私は大丈夫よ」


 そう言って苫小牧とまこまいは、平然と人の家の廊下を勝手に突き進む。人の家に来たら、案内されるまで勝手にウロチョロするなっての。


「すまん、草壁……アイツはなんて言うか、常識知らずな女王様なんだ……」


 代わりに僕が謝るハメになっていた。親か! 僕はアイツの親か! 保護者じゃねーぞこら!


「大丈夫ですよ、さ、上終かみはて先輩もどうぞっ」

「ああ……」


 草壁に促され、リビングへと向かう。だが、苫小牧とまこまいは居なかった。


「あれ?」


 あたりをキョロキョロと見渡す。いない。

 なんでアイツ人のうちで隠れんぼ始めちゃうの? 確かにここのトイレは鏡の後ろにあるから(ちなみに僕の所は絵画の裏にある)、その気持ちは分からなくはないけどさ。

 苫小牧とまこまいの姿を探して数秒後、苫小牧とまこまいは僕の後ろから普通に現れた。


「何をキョロキョロしてるの?」

「あ、お前! どこに言ってたんだよ」

「別の部屋に行っちゃってたのよ」

「人の家に来て勝手に他の部屋に入るな」


 迷っていただけだった。

 まあ、このマンションの間取りは全部屋違うからな。迷う理由も分からなくはないが、それは自業自得だ。

 というか、勝手にウロチョロするな。

 草壁は気にしてない様子だけれど、そういう所、苫小牧とまこまいは改善していかないとダメだな。


「私はお茶を入れてきますので、お二人は座っていてください」

「私、カフェインの入っているものは飲まないの」


 どこかで見たことのあるやり取りだ。


「では、オレンジジュースはどうでしょうか?」


 この提案も苫小牧とまこまいは断ると思ったのだけれど、苫小牧とまこまいの回答は「いいわよ」だった。

 草壁がパタパタとキッチンに向かうのを見てから、苫小牧とまこまいに話しかける。


「いいのか? 砂糖とか入ってるんじゃないのか?」

「オレンジジュースってね、ミネラルやビタミンがたっぷりで疲労回復に効くのよ」

「へぇ」


 苫小牧とまこまいと話していると、なんか健康に詳しくなる。

 僕も昔はサッカーをしていたので、その辺は割と詳しかったのだけれど、素人とプロはやっぱり違うなと改めさせられる。

 僕はここまで徹底していなかったからな。


 数分後、草壁は何も持たずに戻ってきた。

 またもや困り顔で。


「今度はどうしたんだ?」

「その、コップが二つしかなくて……」


 ああ、そりゃそうだ。あるわけがない。ここに来るのは僕しか居ないので、コップは当然、僕と草壁の使うやつしかない。


苫小牧とまこまいさん、普段私が使っているコップでも構いませんか?」


 苫小牧とまこまいは少し考えてから、


「なら、私はいいわ。よく考えたら、これじゃあ飲めないし」 


 ガスマスクをトントンと叩いた。

 そうだ、苫小牧とまこまいはガスマスクを付けているんだった。でもそのガスマスク高いやつだから、一応ストローで飲み物飲める穴あるんだけどな。話がややこしくなりそうなので、言わないけど。

 草壁が再びキッチンに戻ったのを見計らって、苫小牧とまこまいは小声で耳打ちしてきた。


「思っ……より、……いわね」

「は? なんて?」


 ガスマスクを付けての小声はちょっと聞き取り辛かった。


「だから、思ってたより小さいわねって言ったのよ」

「いや、大きいだろ」


 僕がそう言うと苫小牧とまこまいはジト目でこちらを見る。


「なんだよ」

「私は胸じゃなくて、身長のことを言ったのだけれど」

「……いや、主語を抜かしたお前が悪い」


 なんでこんな誘導尋問みたいなことされてるんだ?

 そんなに僕のことを巨乳好きのおっぱい星人にしたいのか?

 ……これ以上追求されるのも嫌だし、話変えちゃお。


「それより、臭いはどうだ?」

「大丈夫よ、新鮮な空気を吸ってるわ」


 たっかいガスマスクしてるしね、当然か。


「植物が沢山あって、空気が美味しいわ」

「いや、お前ガスマスクしてるんだから、それは関係ないと思うぞ」

「じゃあ、私帰るから」

「はあ⁉︎」


 おいおいおいおい。

 どうして今の会話の流れで帰る流れになる?

 まさか、アレか? 僕がおっぱい星人の疑惑があるからなのか?


「知りたいことは分かったし」


 苫小牧とまこまいは先日、気になる––––と言っていた。

 まさか、こいつ、草壁の胸の大きさを見にきただけか⁉︎

 はあ⁉︎

 他のクラスのから僕を見にくる女子かよ!

 あれが、上終かみおわくんでしょ––––ってヒソヒソ話めっちゃ聞こえて、不機嫌になるやつかよ! 髪の毛切るたびに、見にくるやつかよ!

 懐かしい話しちゃったよ、おい!

 苫小牧とまこまいは草壁を待たずに、「じゃ」と言って、サイン色紙をテーブルに置いてから、本当に帰ってしまった。

 マジかよ……。


「あれ、苫小牧とまこまいさんは……?」


 お盆にお揃いのコップを二つ乗せた草壁は、苫小牧とまこまいの姿を探してキョロキョロと辺りを見渡した。


「あいつは、えーと……なんか、急用が出来たから帰るって……。あ、これ––––」


 僕は苫小牧とまこまいが置いて行ったサイン色紙に視線を向けた。


「急に帰ってごめんなさい––––だってさ」


 なーんで、僕はあいつの為に言い訳なんかしなきゃいけないわけ?

 我儘なご主人様に仕える忠犬になった気分だ。

 和音わぉーんとね。

 それはともかく。

 動物繋がりで思い出した。

 僕は草壁に、頼まなきゃいけないことがある。


「草壁」

「なんでしょう?」

「この猫耳取ってくれ」

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