002 『猫被りにゃお嬢様』

上終かみはてくんは、今日も草壁さんの所に行くつもりですの?」


 六月二十四日。梅雨入りまっただ中。

 雨がザーザー降るこの季節に、ですわ口調で憂鬱ゆううつな気持ちを吹っ飛ばしたのは、僕の母親の姿をした如宮きさみやである。まあ、憂鬱な気持ちは吹っ飛んだが、それは面食らったという意味でだ。

 今日の如宮きさみやは、にゃん語ではなく、ですわの気分らしい。だが、はっきり言って僕の母親の姿をするのはやめて欲しいし、その姿でですわ口調はもっとやめて欲しい。

 母さんはどちらかと言うと、『この愛を〜、この夢を〜、今〜』みたいな感じで、急にミュージカルを始めちゃうタイプだ。しかも現役時代は、無重力のダンスと称されたステップ付きで。

 それも止めて欲しいけど。


「行くなって言うのか?」

「別にそんなことは言っていませんわ」

「…………」


 なんだろう、僕の母さんが妙に気品溢れる感じになっている。おかげで会話の内容が頭に入ってこない。まあ、母さんはお嬢様だったらしいし、強ちお嬢様言葉を使うのは間違っていないのだが––––やっぱり、止めて欲しい。

 特に服装が制服なのはまじで止めて欲しい。誰が好き好んで母親の制服姿を見なきゃいけないんだ。


「先程から上終かみはてくんは、わたくしに熱い視線を注いでいますが、わたくしと上終かみはてくんは親子ですのよ? そういうのはわたくし、困りますわ」

「いや、お前は如宮きさみやだし、僕は自分の母親のことをそういう気持の悪い目で見た覚えもない」


 変な目で見ているのを、曲解きょっかいされた。


「とにかく、今日も僕は草壁の所に行くよ」

「わっくんも男の子ですものね」

「その愛称を使うのはまじでやめろ」


 それは母さんが僕を呼ぶ時の呼び名だ。もう僕も選挙権がある年齢なんだし、普通に呼んで欲しいと思っている。


「ですが、草壁さんはとても可愛らしい方ですので、上終かみはてくんが毎日会いたくなってしまう気持ちも分かりますわ」


 言って。如宮きさみやは姿を変えた。

 草壁凛子になった。

 中学生と見間違ってしまうような童顔が、こちらを真っ直ぐと見据え、微笑んでいる。

 向日葵ひまわりがぱぁっと咲いたように、にぱっと笑う草壁スマイルだ。

 ハッキリ言って、ちょー癒される。

 草壁の超能力は、自身の周囲にマイナスイオンが発生するという文字通りの癒し系だしね。

 これはもう、三週間ほど前に骨折した両腕の痛みが飛んで行ったね。痛いの痛いの飛んで行ったね。

 ていうか、治ったね、たった今。

 冗談はさておき。


「可愛い、可愛くないは別にしてもほっとけないよ」


 草壁はずっと隔離されている。臭いから。

 草壁は超能力の"代償"は、身体から悪臭がすることだ。草壁は超能力の制御が出来ず、それが常時発動してしまっている状態にある。

 マイナスイオンを発生し続けている代わりに、周囲に悪臭を放ってしまっている。自身の超能力を、自身の"代償"で打ち消してしまっている。

 常に鼻がもげるような悪臭がするので、学校に通うことも出来ず、買い物に行くことも出来ない。

 一人寂しく、隔離され、一人ぼっちで毎日を過ごしている。

 ––––そんなの、ほっとけるかよ。

 みんな見たことがないんだ。寂しそうに笑うあいつの顔を。


「草壁さんはこの学校設立時から居ますので、もう一年はあの状態ですわね」

「一応、年下でも先輩なんだよな」


 高校二年生、十六歳。遊び盛りだ。

 僕は腕を骨折しているので、どこにも行けないし、行くつもりもないのだが––––草壁は、行けるなら行きたいだろう。

 それが当然で、当たり前だ。

 苫小牧とまこまいみたいに、練習しか考えてない方が異常なのだ。

 ……あれ、如宮きさみやはどうなんだろう?

 如宮きさみやも一応高校生だし、僕と同い年だし。


「なあ、如宮きさみや

「何ですの?」

如宮きさみやはどこかに遊びに行ったりしないのか?」

「両腕を骨折した誰がさんが居ますのに、どこかに行けると思いますの?」

「……すいませんでした、とても助かってます」


 腕を骨折、しかも両腕を同時というのは、生活面で大きく問題がある状態となっていた。

 食事は一人では取れないし、お風呂なんてもっと無理だし、着替えもかなり際どい。

 なので、僕は如宮きさみやの世話になっていた。猫の手を借りていた(今は猫じゃないけど)。それに伴い、僕は再び如宮きさみやの部屋で寝起きをしている。

 如宮きさみやが頻繁に僕の母親の姿になるのも、もしかしたら変な気を使わせないための心遣いなのかもしないな。

 ついでに苫小牧とまこまいは、部屋の準備が出来た為、そちらに移った––––と言っても、如宮きさみやの部屋の隣なので(ちなみに僕が右隣で、苫小牧とまこまいが左隣だ)、あんまり引越したという感じはない。ご飯とか一緒だし。


「それで怪我の具合はどうですの?」

「問題ないよ、痛みも無いし、順調だ」


 折れた部位は、左は前腕と指先で、右は手首だけだ。なので、右手の指先だけは辛うじて動く。食事はちょっとキツいが、スマホの操作くらいなら結構出来る。

 って、話が脱線している。


「僕の怪我の話はいいから、草壁の話だ」

「最初に話を変えたのは上終かみはてくんですわよ」


 そう言えばそうだった。まあ、それはさておき。


「草壁の件、如宮きさみやはどう思う?」

「経過次第––––としか言えませんわ」


 経過次第。超能力の制御には個人差がある。完璧に使いこなせる方が珍しい。

 苫小牧とまこまいも、先日、制御を誤り危うく事故を起こすところだった。なんとか未遂にはなったものの、僕が居なかったらどうなっていたかは分からない。

 超能力の制御は難しいものであり、危険なものだ。


「逆に、上終かみはてくんはどう思っていますの?」


 僕は草壁になっている如宮きさみやを見る。見つめる。

 ジーと。穴が空くほど。熱視線を送る。


「正直、タイプだ」

「わたくしはそういうことを訊いたのではありませんわ」


 僕は「冗談だ」と笑いながら、草壁のことを考える。

 この学校に来て、一年間も閉じ込めだ。それにここに来る前から草壁は、引きこもっていた。

 臭いというのは、どんなに外見に優れていたとしても嫌悪感を抱く部分であり、それはイジメとなって発散された。

 草壁凛子くさかべりんこ

『草』という文字と、『臭』という文字が同じ読み方をすると言えば、草壁が前の学校でどんなあだ名で呼ばれていたかなんて、言うまでもないだろう。

 くさりんだとか、サリンだとか。

 臭いテロという言葉がある通り、悪い表現だとは思うが、『サリン』というのはそういう意味で最悪だった。

 最低で最悪だ。

 だから。

 だから、せめて。

 僕だけは側に居てやろうと思う。

 絶対に近くに居てやろうと思う。

 図々しいくらい居座ってやる。

 臭かろうが、臭おうが関係ない。

 僕にはそんなのは関係ない。

 何故かって?

 そんなのは簡単だ。


 口呼吸すればいいじゃん。

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