007 『重いジャンプの"代償"』

 如宮きさみやの料理は苫小牧とまこまいも気に入ったようで、如宮きさみやは晴れて苫小牧とまこまいの専属シェフに就任した。

 脂身の少ないチキンを使ったサラダや、青魚を中心にしたヘルシーメニューには(青魚は亜鉛たっぷりだ)、流石の銀盤の女王も舌鼓したずつみを打っていた。

 それに妙に気もあったようで、苫小牧とまこまい如宮きさみやの会話は弾んでいた。


上終かみはてくんは、マザコンなんだにゃ」

「違うぞ」

「脱いだ服は脱ぎっぱにゃしにゃ」

「それはマザコンね」

「だから、違うぞ」

「服とかも、母親に買ってきてもらっていたにゃ」

「それはマザコンね」

「違う、いっぱい買ってくるからしょうがなく着ていただけだ」

「それからこの年まで母親と一緒にお風呂に入ってたんだにゃ」

「それはマザコンね」

「違う、勝手に入って来てたんだよ」


 という感じだった。

 僕が一方的にマザコン認定され、ひたすら二人にいじられる感じだった。

 思い返してみると、苫小牧とまこまいはマザコンとしか言ってない気もしたが、まあいいだろう。

 僕はマザコンじゃないし。事実無根だし。

 ただ、僕は生活面で大きく如宮きさみやの世話になっている。世話を焼かれている。

 食事とか、料理とか、洗濯とかとかとか。勝手にやられている。

 如宮きさみやが僕の世話を焼くのは、僕が母親に甘え切っていたため、まるで生活能力がない––––と、勝手に勘違いをしているからだ(一緒に住んでたのもそれが理由だ)。

 今でもその世話焼きは継続中なようで、毎日部屋の掃除に来るわ、洗濯物を洗ってやるから持って来いだ、余計なお世話だ。

 この際だからハッキリ言うが、どこに物が置いてあるか分かるのだから、部屋は片付ける必要はないし、洗濯物だって、別に毎日洗う必要は無いと思う。肌着とかなら裏返して着れば、もう一日いけるし。

 と言ったら、如宮きさみや苫小牧とまこまいから白い目で見られた。

 ふん、価値観の合わない奴らだ。

 まあでも、如宮きさみやの料理は美味しい。それは認める。

 母さんの次くらいに美味しいかな。


 そして、一週間後。日付にして五月二十八日。

 正式に苫小牧とまこまい真彩が、栢山かやま学園に編入してきた。

 部屋の空きの都合上、苫小牧とまこまい如宮きさみやとしばらく同室になることになったが、苫小牧とまこまいは特に文句は無いそうだった。


「で、今日も、来た、わけ?」


 ジャンプをしながら––––縄跳びで二重飛びをしながら、苫小牧とまこまいはこちらにしかめっ面を向けてきた。

 転校初日から授業をサボり(僕もだけど)、トレーニング中の苫小牧とまこまいの様子を見に来たら、ヒュンヒュンと風を切る音が聞こえ––––今に至る。

 場所はスケートリンクではなく、マンションの下にあるジムだ。

 スケートリンクで滑るだけがトレーニングではない。地味な作業こそトレーニングの本質と言える。必要な箇所に必要なだけ負荷をかけ、維持する。

 それも大事なことだ。

 ジムには、時間が授業中なこともあり、僕達しか居ない。まあ、元々ここのジムを使う人なんて殆ど居ないので、これはあまり関係なさそうだ。

 僕は、苫小牧とまこまいが縄跳びを置いたタイミングで、タオルを手渡した。


「あら、ありがとう」

「縄跳びって、ちょっと意外だった」


 ジムでトレーニングをすると言っていたので、マシンを使っていると思ったのだけれど、縄跳びという庶民的なトレーニングは意表を突かれた。


「縄跳びは全身運動だし、持久力も付くのよ」

「へぇ」


 ちょっとしたトリビアを披露された。意外と健康にいい縄跳び。侮れない。


「あなた、授業は受けなくて平気なのかしら?」

「まあ、大丈夫だ」


 これは本当に大丈夫。僕は授業なんて受けなくても大丈夫。


「お前が心配になってな」

「あなたに心配されるようなことなんてないわ」

「"代償"のことだ」


 先日は転入の話でうやむやになってしまったけれど、超能力者にとっては一番大事な話と言っていい。

 下手したら命に関わる、命の話なのだから。


「でも、何かが減っているという感じはないわ。体調も問題ないし、髪もフサフサだし」

「髪の毛の話はいい」


 というか、僕の頭皮を見ながら言うな。嫌味なやつだな。


「今からいくつかの"代償"の例を出すから、何か思い当たったら言ってくれ」

「分かったわ」


 僕は知っている超能力者達の"代償"の話を、苫小牧とまこまいにしてやった。

 だが、苫小牧とまこまいは思い当たるものが無いようで、


「多分、どれも違うと思うわ」

「ふぅむ、難しいな」


 案外、気付かないというのも良くあることだ。僕も、言われるまで気付かなかったくらいだし。

 僕は苫小牧とまこまい真彩の全身を改めて見る––––やはり、細い。


「体重とかはどうだ?」

「毎日計っているけど、劇的な変化は無いわ。大会中とかなら、一気に減ることもあるけど」

「そうなのか?」

「ええ、ものすごくカロリーを消費するから、三、四キロは痩せることもあるわ」


 それはなんとなく、想像が付く。

 サッカーの試合も、試合後はそのくらい痩せるって言うし。

 ただ、能力を使って飛んでも、こうやって普通に練習が出来て、普通に生活が出来ているのだから、命に関わるものでは無さそうだ。

 そこは一安心だ。

 如宮きさみやのように、軽いものの可能性もある。


「鼻毛とかはどうだ? 案外気付かないし、伸びるのも結構早いんだぜ」

「体毛は、髪の毛と眉毛以外永久脱毛してるから、それは無いわ」


 意外と見た目を気にする女王様だった。

 当然と言えば、当然か。フィギュアの衣装は露出が多いし、苫小牧とまこまいの性格上、毎回処理するのは面倒だと考えたに違いない。


「母親に連れて行ってもらったの」


 ポツリ––––と、思い出したように苫小牧とまこまいは言う。


「あなたは必要無さそうだけれど」


 嫌味を言うのも忘れずに。


「うーん、難しいな」

「別に何かに困っているわけじゃないんだし、ほっといていいわよ。如宮きさみやさんとデートでもしてらっしゃい」

「だから違う」

「そこまで親しくはないのかしら?」

「仲がいいのは否定しないが、そういう間柄じゃない」

「まあ、呼び方も苗字だしね」

「……それは別に理由がある」


 僕は如宮きさみやと、それなりに仲がいい。多分、僕の十八年という人生の中で、仲が良い人ベスト3に間違いなく入る。そういう間柄は、名前で呼び合うとか、愛称で呼び合うのが普通なんじゃないかなとは思う。

 だけど、僕は如宮きさみやのことを、『美咲』ではなく、『如宮きさみや』と呼ぶ。

 その理由は、


「僕の母親の名前が『美咲』なんだ」


 自分の母親の名前を呼ぶと言うのは、いくら他人であったとしても思うところがある。

 気恥ずかしいのだ。

 しかも如宮きさみやは、僕をからかうために、わざわざ僕の母親の姿になったりする。

 ついうっかり『美咲』と呼んだ時に、母親の姿になられてみろ。

 君は母親のことを名前にゃまえで呼ぶにゃんて、本当にマザコンだにゃ––––って、言われるに決まってる。


「それで、下の名前で呼ぶのを躊躇ためらっているというの?」

「ああ、そもそも別に如宮きさみやでいいし」


 如宮きさみやは、如宮きさみやであり、如宮きさみやでしかない。

 この話をこれ以上したくないので、僕は話題を変えてしまうことにした。

 というより、脱線した話を元の軌道に戻す。


「そんなことより、お前の"代償"の話だ」

「だから、問題ないって言ってるでしょ」

「ダメだ、そこがハッキリしない限りもしものことが無いとは言えないからな」


 苫小牧とまこまいはそう言うと、渋々ながらもう一度考えだした。

 なので、僕も思考を巡らせる。うーん。分からない。

 とりあえず、超能力使用時の状況を訊こう。


「能力を使うのは、練習中とか、大会中だけだよな?」

「ええ、日常的に浮いて遊ぶ趣味は無いわ」

「なるほど、浮いて遊ぶと書いて浮遊か」

「別に冗談を言ったつもりではないのだけれど……」

「問題、浮いたお金で遊ぶのは?」

「富裕層」


 冗談みたいなやり取りだった。

 苫小牧とまこまい真彩。意外とノリはいいらしい。


「練習中とか、大会中に、体調が悪くなったりとか、そういうのもないか?」

「ないわね。練習中に足をくじいたりとか、転んで少し痛めたりとかならあるけど、スポーツをしていればみんなあることだと思うし、これは日常的にもあり得ることでしょ?」

「そうだな、頻度が多いならともかく、毎回じゃないなら、違うな」


 "代償"は超能力を発動するたび、もしくは発動中の間は、継続して支払う必要がある。

 僕は超能力を使うたびに髪が減るし、継続型は、姿を変えている間は、通常語を話せない如宮きさみやのやつが分かりやすいだろう。

 なので、苫小牧とまこまいも飛ぶたびに、もしくは飛んでいる間に、何かを支払っているはずだ。

 それが分からない。苫小牧とまこまいが言うには思い当たるものは無いと言うし、僕が先日見たジャンプの時も、何もなかった。


 ふと、気になることを思いついた。"代償"とはまったく関係なく、訊くのも失礼な話になるし、人によっては不快感を表すような質問なのだけれど、意外とさっぱりしている苫小牧とまこまいなら教えてくれると思った。

 単なる興味本位、好奇心。アスリートに対する好奇心。


「なあ、大会中とかに生理になったらどうするんだ?」


 全国の女子が聞いたら卒倒しそうなくらい、失礼で無礼な質問をしてしまった。

 下手したらぶたれるかもしれないし、毛嫌いされる可能性さえある。

 たけど、苫小牧とまこまいの反応はそのどれでもなかった。


「ねぇ、生理って何なのかしら?」

「え、いや……女の子の日とか、あの日とか」

「そんな抽象的に言われても分からないわ」


 そうか、こいつ友達いないからそういう話をすることないのか。


「保健体育とかでやっただろ? 子供を作るのに必要とかって」


 だが、苫小牧とまこまいは話の内容がさっぱり分からないようで、いつも通り顔をしかめた。


「私、小学生の頃から練習ばかりだったから、授業とかあまり出てないのよ」

「いや、でも……」


 ––––おかしい。だって、女性なら生理は来るはずだ。

 男の子がおっぱいに興味を持つように、身体の機能として、大人になったら来るはずだ。

 知らないはずは無いはずだ。

 実際、苫小牧とまこまいは現在十六歳であり、身体的には来ていてもいいはずだ。


「……なあ、本当にないのか?」

「だから、何がよ?」


 ……まさか、苫小牧とまこまい真彩は今まで一度も無いのか?

 一度も生理が来たことが無いのか?

 だから、知らないとでも言うのか?

 僕はこういう話にそれほど詳しくはないのだけれど––––個人差があるのは知っている。遅い人もいるというのは知っている。

 ––––だけど、おそらく。

 苫小牧とまこまいの場合は、ケースが違う。

 

 ––––ああ、こいつは重い話だ。

 苫小牧とまこまい真彩が飛ぶための"代償"。

 あの四回転半を飛ぶための"代償"。


 それは、女を捨てることだ。

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