ANAL4649便失踪事件 その真相

安川某

ANAL4649便失踪事件


 その飛行機は成田空港を離陸してから三時間後、トラブルに見舞われた。


 このトラブルに対応するため、やむなく客室乗務員は、乗客の中から”ある技能”を持つ人物を探した。


「お客様の中に……! お客様の中に大食いチャンピオンはいらっしゃいませんか!?」


 機内に突如として現れた牛丼4トン。


 高度8000メートルを飛ぶこの機内でそんなものが現れれば、最新鋭のジェット旅客機であってもフライトの安全に支障をきたさざるを得ない。


 機長及び航空会社(ANAL)のスタッフたちは懸命に牛丼に対応していたが、もはやそれも限界が見えていたのだ。


機長は牛丼をかきこみながらこう言った。


「……このままハフっ! 牛丼を抱えたままハフっ! 高度を下げ続ければ機体は海面に落下。それまでに食さねばハフっ……」


 食さなければ。死ぬ。


 このANAL4649便で、思わず尻が痛くなるような死のゲームが幕を切ったのだ。


 客室乗務員(人妻)の呼びかけに応え立ち上がったのは4人の男女だった。


「俺に任せな」


 呉田銀次郎。別名”ヴィーガンの銀”。


「……こりゃ、厄介事に巻き込まれちまったようで」


 カレーライスなら任せろ。インド人風の米村敏朗。


「ふええええ、一体どうしたんですうううう?」


 大食い系Vtuberの中の人、後藤原ミチル。


「ま、僕なら可能だけどね」


 チョコボール大好き、田村マラオ。


 日本でも屈指の大食いチャンピオンが四人も同乗していたのは僥倖と言って良かった。

 その場にいた乗客を含む全ての人々が安堵のため息を漏らした。


 機内には寿司詰め状態になった牛丼が4トン。牛丼が寿司詰めになっているのだ。よだれの出る光景である。


「それでは、スタート!」


 客室乗務員(JK)の合図で試合が開始された。


 まずは先手をきったのは三度の飯よりチョコボールが好きなマラオ。

 丼ぶりいっぱいに盛られた牛飯を箸でかきこんでいく。

 マラオが大食いに初めて挑んだのは高校生のとき。

 お母さんがくれたお小遣いで食べた牛丼がとてもおいしくてこの道に目覚め、気がつけば毎日チョコボールを買う少年時代を過ごしていたようです。

 そんな彼も今日で三十七歳。未だに無職であります。

 さあ解説のマラントスさん、この試合、出だしはいかがですか?


「そうですね、まずは牛丼のつゆが米に浸透しすぎないうちにどれだけ腹に入れられるかという勝負になるでしょう。つゆが染みてしまいますとご飯がふやけて非常に苦しい戦いとなってしまいます」


 つまりスピード勝負と。


「そのとおりですね。私もインターハイに出場した際につゆが染み込んで冷え切った米にとても苦労した経験がありますから、まさに時間との勝負といえます」


 しかしあえてつゆだくが好みという選手もいるかと思います。マラオ選手はいかがでしょう?。


「マラオ選手は典型的なつゆなし星人です。店員に注文した際も注意深く様子を眺め、具をきった際に一滴たりともしたたることを許しません。そういう意味で今回の戦いはややアウェーをいえるでしょう」


 つゆだく中心のフィールドではコンディションの問題があると。


「はい。しかしどんなフィールドでも戦うのが大食いチャンピオンの使命です。彼の奮闘に期待しましょう」


 マラントスさん、ありがとうございました。


 実況と解説がそのようなやり取りをしている内に、四人は次々と繰り出される牛丼を完食していく。


 ヴィーガンの銀は額に汗を浮かべて叫び声をあげ、仲間を鼓舞する。


「玉ねぎの部分は俺に任せろ!」


 凄まじい勢いで玉ねぎの部分をかきこんでいく銀の姿を見て、他の仲間達もその頼もしさに笑みを浮かべる。


 その中で一際異彩を放っていたのは、カレーライスなら絶対の自信を持つインド人風の米村敏朗だった。


 彼は持ち込んでいたカレーをその場で煮詰めだし、さらにバッグから即席ご飯を取り出すとじっくりと温め、カレーライスにして食べ始めた。

 凄まじい勢いでカレーを食べ続ける彼の様子を見て周囲の人々は絶句した。

 問題はいっさい牛丼には手を触れていないところだったが、凄腕の大食いチャンピオンには人格にやや難がある人物が多く、この程度は織り込み済みだった。


 大食い系Vtuberの中の人である後藤原ミチルはパソコンを取り出し、配信を開始したところだった。


「はいどーも! 今日は牛丼を食べてみまーす!」


 彼女が口を動かすと、最新のLIVE2D技術で作られたJKキャラクターが画面の中で牛丼を食べ始めた。

 するとスパチャが次々と投げられ、すでに4200万を稼ぎ出していた。


 そんな感じで、マラオだけがまともに牛丼を食べていた。


 しかし機内に出現した牛丼はおよそ4トン。2トンを食べ終えたころ、マラオにも限界が見え始めた。


「く……やってくれるじゃないか」


 マラオは目の前にそびえ立つ牛タワーを見上げて、そうつぶやいた。

 いかに最強のマラオであったとしても、同じテイストを続けて食べ続けていれば飽きがくる。彼の身体を徐々に蝕む飽きが、場を重苦しく支配し始めていた。


 すると彼の奮闘を見守る観衆の中から、このような声があがった。


「マラオさん! 俺の高菜明太マヨを使ってくれ! バッグの中に少しだけあったんだ!」


「俺の三種のチーズも使ってくれ!」


「生卵ならあるぞ!」


「使いかけの焼き鮭で良ければ……!」


「俺の(股間の)おしんこを使ってくれー!」


 盛り上がった観客がスタンディングマスターベーションをし始めた。


「みんな……」


 マラオが感動で目元を拭った時、機長室のドアが開いた。


 現れたのは当然機長の柴田勝家だった。


 初老の柴田機長はまずは挨拶から話を切り出した。


「この度はANAL4649便をご利用いただきありがとうございます。皆さんのご協力のおかげで、牛丼は残すところあと2トンとなりました。ですが私には機長として皆さんに申し上げなければならないことがあります」


「も、申し上げなければならないこととは?」


「……機体は依然として高度を下げ続けているのです」


「なぜだ!? 牛丼はマラオさんが半分も平らげたんだぞ!」


「そうよ! 機体が軽くなれば高度を保てるはずでしょ! まだ足りないっていうの?」


 機長は騒ぐ乗客をなだめるように手で制すると、ゆっくりと言った。


「……不可思議。そう申し上げる他ございません。確かにこの空域は過去に何度も事故を起こした”魔の空域”とも言われております。私はそのような迷信を信じる者ではありませんが、機体が軽くなっても制御を取り戻せない理由を考えれば不可思議としか言えないのが事実です」


「そんな……」


 乗客が絶望に暮れようとしたとき、彼らの中の一人が機長に対して手を挙げた。


「……あなたは?」


「私は物理学者です。学者的見地から今回の事象について意見を申し上げたい」


「お願いいたします」


「機体が未だに高度を保てない理由ですが、私は機体の重量が減っていないことが原因だと考えます」


「減っていない? マラオくんが半分も食べてくれたというのに?」


「……ええ。わかりやすくご説明いたします」


 物理学者はホワイトボードにでも書くかのように機体の内壁に図を書いて状況を説明し始めた。


「まず、機体に突如として現れた牛丼の重量が約4トン。その内2トンはマラオくんが……そう、このように食べてくれました。今、機体内の牛丼は何トンだと思いますか?」


「……? 2トンでは?」


「違います。4トンのままなのです」


「ばかな」


「牛丼は確かにマラオくんに食されました。しかし実態は噛み砕かれて腹の中に移動したに過ぎません。つまり牛丼の重量は変わらず4トン存在し続けているのです」


「そんなことが……いやしかし」


「これを”質量保存の法則”といいます。残念ですが、このままでは我々は……」


「学者先生、ならば我々はどうせよと? 質量保存の法則に抗うすべは無いのか?」


「物理学者の立場から申し上げるならば残された方法は一つ。牛丼を全て機体から放り捨てることです」


「……牛丼を機体から外へ捨てれば機体は軽くなる、か。やってみる価値はあるかもしれん」


「バカを言うな!」


 突如として怒声をあげた男がいた。

 機長と物理学者がその声の先を見ると、でっぷりと太った中年の男が禿げ上がった頭に汗を光らせ、睨みつけるように立っていた。


「そんなことは私が許さん」


「失礼ですが、あなたは?」


「私は環境経済大臣だ。環境を汚すような真似は許すわけにはいかん!」


「しかし、大臣……」


「いいや、だめだ。考えてもみたまえ。4トンもの牛丼を機外に排出し、それが海に降り注げばどうなる? 急激に塩分や油分濃度が上昇し海中の生物が死滅する。君はタンカー事故でオイルまみれになった鳥を見たことは? あるいは南極の氷が熱で溶けて沿岸部が洪水にみまわれる可能性もある」


「……確かに、その危険はあります。しかしここは」


「機長、君は落ち着いて考えるべきだ。もし牛丼が落下した先が陸地であったら? 住宅街を直撃するようなことになれば? 突如空から牛丼が振ってきたら何が起こると思うかね?」


「それは……」


「デフレだよ、君。牛丼の値段はかつて下げすぎた。そのため値上げしたくてもできず、長年日本はデフレのスパイラルになった。これを経済用語でなんと呼ぶか機長、君は知っているかね?」


「デフレのスパイラルですか……はて……」


「デフレスパイラルと呼ぶのだ。それで、そんな今、空から牛丼が降ってきたら? 牛丼はゴミクズ同然の価値になってしまう! そうなれば日本の経済は終わる! 失われた十年どころの話ではなくなるのだぞ!」


 大臣の熱弁を黙って聞いていた物理学者が、意を決したように異を唱えた。


「人命と経済、どちらが大事だというんですか!」


「私は政治家だ! 国家を第一に考える責務がある!」


「人命を軽んじる政治なんて!」


「機長! 君が判断したまえ!」


「機長! 人命を優先すべきです!」


 相反する言葉を投げかけられた機長は、苦渋に顔を歪めた。


 そのとき、マラオを箸の手を止め、目線を地におとした。


「は……飛行機に対して、大食いは無力だとでもいうのかよ……」


「マラオくん……」


 客室乗務員(JK)がキュンとする。


 マラオは肩を落とし、口から高菜明太を垂らした。


「諦めんな」


 そう言ったのはヴィーガンの銀だった。


「そうだ、諦めちゃいけねえ」


 インド人風の米村が言った。


「そうよ、私たちの力はまだこんなものじゃないでしょ?」


 配信中の後藤原ミチルが優しく声をかけた。


「みんな……」


 その時マラオの脳裏に、様々な思いが過ぎった。


 小学校のころ、名前でいじめられたこと。

 中学校のとき、名前でいじめられたこと。

 高校のとき、名前で女の子に振られたこと。

 大学のとき、美容室で頼んでもないのに「きのこカットですか?w」と言われたこと。


 様々な思いが駆け巡って、マラオの頬を濡らした。


「……僕、頑張ってみるよ」


 マラオはこんなにも素直な気持ちになれたのはいつぶりだろうかと自分で不思議になった。


 マラオが猛然と牛丼をかきこみ始めた。

 それを見る三人の仲間と乗客たちが声を振り絞って応援する。


 大臣と物理学者が声を揃えて機長に言った。


「止めてください! あんなのことをしても無駄なんだ!」


「止めたまえ機長! あのようなことにかまけている暇はない!」


 機長はその声を聞きながら、マラオの食する姿をじっと見つめた。

 そして、こう言った。


「……もう少し、見ていてやりましょう。若い者がああやって頑張っている姿は悪くない」


「しかし……」


「それに無駄に終わるかどうかはわからない。挑戦とは、そういうものだ」


「機長……」


 客室乗務員(人妻)がもじもじした。


 機長はまるで父親のような目でマラオの背を見つめた。


「機長! 海面に衝突するまでもう時間がありません!」


 後から湧いてきた副機長がそう告げる。


「……頑張れ、マラオくん」


 周囲から歓声が沸き起こる。

 マラオはその度に箸をかっこみ、「ハフ! ハフ!」と大食いのMelodyを奏でる。


 残りはいったいどれほどだ。もう1トンはとうにきっている。

 このままのペースで食すれば、なんとか間に合うかもしれない。

 そうマラオが思ったとき、事件がおきた。


「マラオ……すま、ねえ……」


 口から玉ねぎを吐き出し、ヴィーガンの銀が倒れ込んだ。


「あたしも……もう限界……」


 後藤原ミチルも床に崩れ落ちる。


「俺もだ……ナンってこった」


 カレーを吐き出し、インド人風の米村が白目をむいた。


「!? みんな……」


 とっくの昔に限界を迎えていたのだ。

 いくらなんでも4トンもの牛丼を数人で食するなど、無謀すぎたといえる。

 そのほとんどを彼らはノータッチなのだが……居酒屋で酒を飲んでないのに顔を真っ赤にしてテンションがあがってる奴がたまにいる。

 お前酒のんでないのになんで酔ってんだよみたいに突っ込みたくなるが、その真実はこうだ。


 自分に、酔っている。


 マラオはそういう、どうでも良いことが頭に浮かび、自分が現実から目をそらそうとしていることに気がついた。

 そして自分を見つめ直し、奮い立たせた。


「みんな……ありがとう。ここからは僕の戦いだって、ね!」


 マラオラストスパート。

 あまりの執念にもはや牛丼が牛丼とはいえない、別のものへと変貌しつつある。

 米が舞い、牛が飛ぶ。玉ねぎが回転し、その合間にマラオの眼光がギラリと光る。


 そして全ては彼の胃袋めがけて収束し、事象の地平線<イベント・ホランズン>を超えていく。


「機長! 海面衝突まであと30秒!」


「マラオくん!」


 機長が叫んだ時、マラオが顔を上げた。


 その口には、玉ねぎの切れ端。

 そして目の前には、完食された丼の山。

 マラオは玉ねぎの切れ端を口の中に押し込んだ。

 全てはスローモーションのようだった。


 完食。


「ごちそうさまでした」


 機体が海面に衝突した。

 機長が白目剥きながら叫んだ。


「バカヤロー!」



 この出来事はANAL4649便海上失踪事件として調査されるも、遺体はおろか機体の残骸一つ発見されることはなく、未解決のまま終わった。


 

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